見出し画像

九州の田舎に生まれた女が考える「チェコの住みやすさ」

「A氏さん、性別の欄が抜けていますよ。ちゃんと丸をつけてください」

小学生の時に、学校の先生にそう言われた。女でいることが嫌だったわけではなく、男になりたかったわけでもない。自分を「男」または「女」というカテゴリーに収めることが嫌だったのである。いつもなら何も考えず「女」に丸をしていたが、その時の私は魔でも差したのか、一瞬手を止めて、「男・女」と書いてある欄の「・」に丸をつけて提出していた。


九州の田舎に生まれた次女の”定め”

私は双子だ。相方は男、家では長男にあたる。彼は多分気づいていないが、私は幼い頃からずっと疑問に感じていた。

「同い年なのに、どうして男というだけで相方の方が大切にされるのだろう?」

私の生まれは九州の田舎だ。出身者なら何となく分かると思う。九州の田舎に生まれた長男への家族の可愛がりは異常だ。例えば、喧嘩になった時、口が達者だった私は毎度彼をコテンパンに言い負かす訳だが、なぜか祖父母や両親は相方が可哀想だという。私は悪くない、悪いのはこいつだと言っても、

「それぐらいにしておきなさい!」

と怒られる。悪いことをやった奴は怒られるなり罰せられるなりして当然なのに、なぜなのか。なぜ私が怒られるのか。

私は少しでも自分に非がある場合には喧嘩をしなかった。負ける可能性が少しでもある喧嘩は嫌なのである。絶対に勝てる喧嘩しかやらなかった。しかし彼と喧嘩をすると、親達が入ってきて彼を庇い、いつも、どうしても、私が負けたような雰囲気になり、彼からの「ごめん」の一言を聞けないのだ。

男尊女卑の家庭に生まれた男女の双子

相方は、お世辞にも器用なタイプではない。どちらかというと鈍臭い。センスがないのだ。そんな彼を横目に、私は全てのことにおいて彼の何倍もの努力をして常に彼に勝ち続けてきた。例えば5歳の私は、彼よりも早く補助輪無しで自転車に乗れるようになるために、外が暗くなるまで1人で黙々と練習したし、15歳の私は、親の経済的負担を少しでも減らすべく、私立高校の特待生(無料で高校に行ける)になるために毎日毎日死ぬ気で勉強した。

「私立に行くなら特待生として合格しないと学費払えないからね?」

という親からのプレッシャーに

「落ちたらどうしよう、特待生になれなかったらどうしよう」

という不安に押しつぶされて、泣きながら勉強した夜もあった(もちろんそんな姿を家族に見せることはない訳だが)。そんな私の隣で彼は何も考えず、ただ何となくみんなが行くから公立高校を選んで、野球をやりたいからそこそこに野球部が強い学校に行き(強豪校ではない)、今の自分の偏差値レベルと同じ高校を選んでいた。向上心の欠片もない奴だった。

私が特待生での合格というはっきりとした結果を出しても、例えばまた何かで相方と喧嘩になると家にいる大人達は

「うちの跡取りに何てこと言うのか!」

と私を罵る。何なんだこれは???

実家にいる時の私は、家に対する「?」で頭がいっぱいだった。

大人になって気づいたことがある。私には、さらに姉と弟がいるのだが、どう転んでも、どんなに努力をしても兄弟カーストで私は一生最下位なのである(妹が生まれるのを待つしかない)。別に跡取りになりたいともカースト1位になりたいとも思ったことはない。ただ、生まれた順番や、女として生まれたことなど、不可抗力である事実に基づいて、あたかも私が劣っているためレースに出場する権利さえ与えられない、というような、この状況が胸糞悪いのである。これは私がたとえどんなに優秀な人間になったとしても、変わらない事実だと年をとるにつれ理解した。


平等でオープンなチェコ。

前置きが長くなったが、私が考える「チェコの住みやすさ」について話そう。プラハ以外のエリアや年齢が上の人たちがどうかは分からないが、プラハは全体的に色々なものがオープンだと感じることが多く、私は住みやすさを感じている。例えば街中ではレズビアンカップルやゲイカップルをよく見かけるし、何より男女の友情が成り立つことが私にはとても心地が良い。私が1番仲が良いチェコ人はゲイ(バイ?)だが、彼といると、彼が男であることを認識する必要もないし、私が女であることを認識する必要もない。恋愛対象であろうとなかろうと、キノコ狩りやカフェに誘うし、何なら実家にも誘う。彼がゲイなのかバイなのかなど、私たちの友情において全く問題ではないため、彼の性的趣向について深く聞いたことがない。そんなこと、気にすることではないのだ。

『人は見た目が9割』な日本、チェコは・・・?

さらにチェコはピアスやタトゥー、青やピンクの髪色の人にもかなり優しい社会だと感じる。優しい、というより、気にしていないという感じだ。私は一般的な平均よりもピアスのホール数が多いし、ちょっと前まではスパイラルパーマがぐりんぐりんにかかっていて、周囲の日本人よりも派手な見た目をしていたはずだが「せっかくアジア人なんだから綺麗なストレートの髪がいいよ」とか「痩せてる方が可愛い」とか、そんな価値観を押し付けてくるのは韓国やベトナムなどアジアの国の人々だけだ(そういう誰かが作った価値観でしか生きてきていないのだから仕方ないと私は割り切っている)。

現在、チェコの語学学校で働いているが、校長や事務員達と話すとき「ああ、私の中身を見てくれているな。いやむしろ中身や私の仕事のクオリティしか見えてないな。物体としての私、見えてる?w」と感じることが多く、これは日本での職場では感じることがなかった感覚である。チェコでは「人は中身が9割」だと思う。

ただし!

この「チェコでは人は中身が9割」にはトリックがある。この9割の内訳だが、5割が「チェコ語を話せるか」にかかっている。流暢である必要は全くなく、簡単な挨拶だけでもいい。とにかく、チェコに興味があってチェコのことが好きだから今ここにいる!ということを表さないといけない。簡単にいうとリスペクトである。チェコ人は基本的に牧歌的というか、平和を好む大らかな人が多いため、意地悪をされることは少ない(ないとは言わない)が、まあ笑わない人が多いので「ぶっきらぼうな人が多い」とか「冷たい」とか思われる方が多いように思うが、そうではない。あなたが彼らへのリスペクトを表せば、彼らの態度はびっくりするぐらい変わる。「観光地なんだから英語くらい話せるようになっておきなさいよ」という態度ではダメなのである。

最後に。

「A氏さん、性別の欄が抜けていますよ。ちゃんと丸をつけてください」

という先生の発言を私は今でも忘れていない。私は「・」に丸をつけていたのに、先生はそれを「丸がついていないもの」と判断し、私を無視したのだ。繰り返すが、私は女であることが嫌だった訳でも、男になりたかった訳でもなかった。私にとって、自分が女だと認識することは自分が「劣っている」と認識することだった。「女」に丸をつけさせられ、自分が劣っていると言わされることが心底不愉快だったのだ。あれから20年近く経つが、今時の先生達は流石にこんな対応はしないだろう(と信じている)。

チェコでも、田舎に行けばきっともっと男女差別はあるのだと思う。それでも、私が子供時代に受けていたアレよりは遥かにマシだと思うし、チェコは共産主義時代に「性別問わず全員働く」というカルチャーが根付いたため、労働に対する平等性は高いように思う(賃金格差はあるようだが、それがなぜなのかは今の私には分からない)。そういえば専業主婦のチェコ人(またはチェコ人と結婚した日本人など)を私は1人も知らないし、平日昼間にお父さんが1人でベビーカーを押しながら買い物をしたり、トラムに乗り込むベビーカーを見て瞬時に複数の男性が手を貸す風景はチェコではただの日常だ。チェコ語というかなりトリッキーな難関はあるが、チェコは本当に住みやすい国だ。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?