さがしものさがし

あたらしい世界が開けるその瞬間を和やかに、そして厳かに書き留めることができたなら、私が…

さがしものさがし

あたらしい世界が開けるその瞬間を和やかに、そして厳かに書き留めることができたなら、私が表現することの価値はあると考えています。

マガジン

  • 思いついたときに書く、直接、ここに

    思いついた時に、直接、ここに書いたものを置いています。簡単に言えば、あんまり何も考えずに書いています。

  • 文学

    一週間の日記が一番文学らしいので文学と名付けています。読んでもらうと私という人間がどのような人間と関わり、どのような人間になりたいかの片鱗がわかるかもしれません。

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    他の可能性を無視する形で走ることでその一本道に多様な可能性を呼び込もうとする天邪鬼な文章実践です。

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    自分が基本に据えているもしくは据えてしまっていることを書いています。私の基本的な論の進め方や前提について書いてあると思って貰えばいいと思います。

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    書きたいなあ、って思った時に書いたものを、残しておくところです。

記事一覧

「自分で考える」について考える

「自分で考える」について考えてみよう。 まず、ものすごく単純に考え始めるとすれば、「自分で考える」は「自分で考えない」ではないことであると言えるだろう。これが排…

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私は考えるがゆえに憂鬱である。のか?

正直にいまの思いを書いていこうと思う。散歩しながら。(後半は散歩していない。) いまの私は相当心身の体調が悪い。なぜかはわからないが相当悪い。「なぜかわからない…

『ジャムおじさんの日記』

2024/4/29「ジャムおじさんの日記」 今日もまた、読書の楽しさについて考える。 少し視点を変えて実用性について考えてみることにしよう。 読書が実用的なのはメシアな…

お風呂の中、お布団の中、海の前、

 さて、久しぶりに「眠いけど書く」という実践をしよう。大げさに言っているがただ単にうとうとしてるときに何か書いてみるというよくわからないことをするだけである。そ…

小3女子かのちゃんにこたえる

 Twitter(現X)で「心の中で考える時、言葉を使うけれど、言葉がなかった時はどうやって考えていたんですか?」という小3女子かのちゃんの問いが話題になっている(らし…

『猿真似の猿真似』

2024/4/22「猿真似の猿真似」 ご飯がまだ美味しい。良かった。 そう、もう少しねじって、もう少し引き剥がして。 生存バイアスということを真剣に受け止める。 既存の…

読書はなぜ楽しいのか 3

 今日は「読書はなぜ楽しいのか」という文章を二つ書いた。どちらもよく書けた。とても嬉しい。が、別にどちらも答えを出したわけではない。何をしたかと言われると難しい…

読書はなぜ楽しいのか 2

 「読書はなぜ楽しいのか?」という問いについて先ほどある程度こたえた。応えた。ここからはそれに答えてみよう。  ここで用いるのは享楽と快楽の差異である。ヒントは…

読書はなぜ楽しいのか

 さて、今日は時間があるので一つ、私が気になる問い、トピックを抱き締めて、いや、一緒に布団に入ってお話ししたり眠って夢を見たり、それを見たり、笑い合ったりしてみ…

()は私と共に存在するのだろうか、それとも私が本文と()として存在するのだろうか、それともそもそも区別など存在しないのだ…

 死にたいと思ったことはない。そもそも私は「〜したい」があまりない。そのなさが「死ぬ」にも適用されている。ただそれだけな気もする。  ただ、私は一つだけ言ってお…

『樽も寝な』

2024/4/15「樽も寝な」 みんなは私を誤解している。かもしれない。が、それと同時に私はみんなを誤解している、かもしれないし、私は私を誤解している。 「比較」と「対…

透明なトンネルで出会う

 ある人が書いた一連の文章を読んだ感想を書こう。  まず、私は思う。なんというか、数が少ない、と。一つ前のアカウントがあったらしい。そう思うとアカウントというの…

頭を振るという気持ちよさ

 今日はこの快感をより強固に、強力にしていきたいと思う。なぜそんなことをするかと言えば、気持ちいいからである。快楽だからである。  まずは快感があった。あるヒッ…

二週間くらい労働してみて……

バスを待つ。だいたい少し遅れる、そんなバスを待つ。 さて、まるっきり労働なしの状態からばりばり労働ありの状況になったわけだが、そこで気がついたこと、実感したこと…

『一口の未熟』

2024/4/8「一口の未熟」 素敵に生きてほしい。私が他人に思うことはそれだけである。「素敵」とは何か。私にはわからない。が、私なりにそれを生きている。私はそれを「素…

私はなぜ「ありがとう」と言われることを嫌がっているのか

 私は嫌がっている。「ありがとう。」と言われることを。嫌がっている。  今日はこのことについて、もしくはこのことから考えてみたい。まずはある程度具体的なエピソー…

「自分で考える」について考える

「自分で考える」について考えてみよう。

まず、ものすごく単純に考え始めるとすれば、「自分で考える」は「自分で考えない」ではないことであると言えるだろう。これが排中律的にそうなのか、それとも重なるところもあってその襞をなぞることが必要なのか、現時点では全くわからない。都合が良いのでとりあえず排中律的であると考えるとしよう。

(排中律の細かい話はできないのだが、私の能力不足ゆえにできないのだが、と

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私は考えるがゆえに憂鬱である。のか?

正直にいまの思いを書いていこうと思う。散歩しながら。(後半は散歩していない。)

いまの私は相当心身の体調が悪い。なぜかはわからないが相当悪い。「なぜかわからない」というのは嘘かもしれない。ただ、ストレスと言っても、それを仮に仕事のストレスだと言っても、私からすれば仕事をすること自体のストレスであるし、この言いぶり(このように言うという振る舞い)ももしかしたら嘘なのかもしれないとも思う。

だいぶ

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『ジャムおじさんの日記』

2024/4/29「ジャムおじさんの日記」

今日もまた、読書の楽しさについて考える。

少し視点を変えて実用性について考えてみることにしよう。

読書が実用的なのはメシアなきメシアニズムを獲得できるからである。

この「メシアなきメシアニズム」というのは「救世主なき希望」みたいなものである。またそういった経験の構造を指す。おそらく。高橋哲哉が『デリダ』でそう言っていた。気がする。

30代になっ

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お風呂の中、お布団の中、海の前、

 さて、久しぶりに「眠いけど書く」という実践をしよう。大げさに言っているがただ単にうとうとしてるときに何か書いてみるというよくわからないことをするだけである。それを「実践」と呼んでいるのだ。寝てしまったら、寝落ちしてしまったら、そこで途切れさせておこう。死というのはおそらくそういうものだから。

 さて、何について書こうか。そうだ。お風呂で考えたことについて考えよう。いや、お風呂では思いつきだった

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小3女子かのちゃんにこたえる

 Twitter(現X)で「心の中で考える時、言葉を使うけれど、言葉がなかった時はどうやって考えていたんですか?」という小3女子かのちゃんの問いが話題になっている(らしい)。(Twitterから引用したことがないし、埋め込み?みたいなもののやり方もわからないのでアカウント名だけ書いておこう。「A1 Katayama」さんが投稿したものである。)

 私はこの問いを見たときにスパイファミリーのアーニ

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『猿真似の猿真似』

2024/4/22「猿真似の猿真似」

ご飯がまだ美味しい。良かった。

そう、もう少しねじって、もう少し引き剥がして。

生存バイアスということを真剣に受け止める。

既存の問題は私の中で育まれる。しかし、子どもが親の鏡であるのと同じように問題は私の鏡である。

生存バイアスと振り返り、後付け。

人間の強調としての個人。

君には言わないが君は一つの主題なのである。

私は「主体」となれぬのだ

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読書はなぜ楽しいのか 3

 今日は「読書はなぜ楽しいのか」という文章を二つ書いた。どちらもよく書けた。とても嬉しい。が、別にどちらも答えを出したわけではない。何をしたかと言われると難しいが、応えた、とは言えよう。どちらも答え的なものを一応提示はしているが、それは議題のようなもの、主題のようなものである。言わば、みんなが集まるテーブルを用意した、みたいなことである。

 さて、わざわざこんなことを書いているのはもう一つ書きた

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読書はなぜ楽しいのか 2

 「読書はなぜ楽しいのか?」という問いについて先ほどある程度こたえた。応えた。ここからはそれに答えてみよう。
 ここで用いるのは享楽と快楽の差異である。ヒントは「読書はなぜ楽しいのか?」という問いに応えたあとに読んだ『ラカンと哲学者たち』の中にあった。

 ここで言われていることはカントが自らの道徳法則についての議論の際に「快楽/法」という対比が成り立つためには「道徳法則の峻厳さ=致死的な享楽」が

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読書はなぜ楽しいのか

 さて、今日は時間があるので一つ、私が気になる問い、トピックを抱き締めて、いや、一緒に布団に入ってお話ししたり眠って夢を見たり、それを見たり、笑い合ったりしてみたい。
 その問いというのは「なぜ読書は楽しいのか?」という問いである。トピックという言い方はとりあえず置いておこう。この問いはなぜ発せられたか。それをまずは確認しておこう。出会いを振り返るように。

 私は読書が好きである。読書の中でも特

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()は私と共に存在するのだろうか、それとも私が本文と()として存在するのだろうか、それともそもそも区別など存在しないのだろうか

 死にたいと思ったことはない。そもそも私は「〜したい」があまりない。そのなさが「死ぬ」にも適用されている。ただそれだけな気もする。
 ただ、私は一つだけ言っておきたい。それは自殺というのはおそらく衝動的なものであり、それが衝動的であると言われるくらいには、なんと言えば良いか、繋縛的であるのが希死念慮なのではないかということである。
 
 と書いてやっと「希死念慮」が何であるかを調べた。すると、これ

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『樽も寝な』

2024/4/15「樽も寝な」

みんなは私を誤解している。かもしれない。が、それと同時に私はみんなを誤解している、かもしれないし、私は私を誤解している。

「比較」と「対比」はどう違うか。「比較」は主題が安定しているのに対して「対比」は主題が安定しているか否か、安定しているならなぜ安定しているか、と問うことを触発する。

そうか。君たちは問いを作るとか、問いを仕立てるとか、そういうことをしないん

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透明なトンネルで出会う

 ある人が書いた一連の文章を読んだ感想を書こう。

 まず、私は思う。なんというか、数が少ない、と。一つ前のアカウントがあったらしい。そう思うとアカウントというのは一つの区切りであり一つの区切りでしかない。私はかつてこの「区切り」が毎日、毎時間、毎分、毎秒は誇張だがとにかく、「すべては別のものである」みたいなことを思っていた。「すべて」は二重の意味があって全体と全体を構成する要素を意味している。次

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頭を振るという気持ちよさ

 今日はこの快感をより強固に、強力にしていきたいと思う。なぜそんなことをするかと言えば、気持ちいいからである。快楽だからである。
 まずは快感があった。あるヒップホップを聴いていて頭を振るとなんだか、なんというか、独楽が回っているような、そんなふうに思った。少しふらふらしつつ、ただ(、)回っている。そんな感じがした。それが快感だった。
 そして気がついた。ああ、このゆらゆら、ぐわんぐわんする感じは

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二週間くらい労働してみて……

バスを待つ。だいたい少し遅れる、そんなバスを待つ。

さて、まるっきり労働なしの状態からばりばり労働ありの状況になったわけだが、そこで気がついたこと、実感したことを考えることのエネルギーにしてみたい。

心底思ったのは私は体力がないということである。この「体力」というのはもちろん「体を動かす力」でもあるし、それと同時に「精神を保つ力」でもある。私はどちらもない。もちろん、新人がいきなりこれらを持っ

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『一口の未熟』

2024/4/8「一口の未熟」

素敵に生きてほしい。私が他人に思うことはそれだけである。「素敵」とは何か。私にはわからない。が、私なりにそれを生きている。私はそれを「素敵だ」と言う。ここには少なくとも二つの方向性がある。一つは「素敵に生きよう」としてそう生きる方向性。もう一つは「生きる」が「素敵だ」と言われるという方向性。別にどっちでもいいと思う。し、どちらでも取りこぼしがあることを知ることが「

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私はなぜ「ありがとう」と言われることを嫌がっているのか

 私は嫌がっている。「ありがとう。」と言われることを。嫌がっている。

 今日はこのことについて、もしくはこのことから考えてみたい。まずはある程度具体的なエピソードを確認しよう。私がこの嫌さに気がついたときのエピソードである。

 私は近所の行きつけのラーメン屋さんに入ろうとしていた。すると、あちらから足の悪そうな高齢者の方が一人で歩いてきた。私はドアを開け、その方が出られるまでそのドアを持ってい

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