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一本道

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他の可能性を無視する形で走ることでその一本道に多様な可能性を呼び込もうとする天邪鬼な文章実践です。
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記事一覧

私の哲学観-珍しく具体例とともに

 さて、と言っても、皆さんは全然「さて、」と思っていないかもしれない。が、まあ、わざわざ…

すべての言葉は比喩かもしれませんが!

 さて、先ほどからなぜか、なぜかわからないが何か書きたくなって、三つくらい文章を書いたの…

「なんというか、」から始めよう

 私は文章を書くとき、特に「日記」を書くとき、「なんというか、」から始めることが多い。そ…

One more time,One more chanceを聴いて 2

 私の書いた名作に「One more time,One more chanceを聴いて」という文章がある。私はこの文…

私の哲学的信念

 「私の哲学的信念」というタイトルでものを書こうと思う。私にしては珍しくタイトルが先に浮…

横でマルチの勧誘が行われている、おそらく

私はいま、カフェにいるのだが、私の左隣のテーブルがおそらく、おそらくだが、マルチの勧誘を…

哲学という仕方なさ

 昨日書いた文章、「自己中だという批判の当たらなさについて」が良い文章だった(と記憶している)ので、読んで考えたことを書こうと思う。なぜなら、それを推敲したときに「ここの論点はもっと展開できる。し、したらいい感じになりそうだ。」と思ったところが複数あった(と記憶している)からである。この冒頭の段落はまだ読まずに書いている。だから「記憶している」などと書いているのである。さて、とりあえず読んでこよう。次の段落からは読んだ後である。  大して傑作ではないかもしれない。私は「これ

自己中だという批判の当たらなさについて

 私はされたことがありませんが、いや、ないと思っている、いや、ありました。「自己中だ」と…

「他者」について-お昼ご飯休憩の1時間で文章を書く

 さて、書きたいことがある。ただ、時間はない。推敲を含めて一時間。アルバイトのお昼ご飯休…

推敲後記

 二日前ほどだろうか。誰かに依頼をもらってエッセイを書こう!という気概が満ち満ちていたの…

夜、澄んだ私が書いている

 私は「明るい」。それはあらゆる意味でそうである。その一つだけここに書こう。  いや、や…

評価する私・評価される私

 評価というものとどのように向き合うか。これは大切な課題かもしれない。私のしていることを…

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一つの快楽と私

 私が愛するのはある一つの快楽である。その快楽は自分が自分ではないことを知るという快楽で…

頭が痛い時に書いた文章

 えーと、考えよう。と、思ったのですが、考えることを忘れてしまいました。なんというか、覚えているんですけれど、こんなんだと書こうとすら思わないんじゃないかなあ、とか思って、なんとなく渋ってます。というのは演技で、これは被害妄想的だなあ、とか、いや、記憶の奥底に、なんというか、見たことはある気がするなあ、みたいな、よくわからない感じ。そういうものがあり、私の周りを笑って、周りの人が笑ってくる。みたいな感じではないです。なんというか、これは遊戯であり、もしかしたら病気なのかもしれ