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わたしの可愛いキンクマくん

推しごと、推している物事。

現在はわたしが設定したショートの主人公、
「キンクマ」を心の中で推している。

キンクマがかわいくて仕方ない。
ネズミの目線、知能を持ったハムスターなら、
何を考え、行動するだろう。

わたしはキンクマへ役割を持たせた。
「俯瞰している」「線対称の線」

実験的にキンクマを当事者にしてみたが、
物語が入り組んでしまい、わたしは消化不良のまま
自動投稿へセットしている。


実際のキンクマも渋谷のペットショップにいて、
それから幼なじみの家に来た。

都内と広島は遠いので、
家の近くにあるホームセンターやペットショップへ何度も通ってハムスターを観察していた。

身体の動き、仕草、角度を変えて眺めては、文章を書き直した。

ハムスターになりきるために、
近所の小学校で登り棒や懸垂や雲梯をやって、どれだけわたしの体力が落ちたか知れた。

わたしが見ていた渋谷はどんな光景だったか。
スマホにある画像は飲食物ばかりで、
「これじゃない」

キンクマが遥香やタツジュンといった家族と出会えて、どんな安心感を得たか。

そして見たことがない光景を目にしたとき、
キンクマは何を思ったか。

5月の雲一つない青空の日、海へ行き、
わたしは砂浜へ座り、
どう描写しようか思考を巡らせた。

湿った波打ち際へ指を突っ込み、実際の感触を確かめた。

真っ青な海や空で綺麗ですね。
感じることはそれだけなのか。

感動ってなんなのか。
心が動くのはどうしてなのか。
わたしが景色を見て、希望を持ったのはどこで何を見たもので、それはなぜだったか。

背景ってなにかを知るため。

トイレに捨てられた経験がないから、
わたしは雨の日の仕事中。
山道から滑り落ちて這い上がり、目が沁みた痛みを思い返していた。

寒さで指が強張り、歯と歯が凍えて合わない日を振り返る。
キンクマもきっとこうだったかもしれない。

そんな目に遭って、自分のことを捨てた人間を
どれだけ深い憎しみで見つめたか推測した。


感受性がないわたしは、ここからキャラクターを構築していった。

見慣れた景色を屈んで見て、雑木林を歩いて、
優しくしてくれた人や
優しいけど素っ気ない人を思い浮かべ、
キンクマのモデルにさせてもらった実在の人の言葉を巡らせて。

降ってこない創造は、自分が推測しながら検証できることはしていくしかなかった。

人は殺せないし騙せないから、過去の犯罪を記録したサイトを読んで理解した。

わたしじゃないものを描く、想像で補えないことを体感していく。

感受性がなくても、才能がなくても、
わたしは自分の世界観を自由に書ける。
心に住むキンクマが滑車を回す限り、書く。

だからキンクマは、
わたしの理想で推しとしての価値があると思っている。

キンクマが与えてくれた目線は怖いはずの稲光が
純粋に「空気中が光るって凄くない?」
知識がなくても光が走る面白さが味わえた。
ただの外が不思議の箱に変化した。

面白さに囲まれて生きているって恵まれている。

わたしのキンクマ。小説は嘘っこの世界。

たとえプロの小説家でも、死んで生き返った経験はなく、強盗殺人者や警視庁捜査一課に所属してない。

山椒魚でなければ、蜘蛛の糸によじ登ったことも、
自分が山中の飲食店で化け物に襲われてなく、
骨折した激痛が快感に変わり射精したこともなく、
異世界での経験や転生令嬢なんていない。

小説は事実性より真実性だと言いたい。
自らが体験した事実をベースにして、想像し感性をアウトプットするもの。
創作活動を通して探究心を満たすもの。

そして小説であっても無駄を削ぎ落としながら、
シンプルに主人公の経験談をわたしが伝えたい。

さて、今日もキンクマを推そう。
わたしが推さなかったら誰が推すのよ。

創作仲間がいないから、そんなレベルにいないから
コミニュティに入っても、
わたしには知名度や実績がなく、利用価値もなく見下されるだけで、
基準が不明な『プロ』以外は相手にされないから、
読まれもしないものをキンクマ可愛さで推すの。

キンクマは留守番中に何をしているか、想像しながら。

#私の推しごと
#ましゃこさん