#エッセイ
エッセイ | 作品は投稿した瞬間に自分だけのものではなくなる。
もう2年近く前のことになるが、「#作者がコントロールできること・できないこと」という記事を書いたことがある。
なかなか作者が思ったとおりには作品は読まれることがない。もっと作者の作品に込めた思いに耳を傾けたらどうだろう?、という気持ちで書いた。
だが、どんな作品であっても、それが古典的な地位を占めるような作品であればあるほど、誤読というか、換骨奪胎したような解釈をされるのはやむを得ないの
それでも私が小説を書く理由
私は小説家に向いていない。
そもそも小説家に向いている人ってどんな人だろう。
文章を書くのが上手い人?
小説が大好きで何万冊も読んでいる人?
創作のアイデアが次から次へと浮かんでくる人?
オリジナリティ溢れる表現ができる人?
人を楽しませるのが好きな人?
そんなのよくわからないけど、
終わりまで書く、それができない人は向いていない。
というのは、間違いないだろうな。
そういう意味で言っても、
チャンバラなら真剣で
音楽を聴きながら書いたので
流しながらお読み頂ければ幸いです。
Xは描いた絵を
投稿するだけの媒体というか
正直マウス画をはじめて
追いつかなくなって
ただ絵をあげたら
見知ったアカウントが
コメントしてきた
愛猫と一緒にくらしている
そのおじさんは俺よりは1回り以上年上で
時々半透明になっていることを
教えてあげるけど
本人は既に亡くなっていることに
未だに気づかずに現世を漂っている
はたらくってなんだろう。
昨年の春、夫は40年勤めた会社を、私は12年勤めた最後の職場を退職した。
今、私は、日々「人生最高の日」を更新し続けている。
生きるって素晴らしい、そして、ありがたい、と心から思っている。
そんなある日、note のお題に「はたらくってなんだろう?」を見つけた。
何かが引っ掛かった。
ざわざわした。
私の内に隠れている「それ」を見つけなければと思った。
3日間、溢れ出した言葉と考えをシャーペン