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私を作った先生たちー女王の教室編③
あともう2つ、U先生についての忘れられない話がある。
そのうちの1つ、
U先生の素敵な授業と独特な評価基準の話をする。
まず、U先生は美術が好きだ。
最初の授業の日に先生が生徒に問いかけた。
「誰か、黒板に人参を描いてみて。」
この、正解が無さそうな問いに
「え・・・人参ってあの人参だよね・・・?
や、野菜の・・・?」と
戦々恐々としながら数名が黒板に描いた。
皆こんな感じで描いていたと
帰国。そして久々の就活。
諸事情により、日本に本帰国した。
今はアルバイトを掛け持ちするフリーターをやっている。
大学時代、いろいろあって
実は人生初アルバイト探しだったのだが、
いまだに悶々としていることがあるため
ここに記す。
現在、私は金髪であるため、
一応気を遣ってバックヤード系の仕事を選んで
応募していたのだが、
まあ金髪ということで一発アウトを食らう食らう。
見た目に関して特に記載がないところに応募すると
私を作った先生たちー女王の教室編②
U先生についてのエピソードはまだまだある。
その年の夏休み明けに、私たちのクラスに外国人がやってきた。
韓国人のキム君だ。
キム君はお父さんもお母さんも韓国人で、誰も日本語を話せなかった。なぜこんな九州の田舎に韓国人家族が引っ越してきたのかは不明だったが、このような状況にも関わらず、私たちのクラスに日本語をサポートする大人は来なかった。そのため、U先生のクラス運営はかなり大変だったと思う。
【番外編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話
母と癌と韓流ドラマ
少し話は変わりますが、コロナ禍に私の母が癌になり、実家に戻ってリモートワークをしていた時期があります。(そんな制度ないのに許可してくれた会社に感謝)
気丈に振る舞っていた母もやはり抗がん剤の治療中はかなり辛そうでした。退院後、安静にしていてほしいのに家にいるとつい「何かしなくては!」と思ってしまうようで掃除や買い物をしようとするので
「あのさ、全然無理しなくていいんだけど
【後編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話
そんなこんなで時は過ぎ、私は東京で働いておりました。
ある年の夏、毎年恒例の数社での懇親ランチ会で私が勤めていた会社が幹事だった時がありました。毎年部長クラスを入れた30名程の飲み会を
銀座某所で開催するのですが、当時社内で年次が一番下の私(=雑用係)がこの会を取り仕切らねばなりませんでした。
オフィシャルの飲み会の幹事って、本当にストレスフルですよね。
はじめの挨拶を誰にするか、1つとって
【中編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話
どこまでも韓国を避けてきた私にとって
最も驚きだったのは
在日韓国人が日本名と韓国名を持っていることでした。
「そんなことってある?!」
というのが私の正直な感想で、
私はどこまでも無知であることを突きつけられた気がしました。
そして、気付いたのは
実際に目の前にした在日韓国人の彼らを
「韓国系だから」というだけで嫌う理由が
私にはないということでした。
その後、大学のプログラムで
10日間
【前編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話
チェコでテスト期間真っ最中の私ですが、
最近のYGのニュースをチラチラと読んでいます。(勉強せろ)
そんな中で思うことがあり、記事にしてみました。
タイトルにもある通り、
私は元々韓国が嫌いな人間でした。
今からおよそ20年前、
当時小学生だった私が初めて韓国という国を認識したのは
2002年に開催された「日韓ワールドカップ」の時です。
その時にテレビで見た
日本の国旗を踏みつけて燃やす大人