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神話にみる「芸能の力」、アメノウズメノミコトと俳優(ワザヲギ)

「二人のアマテラス」を書くに際して、天鈿女命の存在が非常に重要になってくる。卑弥呼という祟り神としてのアマテラス卑弥呼の宗族の娘で、卑弥呼の後継者、天皇家の直系の先祖としての臺與(トヨ)というもう一人のアマテラス、そして、臺與(トヨ)の師匠でもあった、天鈿女命。この三人の女性の絡まる物語を書いてみようと思っている。実際は既に書いたのだが、推敲しないと。

天皇家の祟り神である「卑弥呼アマテラス」は、伊勢神宮に封印されている。古代より歴代天皇が伊勢神宮に行幸しないのは、封印された祟り神と接する必要がないのと、「卑弥呼アマテラス」は天皇家の直系の先祖ではないためだ。

だから、宇佐八幡宮神託事件 - Wikipediaで、道鏡を天皇に就けたがっていたと言われる称徳天皇が、なぜ伊勢神宮ではなく宇佐八幡宮の神託を求めたのかは自明のことであろう。宇佐神宮の姫大神こそが、天皇家の直系の先祖、「臺與アマテラス」だからだ。

また、みなさんは、単なる神楽の踊り子である鈿女(ウズメ)が、天皇家の名字である「天」をつけた「天鈿女命(アメノウズメノミコト)」として呼ばれているのか、疑問に思わないだろうか?

さて、この論文、オリジナルがどこのサイトにあるのか、わからなくなったが、仕方なし、全文引用しましょう。

神話にみる「芸能の力」
-アメノウズメノミコトと俳優(ワザヲギ):外国語表現と諸芸能での扱い-

Ⅰ - 1 「芸能の力」とこころの再生

テクノロジーの発達は人間の生活に多大な影響を及ぼし、便利で贅沢な生活を与え、人間関係を変えていった。こうした現代生活を獲得する経済的な競争原理は、人間の感覚価値をも変え、世に多くの負け組を作り出している。

日本の自殺率の高さは留まることがなく、無差別な犯罪も後を絶たない。先端技術はバイオエシックスの中で問われるようになり、地球規模での倫理を問う時代になってきている。

こうした時代の中で我々は、2011 年3月 11 日に今まで経験したことのない大地震・大津波を体験した。ここには大自然の力の中での無力な人間と復興へ向かう力強い人間、そして身心に大きな悲しみと傷を負った人間と他者の悲嘆を受け止めグリーフケアへと自己を投げ出すボランティアの姿であった。復興へとむかう行為の中には「芸能の力」があった。獅子舞、虎舞、神楽などの地元の芸能が失われた街や村の瓦礫の中で演じられ人々が集った報告は各地で報道された。東北大学の鈴木岩弓氏によれば、遺体安置所であったアリーナもサザンオールスターズなどの芸能人によるにぎやかな音楽やダンスのコンサートによって、その本来の機能を取り戻した。

日本芸能史に拠れば、歴史的には大地震や大災害のあとに舞踊・芸能のムーヴメントが起こることが知られる。戦乱の世の中には、大衆は踊りあかし祭りを行って来た。

例えば京都の祇園祭は、日本の祭りの原型を形成したものであるが、貞観の大地震のあとに発生した疫病の退散のために行われた鉾による呪術的な平安京内の巡行の行事がその起源であると云われている。末法の世では踊念仏で極楽浄土へと救いを求めて民衆はこころを鎮めていた。

江戸時代の「ええじゃないか運動」などもある。世の中が暗い時には、あるいは危機を感じるときに集団は祈り、そして歌い、おどる。それはこころを別な次元へと移行させることであり、人間以上の存在に帰依し救いを願う行為でもある。葬儀の後には直会で食べ騒ぎ、盆には祖先を招いて円形舞踊を行う。年間の重要な祭りや人生儀礼には、神社に行き、神々を招いて音楽歌舞を奉納する。

舞踊文化・芸能は人間の生活には欠かせない。人間はいつから踊っていたのであろうか。いつから芸能行為を行っていたのか、その起源は芸能の本質を知るために重要である。

我が国の芸能の神話的起源は、アメノウズメノミコトが岩戸の前で行った舞踊と言われるが、『日本書紀』では、「俳優(ワザヲギ)」と記述され、鎌田東二氏によれば、「人に非ず、優れたる者」であり、『古事記』では「神懸り」でありトランス状況における憑依とも思われる呪術的な行為である。

これは日本の文献上最初に出てくる舞踊行為の記述でもある。アメノウズメノミコトはサルタヒコ神とともに我が国の芸能の神であり、この夫婦神から宮廷儀礼を司る猿女氏族が出現する。歴史的起源は各地の古層文化と神楽に見出すことができる。

山伏が舞ったと云われる岩手の早池峰神楽などの山伏神楽は、山岳信仰と身心の修行、土着の神と神仏との祭りにおける合一や駆け引きの場であり、呪術性を伴った民間信仰は四国のイザナギ流にみられるように湯立の占い技法などを伴っている。

6世紀ころ大陸から仏教思想とともに雅楽が宮廷祭儀に輸入されるが、しかし宮廷でも神楽は特別に奏され御神楽(みかぐら)となり現在に至る。民間の神楽の多くが面を着け神を降ろし激しく太鼓のリズムに合わせて舞うのに対して、御神楽では静かな和琴と神楽歌に合わせて面を着けず神(庭火や星)に向かって舞う。さらに遡れば縄文時代のマジカルな土偶や遺跡の形に、また「踊る人」や「巫女」と題される埴輪の姿や「弾琴埴輪」、和琴の出土に、古代の日本にすでに現代の舞踊に近い行為があったのではないかと思わせる。

Ⅰ - 2 変容のワザとしての舞踊・・・アメノウズメの俳優(ワザヲギ)

裸体に近い姿と行為の描写から、エロティックであるとか、ストリップと言った解釈や、卑猥に扱われるアメノウズメであるが、本当にそうであろうか。

日本神話の描写には、イザナギノミコトとイザナミノミコトのミトノマグワイ(性交)によって国が誕生するといった始まりや、イザナミノミコトが最後に火のカミを生んだため、ホト(女陰)を焼いて死んだという部分のほかにも女神がホトを突いて死ぬといった描写があり、現代の我々からは性のあからさまな物語という印象に驚く部分も多い。

しかしその真意はどうであろうか。本研究では、天の岩戸の段におけるアメノウズメの描写が海外でどう翻訳されているかも扱うが、そのさまざまな表現にさらに驚く。

鎌田東二氏は以下の『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』の記述のそれぞれをあげ舞踊や演劇の起源としての祭儀・神楽につなげている。

「天宇受売 命 、天の香山の天の日影を手次に繫けて、天の真折を鬘として、天の香山の小竹葉を手草に結ひて、天の岩屋戸に受け槽伏せて踏み轟こし、神懸りして、胸乳をかきて出て裳緒を陰に押し垂れき。ここに高天原動みて、八百万神共に咲ひき。(「古事記」)

猿目君の遠祖天宇受売 命 は、則ち手に茅纏の矟を持ち、天石窟戸の前に立たして、巧に俳優す。亦天ノ香山の真坂樹を以て鬘に為し、蘿を以て手繦に為して、火処焼き、覆槽置せ、天鈿女命をして真辟葛を以て鬘と為し、蘿葛を以て手繦と為さしめ、竹葉を飫憩木の葉を以て、手草と為し、手には鐸著けたる矛を持たしめて、石窟戸の前に誓槽覆せ、庭燎を挙して、巧に俳優作し、相与に歌ひ舞はしめたまはな、と曰したまひき。(「古語拾遺))

鎌田氏が注目したのは、「カムガカリ」が「ワザヲギ(俳優)」の結果である点とアメノウズメが手も頭も身体も植物に覆われながら「ワザヲギ」をし、「カムガカリ」になった点である。すなわち植物の霊力をわが身に振りつけながら変身し、意識の変容をもたらしたという点である。「第一に神の霊を招き、わが身に振り付ける技態である。そして第二に、その神霊憑着、すなわち神懸りの技態が擬態化して芸術的な所作・身振りとなった。つまり、真正の神懸りからそのもどきへ、擬態としての演技へと転じていく過程が見てとれる。言い方を換えれば、演技の起源は神懸り、すなわち神霊の憑着による意識と身体の変容がもたらす神異の振る舞いであったということだ。それは、根源的に霊的な変身だったのである。」また、時空を別な次元に、別な領域に開いていくための身体技法であったとみている。そこに身体の位相を変えるトポロジカルな転換をみている。

女陰であると描写されている「ホト」であるが、鎌田氏によれば、この語源を最初に検討したのは本居宣長であるという。「含処」と解し「含む」という意味を持つが、いつこの「フ」が欠落したのか不明であり、平田篤胤は「火処」説であるという。氏はさらに日本神話の「ホト」の用例を「古事記」6例、「日本書紀」1例、「風土記」1例、延喜式祝詞2例から分析し「ホト」が火と密接に結びつき、また死と再生と結びついていることは否定できない神話的真実であると述べている。

人間の行為が為せるワザとして霊的変身の日本最古の描写からアメノウズメを捉えると現代の価値の中で忘れていた身体と部位の真の意味を感じる。人間のカラダはもっと様々な可能性や価値を秘めて与えられている。しかし、文化や制度は身体の定義とその在り方を固定しその部位の意味や分節も社会的に見る枠を設け、その中でしか語れない・感じられない身体観を構築してしまっている。その枠や偏見を時に崩し人間身体の真実あるいは三浦雅士氏のいう「身体のゼロ度」を垣間見るのが舞踊家・舞踏家の身体であろう。自分が「持ってる」あるいは自分「である」と思っている身体であるが、ぜんぜんわかっていない身体の意義であり人間の形である。封印されている身体の秘密と力を解く様々な鍵としてワザがあり、継承されているのではないか。

芸能・神楽の起源としてのアメウズメのワザヲギであるわらわが、それは結果として神々を喜ばし咲いを招き、世の中を明るくする「神遊び」の行為でもある。

岩戸の前の音楽歌舞とアメノウズメの舞踊に喜ぶ神々の賑わいは、天照大神の籠った岩戸を開くことになる。暗闇に光がさし面が白くなる。神を招いて遊ぶ、神遊びが神楽の起源である。

「遊び」の意味の時代的変化について脇田晴子氏は、「その芸能の源流として位置づけられた天鈿女命の天の岩戸での踊りは、現在のような生きている人間の芸術・娯楽のためのものではなく、死者の鎮魂の祭りという宗教の儀式ともいうべきものであった。それは『遊び』という言葉の時代変化に象徴されるであろう。

天鈿女命を元祖とする『遊部』は死者の鎮魂を仕事とする殯の嗁楽の遊びや『オシラ遊び』の『あそび』から、遊女や享楽の遊びに変化していったのである。」と述べ、天鈿女命の子孫の猿女君は代々その職掌を伝えるが、8. 9世紀の律令制度の輸入に基づき、女性一人から二人へそして男女にそして男性主導の国家的宗教行為になって行く。「古事記」「日本書紀」が当初から王権は男性王権で記述されてることも指摘しており、天照大神を除いては后妃や巫女は書かれても、それ以上ではなく、記紀神話が成立した八世紀の男系世襲王権の感覚で太古の歴史が書かれていることも指摘している。

これは当時の中国を意識した編纂で文明国である自負を示すための要請であったとも解釈している。対して「魏志倭人伝」では日本は蛮夷の国であるから「父子男女会同別無し」のように身分差をわきまえない文明の進んでいない国であり、卑弥呼の鬼道に支配されていることが強調されている。しかしながら双方ともにバイアスのかかった叙述であると述べている。

時代の中でその意味を変化させている「遊び」概念であるが、現代に合わせて考えると、仕事をしている身体ではなく遊びの身体の中に神はやってくる。日常の身体には目的が付きまとう。何かのために身体を動かすのである。しかし、非日常行為である舞踊の目的は舞踊である。踊るために踊る。舞うために舞う。舞踊の無目的性あるいは自己目的性は、遊びの特徴であり、行為そのものに意味がある。

Ⅰ - 3 古事記の調べ・実演の力

舞踊の力あるいは芸能の力は、日本以外の神話にも様々に登場する。

ギリシア神話では洞窟に隠れた赤ん坊のゼウスの鳴き声を消すために洞窟の前でダンスをし、ゼウスはクロノスに食べられずにすんだ。

インドではシバ神は舞踊の神であると同時に創造と破壊の宇宙神でもある。

インド神話と日本神話を比較した Michael Witzel によれば、太陽の再生神話としての共通項があるという。この二つに限らず個々の諸神話、神話世界全体に共通する様々なモチーフや時空間といった神話の起源を辿ることも比較神話学の領域では研究が進んでいる。しかし同一の物語も翻訳や現代語訳などの言語的意味変換で、まったく異なる場面やニュアンスになっていく。

アメノウズメのワザオギも諸外国でどのように紹介されているのか気になるところでる。物語の基本的なところはどうにか伝えられるがその真意にはどう至ることができるのだろうか。字義通りの語の解釈では「古事記」は理解できないと神々の名前一音一音にこだわったポーランド人のコタンスキなどの研究もある。

神話詩・叙事詩として「古事記」を捉えている鎌田東二氏によれば、「『古事記』は、そのように親しみやすくて、子供にわかりやすく読んで聞かせ、語って聞かせるような物語ではない。だから、そういう感覚で訳すと、根本的に間違ってしまうだろう。

『古事記』は祝詞のような感覚を湛えた荘厳な叙事詩であって、中世の文献でいえば、『平家物語』に近い。

琵琶法師が「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり、沙羅双樹の・・・・」と語っていくような、語り節の感覚が『古事記』の特徴なのだ。荘厳で、情緒に染み入っていく言葉の力が『古事記』の中には宿っているのであり、そうした『古事記』の詩の部分、調べを現代に写し替えるのでなければ、『古事記』のスピリットが伝わることはない。」と述べている。

そして鎌田氏は自身で『超訳 古事記』を書いた。口述筆記という稀な方法による見事な神話詩・叙事詩であり、2014 年 10 月にそれは東京ノーヴイ・レパートリーシアターにより両国シアターχで上演された。神話詩「古事記」の語りのリズムの流れの中に日本の各層の言霊・音霊を散りばめた見事な舞台芸術であった。目から耳から身体から「古事記」を吸収したひと時であった。そこには読むためではなく聴くため感じるために書かれた書物としての「古事記」の力があった。実演という芸能の力があった。俳優によって神々の存在が目の前に現れるモノ語りがあった。

Ⅲ - 1 能楽におけるアメノウズメ

能では、『絵馬』(後シテ)と『鈿女』(後ツレ)が有名である。『三輪』では、三輪明神が天の岩戸の神話を舞う場面がある。

『絵馬』は斎宮絵馬の行事と天の岩戸の神話を脚色した作品であり、謡中心で 落ち着いた前場は白と黒の絵馬を掛け並べることで五穀豊穣・万民快楽を祈る。ショー的要素が強く華やかな後場は天の岩戸の劇中劇となり天下泰平を寿ぐというめでたい内容である。両開きのある扉の宮の作り物が効果的に用いられる。場所は、伊勢国斎宮 現:三重県多気郡神郷町である。『鈿女』は天の岩戸神話を扱った作品で、室町時代に椿大神社(三重県鈴鹿市)で神事能として舞われた記録がある。現在、金剛流が複曲し毎年四月十一日恒例の大祭にて上演されている。

『三輪』は巫女の姿をした三輪明神が三輪山にわたる神婚説話を語り、慰みに天の岩戸の神話を舞う作品である。

Ⅲ - 2 民間神楽・舞にけるアメノウズメ

民間神楽では、天の岩戸開きの演目は多く、そのなかでアメノウズメの舞が演じられることもあるが、アメノウズメの舞が重要な意味をもつ場合には、独立させたものとなっている。演目名も、

鈿女・細命・鈿目・薄女・臼女・錺女・巫女・薄面・宇須面・宇受売・宇受姫・宇豆女・宇寿女・ウスネ・うずめん・うず・おすめ・産女・神子・姫・天女・オカメ・薄目(薄目…神懸りして踊る鈿女の半眼の表情を暗示) など様々である。

多くは鈿女面(女面、オカメ面)を着け扇・幣・鈴・榊・剣などさまざまな採りものを持っての一人舞であるが、巫女舞との混合もみられる。滑稽味を帯び道化的要素が強くなると、オカメと呼ばれて下膨れのお多福面が使われる。天手力男命や猿田彦命と組み合わせての二人舞も存在する。オカメがアメノウズメに由来しているとするならば、狂言では、乙御前面が使われる『釣針』『仏 師』、文楽ではお福の役などが挙げられる。いずれも、三枚目役として表現されている。

京舞井上流では、地唄舞『倭文』がある。天の岩戸開きの神話を取り入れた祝いの舞であり、祇園甲部の始業式の締めくくりとして家元が舞う。現代の作品では、坂東玉三郎『アマテラス』、宝塚歌劇団
『スサノヲ』などが有名である。

Ⅲ - 3 アメノウズメの特徴

鶴見俊輔氏は著書「アメノウズメ伝」のなかで、アメノウズメの特長を、右記のように挙げている。

① まず、美人でないということ。しかし、魅力がある。
② なりふりかまわない人である。世間体にとらわれぬ自由な動きをする。
③ その気分に人びとをさそいこんで一座をたのしくする人である。
④ 生命力にあふれている。それが他の人たちの活気をさそいだす。
⑤ 笑わせる。人のおとがいをとき、不安をしずめる。嘘をついてでも、安心させる。
⑥ わいせつを恐れない。性について抑制をこえるはたらきをする。
⑦ 外部の人が、その一座に入ってきても平気である。とくべつに警戒することということはない。開かれた心をもっている。

このような特長のみられる演技であれば、役に関わらずその演技を通じてアメノウズメをみることができるのかもしれない。雑誌エステティーク編集長三浦和広氏は、東京バレエ団創立五十周年記念祝祭ガラでのシルヴィ・ギエム『ボレロ』について、「バレエによる天岩戸開き」として評している。また鶴見氏は同書のなかで、かぶき踊りの創始者である出雲の阿国がアメノウズメを継承する人物とし(『大日本女性人名辞書』による)、「アメノウズメのおどり、出雲の阿国のおどりはシヴァの女神のおどりの枝わかれしたものと見えるかもしれない。」と記している。

世界の神話に存在するおどりの神や芸能の神が、その国や世界の芸能にどう関わっているのかを、アメノウズメと比較しながら引き続き調査していきたい。

「神楽学の構想」PDF

國學院大學メディア
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