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こころの風景(私のこと)

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個人的なこころの旅模様を綴っています。
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記事一覧

【ミャンマーNGO記③ 自己犠牲という『世界の損失』から、在りたい自分の姿へ】

【ミャンマーNGO記③ 自己犠牲という『世界の損失』から、在りたい自分の姿へ】

(これまでの記事)

今日は、NGO職員として1年滞在する中での、
私の個人的な、内的な心象風景を、綴っています。

働くことに疲弊してしまったり、職場の人間関係で消耗している人、
自己否定を強めて、辛い思いをしている方へ。

少しでも、こころが軽くなればいいなと願いながら、書いています。

ずっとNGOで働くのが夢だった。

ちゃんと、現地の子どもたちのために仕事を完遂できる自分でありたかった。

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【ミャンマーNGO記②人々が放射している慈愛】

【ミャンマーNGO記②人々が放射している慈愛】

なぜ、ミャンマーの人は、私にはない質の、慈愛を放射しているのか?

これは、私の、一つの疑問だった。

圧倒的なオーラを発しているのだ。

とにかく、私の周りのミャンマーの人達は、私のことを非常に大切にしてくれた。

驚くのだが、住んでいたアパートの大家さんは、私が入居した直後から、

外国人の私が来たのをえらく喜んでくれ、にこにこして家事は何でも請け負うといって、
いつも引き下がらなかった。

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【ミャンマーNGO記①皮膚感染の後遺症】

【ミャンマーNGO記①皮膚感染の後遺症】

毎年湿気の多い夏になると、必ず足に炎症が自然発生して、苦労していた。皮膚のバリア機能や免疫機能が極端に低下して、ただのかぶれや虫刺されだけで、すぐ内側から炎症が出来て膿が止まらなくなる。些細な擦り傷、切り傷でさえ、傷がふさがらず、膿んで感染し、毎回厄介なことになっていた。何とかレイキやクレイ、コロイダルシルバーなどの自然療法で治そうとするも、結局膿が止まらず、泣く泣く、毎度、最後には抗生物質の塗り

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【父の手を求めて⑤】 ―抱きしめられる、『安全』という治療―

【父の手を求めて⑤】 ―抱きしめられる、『安全』という治療―

(前回の話)

そして、私に、好きな人ができた。

彼に出逢って互いに惹かれ合い、ずっと前からお互い知っていた気持ちだね、と話し近しくなっていく中で、
私の中に相反する二つの感情が火花を散らして拮抗し始めたことに気づいた。
私は軽くパニックになり、眠れない夜を過ごし、何が起こっているかを考え続けた。
そこで見えてきたことを、相手に伝える必要があると思い、これまでの自分の男性との経緯をその人にすべて

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【父の手を求めて④】 ―レイプ相手からの求婚―

【父の手を求めて④】 ―レイプ相手からの求婚―

(前回の話)

この頃同時に、私を震撼させる別の出来事があった。

ある日、バリの自宅にいた私に、東京の母からLINE電話がかかってきた。彼女に珍しく母は非常に興奮した様子で、どうしたのかと問うと、
親戚のとある叔父から手紙が届いたという。それには、「ご息女 愛子様へ」と書かれてあった。

「ご そく じょ・・・?」

90を越える古式な叔父から時々送られる手紙の文面は、いつも明治時代をも匂わせる

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【父の手を求めて③】 ―潜在意識のレイプの記憶―

【父の手を求めて③】 ―潜在意識のレイプの記憶―

(前回の話)

同時に、当時、水中ボディワークのトレーニングを受け始めた際、微かに戦慄したこともあった。

セラピストになるトレーニングには、水中だけでなく、室内でのマッサージも含まれる。
参加者同士でペアになり、交代で相互の身体に繊細なタッチで触れて神経系からの安心を誘うトレーニングである。

私がクライアント役になって横になり、ペアになった男性が私の身体に覆いかぶさって私の足に触れたとき、ほん

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【父の手を求めて②】 ―水中ボディワークと失われたピースの自覚―

【父の手を求めて②】 ―水中ボディワークと失われたピースの自覚―

(前回の話)

水中ボディワーク(アクアティックボディワーク)は、セラピスト(施術者)とクライアントがペアになって行う。
温水プールの温かい水の中で、入った瞬間に身体がリラックスして全身が緩んでいく。
さらにプールは海水と同じ塩分濃度にしてあり、ミネラルがそのまま皮膚から吸収される。
その温かい水の中で、セラピストが軽くクライアントの身体を支え、クライアントは身体が浮き、
水中で深く瞑想するような

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【父の手を求めて① 】―私の男性トラウマと統合まで―

【父の手を求めて① 】―私の男性トラウマと統合まで―

今日から5回に分けて、私の個人的な男性に関するトラウマと、その治癒までの話を書いていきたいと思います。

誰もが、各々の治癒の道を歩んでいて、私自身もそれと同じく、果てしなく自分の治癒を深め、統合していく道の途上にあります。
そして、最近ある一つの着地点にたどり着いた私のこの個人的な物語が、これを必要とする誰かの目に留まれば嬉しいと思い、綴ります。
それが、あなたの中の何かを解きほぐし、癒していく

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老僧

老僧

法事の帰り、明石にいる大叔父の元へ。
御歳九十。長年妻は痴呆で介護の後見送り、一周忌を終えた直後。妻の為に建てたバリヤフリーの家で一人住まい。

小さくなられた身体、けれど声は肚の底から響き渡る重低音。手を合わせに伺いたいと言った私達が訪れるのを、数週間前から心待ちにしてくれていた。

「ようこそ おいで下さいました。今はこうして、この片田舎で余生を送っている次第でございます」

「今でも ミヨは

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西方浄土の還り道

西方浄土の還り道

父と祖母の七回忌で、東京から西へ。
姉達と母と、女4人で黒服に身を包んで一路、姫の路。

法事が、好きだ。
叔父たち。従兄弟たち。従兄弟の子たち。
会えて嬉しい人たちがいる。愛おしい人たちがいる。
叔父、顔をしわくちゃにして笑う顔、変わってない。
あぁ、父と瓜二つで、父に会いに来た、と思う。

私はこの人達が愛おしいんだ、と思った。
口下手であまり話さない遠縁の親戚、けれどいつも顔を見せてくれるご

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憶えている(今、ここに ないものを)

憶えている(今、ここに ないものを)

震災の後に作られた、佐藤賢太郎さんの「前へ」という合唱歌がある。
とてもシンプルな詞に、美しい旋律で、
先日甥の中学校の合唱コンサートで聴いて以来、毎日のように聴いては、止めどなく泣き続けている。

『覚えている あなたの温かな手を』

このフレーズで始まる。

『覚えている』のは、今 もう ここに いないもの を

『あなたの 手』が ある のは

わたしの こころの中 

記憶の中の 体温

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逢花

逢花

啓蟄過ぎ、
暖かい陽射しと芽吹く花、歓び。
これまでじっと耐えてきたことに対する怒り。

自由になって、眠っていたからだが動き出せる歓び。
縛りを受けていた底知れない年月の哀しみと怒り。

自由になって、涙が出る。
春が来るとは。
花が芽吹くのを謳歌(逢花)すること。
檻の中にいて凌辱され剥奪されていたことの自覚に、
怒りと絶望が噴き出すこと。

解放と共に、風に乗っていのちが、大きく広がること。

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湖

私の叔父は、9歳の時に両親をそれぞれ病気で亡くしている。彼の姉(私の母)は、当時19~20歳で、10歳はなれた姉弟2人は半年の内に突如孤児になったということになる。彼らの父親は寺の住職だったので、その寺の存続のため、彼らの父親の兄弟にあたる人たちが後を継ぎ、その家に移り住むようになり、家の様も、彼らの人生も、その時から激変したという。

今から4年前に、彼らの亡くなった両親(私の祖父母)の50回忌

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父母に養われる季節

父母に養われる季節

「愛ちゃんがお正月に日本にいるなんて」 と、周りから言われて、

そう言われてみれば、自分も、つい4か月くらい前まで、日本で冬を越すなんて

想像もしてなかったな と、 思った。

本当は、秋口にバリに戻るつもりでいた。

バリにずっといたかったし、エコリゾート施設で、ヒーリングプログラムのコーディネーターの仕事の話があったのだ。

それが、私が6月に日本に帰国した後に、その話が流れてしまった。(

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