頭を振るという気持ちよさ

ヒップホップを聴いて頭を振っているとふと、「ああ、頭がある程度重く、頭がある程度中心に向かってたわんでいるから『頭を振る』は快感なのだ。」ということに気がついた。そしてそのたわみ、中心、重みの中にも同じ構造があるような、そしてその構造同士の共振にも同じことが起きて……みたいなことを思うとどうしようもなく気持ちよくなった。気持ちがよくなった。

 今日はこの快感をより強固に、強力にしていきたいと思う。なぜそんなことをするかと言えば、気持ちいいからである。快楽だからである。
 まずは快感があった。あるヒップホップを聴いていて頭を振るとなんだか、なんというか、独楽が回っているような、そんなふうに思った。少しふらふらしつつ、ただ(、)回っている。そんな感じがした。それが快感だった。
 そして気がついた。ああ、このゆらゆら、ぐわんぐわんする感じは頭が重たいから、中心に畳み込まれるような、そんなイメージがあるからわかるし、それゆえに快楽なのではないか、と。
 するとその快楽を加速させるように構造の反復と構造同士における構造の反復に思い至って、このようなことを言うといかがわしく思う人が多いと思うが、なんだか宇宙的な感じがした。簡単に言えばスピっていたのである。
 ただ、そこに気持ちよさはあった。明確に。曲を聴いて頭を振る。ただそれだけのことにここまで気持ちよくなれること、それはとても気持ちのよいことであった。
 ここには直接的な快感と間接的な快楽がまとまっている。二つが二つの極になる。そしてその極をまたいだりゆらゆらしたり、そんなよくわからないリズムがある。それがおそらく、外から見るとただ単に頭をぶんぶん振っているように見える。
 さて、そのときに思っていなかったことまで書いたので終わろう。私は「外からから見ると」ということを気にせずに頭を振っていたのだから。「快感をより強固に、強力にしていきたい」という当初の目的は達せられなかったのだから。当初の目的はすでにたわんでいたのだから。

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