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「自分で考える」について考えてみよう。 まず、ものすごく単純に考え始めるとすれば、「自分…
正直にいまの思いを書いていこうと思う。散歩しながら。(後半は散歩していない。) いまの私…
さて、久しぶりに「眠いけど書く」という実践をしよう。大げさに言っているがただ単にうとう…
Twitter(現X)で「心の中で考える時、言葉を使うけれど、言葉がなかった時はどうやって考え…
今日は「読書はなぜ楽しいのか」という文章を二つ書いた。どちらもよく書けた。とても嬉しい…
「読書はなぜ楽しいのか?」という問いについて先ほどある程度こたえた。応えた。ここからは…
さて、今日は時間があるので一つ、私が気になる問い、トピックを抱き締めて、いや、一緒に布団に入ってお話ししたり眠って夢を見たり、それを見たり、笑い合ったりしてみたい。 その問いというのは「なぜ読書は楽しいのか?」という問いである。トピックという言い方はとりあえず置いておこう。この問いはなぜ発せられたか。それをまずは確認しておこう。出会いを振り返るように。 私は読書が好きである。読書の中でも特に純文学と哲学が好きである。何が純文学か、何が哲学か、と言われるとそれはそれで困
死にたいと思ったことはない。そもそも私は「〜したい」があまりない。そのなさが「死ぬ」に…
ある人が書いた一連の文章を読んだ感想を書こう。 まず、私は思う。なんというか、数が少…
今日はこの快感をより強固に、強力にしていきたいと思う。なぜそんなことをするかと言えば、…
バスを待つ。だいたい少し遅れる、そんなバスを待つ。 さて、まるっきり労働なしの状態からば…
私は嫌がっている。「ありがとう。」と言われることを。嫌がっている。 今日はこのことに…
私は思うのです。素敵に生きたい、と。そして私は思うのです。詩人になりたい、と。すると囁…
私は歩く。私は乗る。私は歩く。着く。そういうことをしていると、いや、そういうことがしばらく反復されるのだと思うとなんとなく、なんとなくこういう生活でしか書けないことがあるような、そんな気になる。 この信念を支えるのは単純な思い込み、もしくは洞察である。それは「生活」と「読み書き」は連動しているという、そういう信念である。信念を支える信念というのも変な言い方だが、どちらも信念であることに変わりはない。だからそういう言い方をさせてもらおう。 さて、私は最近「緩やかさ」みた