見出し画像

私を作った先生たちー女王の教室編①

新聞社には、自紙の過去記事データベースがある。検索したいワードを打てば、そのワードが入った記事が瞬時に出てくる。退職する前に、ふとある先生の名前が頭に浮かんで、検索してみた。するとその先生は2020年春に定年退職をされていたことが分かった。もう教鞭を執っていらっしゃらないのだと思うと、とても残念で心の奥の方が少しギュッとなった。

私は子どもの頃から担任の先生には恵まれてきた方だと思う(勿論酷い奴もいたが)。基本的に「学校の先生」という存在が嫌いな私だ。それでも、私が私になるまでに何人かの先生にお世話になったのは事実だ。そして私はおそらく、どちらかというと「無敵の人」の部類に入る。その価値観を隠すことなく誰にでも割とオープンに話すので、よく「何が今のA氏を作ったのか、どんな人生を歩んできたのか」について質問を受けることがある。なぜ「無敵の人」である私が犯罪行為を犯さず、こちらに止まっているのかを考えると、大きな要因の1つとして、いい先生に巡り会えたことが挙げられる。そんな先生たちについて、ずっと文章にまとめたいと思っていた。そしてやっとここでシリーズとして書き留めることにした。


U先生

その先生は私が小学5年生の時に1年間担任をしてくださった。お尻に届くほどの真っ黒でまっすぐな髪。青白い肌。少し痩けた頬に目のクマ、甲高い声。元バスケ部らしい高身長で筋肉質な体格。飾りっ気のないジャージ姿。そして鋭い目つき。この健康なのか不健康なのかわからない見た目、それがU先生だ。

先生は校内で常に目立つ存在だった。しかしそれは、見た目がかなり独特だから、という理由ではない。「めちゃくちゃ怖くて厳しい」で有名だったからだ。そのため、5年生になったその日、U先生が教室のドアを開けた瞬間にクラスの空気が凍った。

まさかこの先生が私たちの担任・・・?
2年間も耐えられるのか・・・?

クラスの皆の思考は一致していた。まさにドラマ「女王の教室」の阿久津先生の登場シーン、そのものだった。

U先生は、体育と美術と国語を特に愛する先生だった。例えば、私のいた小学校では、5年生の夏には市内水泳大会、6年生の秋には市内球技大会(バスケ)があり、私たちはプール開きをするなり大会に向けた特訓を始めさせられたし、大会が終わった後にはすぐにバスケの特訓が始まった。先生の目標は明らかに「スポーツを通して仲を深めること」ではなかった。「勝ちにいくこと」だった。

来年のバスケ大会に向けて、私たちはまるでミニバスチームに入ったかのような練習を積んだ。ウォーミングアップ、ドリブル、パスの練習を自分たちでこなし、それは体育という科目のルーティーンと化していた。しばらくすると「どうやったらこのボールがあの籠の中に入るのか?」ということについて考える時間を与えられた。皆で試行錯誤した結果、ある角度(斜め45度)から、あの板の枠内にボールを当てれば、どうやらかなりの確率で入るらしいことが分かった。それからは延々とコートの半面では45度の角度からボールを放つ練習を、残り半面ではバスケ経験者やある程度球技が得意な生徒が1on1や3ポイントシュートの練習を行なった。先生の目は鋭く生徒一人一人を観察し、45度の練習をしている生徒がほんの少しでもズレたところからシュートしようものなら

「下手くそがそんなところからシュートを打って入るわけがなかろうがー!下手くそは下手くそなりにやらんかー!」

と甲高い声で怒られた。私は隣で3ポイントシュートの練習をしながらその様子を見ていたが「なんてことを言うんだ!」と憤る一方、「下手くそは下手くそなりに、無駄な動きをやめて基本を守ってやんなさい」という先生の教えは、11歳の私にはとても真っ当なものに感じられた。今こんなことを先生が言ったら問題になるのかもしれないが「みんな違うんだからさ、そのままでいいんだよ。無理しなくていいよ、頑張らなくていいよ」とある種の”放ったらかし教育”をされるより、私は「下手くそでもテクニックをつかんだり、理論を知って戦えば十分戦力になるんだよ。元から上手い人たちとは違う戦い方があなたたちにはあるんだよ」と思わせてくれるU先生の教育の方が有意義なものに思えた。実際、他のクラスと練習試合をした時、上手い生徒というのはだいたい敵チームにがっつりマークされて動きにくいのだが、その代わりに、運動があまり得意ではないノーマークの生徒たちが45度の角度に待機し、こぼれ球をシュートし決めるシーンは何度もあって、私たちはその瞬間を心から喜んだ。私たちは学年で1番に強くなったし、昼休みに外に出ないような子達も校庭で一緒にバスケをやることもあった。

子どもの頃は、U先生はただ「バスケで勝つ方法」を教えてくれただけだと思っていたが、社会人になって思い返すとU先生はバスケを通して「今たとえ自分がまあまあ自信があることでも、社会に出ると必ず上には上の人がいる。または、自分が苦手なことでもやらなければいけないシーンがきっと社会人になると出てくる。そしてきっとその事実に落ち込むだろう。でもそれにちゃんと向き合って自分なりの生き方や戦い方を見つけて頑張りなさい」というメッセージだったのではないかと思う。残念ながら、生徒数が増えた影響で6年生に上がる時にクラス替えがあり、U先生も他の学校に異動となり、さらになんと球技大会がバレーボールに種目変更されてしまったため、私たちがこのチームで戦うことはなかったのだが。

今書いていて気づいたが、そう、あれはクラスではなくてチームと言う表現の方がふさわしいクラスだった。

(②に続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?