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縄文海進と古神道、神社、天皇制(27)、天鈿女命の陰謀Ⅱ

以下の物語はフランク・ロイド作のフィクションです。天鈿女命(アメノウズメノミコト)が隠し子を卑弥呼Ⅱにしてしまうなどありえません、たぶん。

参照:マガジン「縄文海進と古神道、神社、天皇制

後漢の光武帝よりの「漢委奴国王」金印(西暦57年)、魏の皇帝よりの「親魏倭王」の金印(西暦239年)

歴史探訪・邪馬台国を追って

魏志倭人伝というが、これは、中国三国時代について書かれた三国志の中の魏の国について書かれた歴史書の一部の一部です。著者は陳寿(233 - 297)で蜀漢と西晋に仕えた官僚です。後漢の混乱期から西晋による中国統一までを扱っています。

二十四史の一つで、王朝が続いている間にその王朝の歴史を書くわけもなく、前漢の司馬遷の史記を除けば次の王朝の人間が書いています。時間差、年代差はあるということ。

だから、陳寿(233 - 297)の生きた時代は、239年の邪馬台国が魏に使いを出した(遣魏使)よりも数十年経っています卑弥呼が死んだのが248年陳寿の魏志倭人伝が書かれたのはその五十年あと

既に臺與がアマテラスを継承して後、巫女王の廃絶と男系の世俗的権威の王、「天」家の嫡男の「天皇」家世襲の確立が起こっていたのかもしれませんね。

この地図、三国志の頃の魏呉蜀と沖縄・南西諸島、九州、出雲の #逆さま地図 。魏国からの半島経由の陸路と呉国からの沖縄経由の海路がよくわかるでしょ?

魏の曹操、蜀の劉備・諸葛亮孔明と卑弥呼が同時代人というのが面白いですよね?

さて、

縄文海進と古神道、神社、天皇制(27)、天鈿女命の陰謀Ⅱ、西暦249年9月5日

縄文海進と古神道、神社、天皇制(26)、天鈿女命の陰謀Ⅰ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(28)、天鈿女命の陰謀Ⅲ

★ ウズメ、吉野ケ里遺跡

 太宰府の防御施設である「水城(みずき)」は炭素C14の測定年代で言うと、最上部は西暦660年頃、中層部が西暦430年頃、最下部は西暦240年頃であった。つまり、最下部は卑弥呼の生存年代と一致するのだ。

 姫氏(卑弥呼)一族が菊池市の山門から北部九州に進出する途中に佐賀県神崎町がある。現在の吉野ケ里遺跡と呼ばれている
 
 そこに、周やその後の中国王朝が権威の象徴とした建築物である「明堂(めいどう)」が造られていた。遺跡内の「北内郭」がそれである。
 
「明堂」は東西南北4本づつ、計16本の柱で造られ、その中に作られて九部屋のそれぞれに祖先を祭る部屋、太陽や月を祭る部屋、忠誠誓言室など国家の重要な九つの政治(まつりご と)を担わせた。

北内郭」の中心建物は「夏至の日の日の出」と「冬至の日の日の入り」場所を結ぶ線と、 南北の線の交点に、ぴたりと合わせ、柱16本で造られている。周囲に馬蹄形の二重濠を巡らせて水を貯めた。

南内郭」は祀りの場として建築されたのであろう。

 ウズメは卑弥呼の宮殿の北内郭の「明堂」から祀りの場の南内郭への砂利道をトボトボ歩いていた。今日は「おきなは」(沖縄)経由で呉国(三国志の呉の国249年当時は孫権が皇帝)から交易品としてもたらされた漢服を着ている。 
今日のリンク「沖縄歴史編」
 
 その頃の庶民は、麻糸で編んだ貫頭衣といわれている上下二部式のものを着ていた。これは魏の国からもたらされた物で麻は日本でも自生している。
 
 しかし、ウズメの今着ている漢服は、前漢、後漢の頃より中国の宮廷で用いられているもので、何でも「絹」という蛾から作られるらしい。

 中国の王朝では、域外国に対して門外不出の物であり、日本にも何をどうして作られているのかまったくわからなかった。何でも遥か西域の羅馬国にも交易品として売買されているらしい。
 
 麻のようにゴワゴワしていないし、着心地はいいわよね、とウズメは思った。冬になったら麻じゃあ寒いもの。このチャイナ紅の色はいけすかないけど。この絹の漢服に鹿の毛皮は合うかしらね?この袖のデザイン、洒落ているわ。
 
 これをこうすると、蜀の国の諸葛亮孔明みたいに見えるかしら?と袖の中で両手のゲンコツを突き合わせて、顎の下に持ってくる。この格好で伏し目で相手を見ると思慮深そうに見えていいわよね?
 
 諸葛亮孔明181年 - 234年)が亡くなって十五年になるのか・・・魏の国も司馬懿に今年簒奪されたと聞くが、諸葛亮孔明や曹操155年 - 220年)であれば、この倭国の現状をどうするのだろうか?
 
 おっと、ファッションとか孔明のことを考えている場合じゃない!
 
 今日であの日食から1年経ったじゃないのさ。
 
 あの卑弥呼ババアのくそったれめ!

★ニニギノミコト、倭国大乱

 西暦107年に後漢に朝貢した奴国王は、「倭王帥升」として認められた。それ以来、奴国王は倭国(北部九州の30ヵ国ほど)の王を兼ねるようになった。その70~80年後の倭王兼奴国王は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)であった。
 
 後漢の西暦184年に太平道の教祖・張角による黄巾の乱(184年~192年)が勃発、後漢の崩壊は決定的になった。
 
 倭国は戦乱の大陸と交易ができなくなってしまって、後漢の後ろ盾がなくなり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の権威は失墜、倭国戦乱となる。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)は淡路島に隠遁して亡くなる。

★ ウズメと卑弥呼

 奴国王を盟主とした倭国の連合王国は、奴国王族の卑弥呼を201年頃に倭王兼奴国王とすることで、魏志倭人伝曰くの倭国大乱という戦乱は治まった。それから四十七年、平和な時代が続いた。
 
 象徴的な国王としての卑弥呼は邪馬台国と称して、佐賀県の現在の神崎町の吉野ケ里遺跡に都をおいた。卑弥呼はその都を高天原と名付けた。
 
 奴国王を盟主とした倭国の連合王国は、奴国の首都である太宰府に都をおいた。現在は、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の四世あとの彦火火出見(ヒコホホデミ)が王となっている。
 
 さしずめ、前者が皇居で後者が霞が関のようなものだった。
 
 西暦240年頃、ウズメの率いる蝦夷の巫女集団が倭国の支配の及ばぬ本州島東部から高天原にやってきて、卑弥呼に仕えるようになった。それまでの卑弥呼の巫女は近隣の農家の次女、三女をかき集めた素人集団だった。卑弥呼を尊く見せるプロデュース力に欠けていた。
 
 ウズメと彼女の率いる蝦夷の巫女集団は、恐山などの本州東部で修行したイタコやシャーマンなどのプロの集団であり、儀式のプロデュースや卑弥呼の言霊の民草への伝え方に長けていた。卑弥呼は彼女らをいたく気に入り側近に取り立てた。

★ 日食と卑弥呼の撲殺、卑弥弓呼の台頭

 去年、一昨年の日食でも、中国の天文科学に詳しいウズメは卑弥呼に「魏の正始八年(西暦247年)3月24日、正始九年(西暦248年)9月5日に陽が陰ります。これは天体の運行によるもので、アマテラス様(太陽)がツクヨミ様(月、月読命)に遮られて起きる現象です。アマテラス様が死するものではありません。卑弥呼様は『アマテラス様が死して再び再生するのだ、見よ!』とでも言っておけばよろしいのです。正始八年(西暦247年)は日没前に始まります。その時は翌朝再びアマテラス様は輝く、とでも言えばよろしい。正始九年(西暦248年)は日の出前にすでに日食は始まります。しかし、午前七時までに終わりますから、それも『再びアマテラス様は輝いたではないか!』と民草に言えばよろしいのです」と教えた。
 
 ところが卑弥呼は天文科学など理解しようともせず、依然としたアニミズム的考えで、二回の日食とも卑弥呼は怯えて天岩戸に隠れてしまった。
 
 ウズメが乳とほと(陰部)をさらけ出して踊り、岩戸から引きずり出したが、結局、二回目の日食時に興奮した民草に撲殺されてしまった。
 
 その後、高天原に服従していない狗奴国(球磨、熊本県球磨郡、囎唹、鹿児島県會於郡)の王の卑弥弓呼(ヒミココ)が戦で奴国王を盟主とした倭国の連合王国に勝利し、狗奴国の卑弥弓呼(ヒミココ)王が新たな連合王国の盟主となった。
 
 卑弥弓呼(ヒミココ)は高天原を無視したが、呪術を持ちいる高天原を攻め滅ぼそうとはしなかった。
 
 しかし、狗奴国は九州南部で言葉も多少異なる。民族的にも同じとはいえない海の民だ。奴国とその支配下だった王国が狗奴国にまったく従うわけもなく、そこここで内紛が起こっていた。
 
 近く、狗奴国と奴国配下の旧連合王国との合戦が起きそうな雲行きであった。

★ ウズメの陰謀、吉野ケ里遺跡

 そんな時に、ウズメは卑弥呼の宮殿の北内郭、「明堂」から南内郭への砂利道をトボトボ歩いていたのだった。
 
 ええい!どう現状打破ができるんだろうか?とウズメは漢服の袖に顔をうずめて考えた。
 
・・・そうだ!出雲に追放されたスサノヲと私の忘れ形見がおるではないか!

 奴国の豪族で、卑弥呼の宗族、彦火火出見(ヒコホホデミ)の一族で豊国(投馬国=福岡県東部、大分県、山口県西部)にいる「臺與」がいる!
 
 誰も「臺與」が私とスサノヲの娘だとは知らない。スサノヲだとて、「臺與」が自分の娘だとは知らない。彦火火出見(ヒコホホデミ)には、卑弥呼が処女懐胎で産んだ子供だと言ってある。
 
「臺與」だ!「臺與」を卑弥呼の後釜に据えるのだ!

 卑弥呼の弟の血筋と私の血筋だ。呪術の才能は惜しげもなくあるだろう。

 ウズメは取り急ぎ彦火火出見(ヒコホホデミ)に使者を出した。亡き卑弥呼の神託が見つかった、貴君の一族の卑弥呼の宗族の臺與を急ぎ高天原にお連れ申すようにと伝えた。
彦火火出見(ヒコホホデミ)、神武天皇。

 豊国から高天原まで十日の距離であった。

縄文海進と古神道、神社、天皇制(26)、天鈿女命の陰謀Ⅰ
縄文海進と古神道、神社、天皇制(28)、天鈿女命の陰謀Ⅲ


過去記事

【創作】note:Data 2021/01/31/1、天鈿女命1

【創作】note:Data 2021/01/31/2、天鈿女命2

【創作】note:Data 2021/02/01/1、天鈿女命3

【創作】note:Data 2021/02/02/1、天照大神と建速須佐之男命(表)(裏)

【創作】note:Data 2021/02/04/1、大国主神の国譲りなどなかった

【創作】note:Data 2021/02/09/1、琉球神道

縄文・弥生時代年表

縄文・弥生時代人口推移

縄文・弥生時代の人口密度


第三章数学と幽霊Ⅱ、第十六話 二人のアマテラス Ⅰ

第三章数学と幽霊Ⅱ、第十七話 二人のアマテラス Ⅱ

神話にみる「芸能の力」、アメノウズメノミコトと俳優(ワザヲギ)

縄文海進と古神道、神社、天皇制(13) ー 創建年代順に並べた神社

縄文海進と古神道、神社、天皇制(12) 縄文時代早期~前期


リンク

参照:マガジン「縄文海進と古神道、神社、天皇制

参照:マガジン「ヒンズー教と仏教の原風景


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