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私を作った先生たちー女王の教室編③

あともう2つ、U先生についての忘れられない話がある。

そのうちの1つ、
U先生の素敵な授業と独特な評価基準の話をする。

まず、U先生は美術が好きだ。
最初の授業の日に先生が生徒に問いかけた。
「誰か、黒板に人参を描いてみて。」

この、正解が無さそうな問いに
「え・・・人参ってあの人参だよね・・・?
 や、野菜の・・・?」と
戦々恐々としながら数名が黒板に描いた。


イメージ

皆こんな感じで描いていたと思う。

そして先生が言った。
「うん。そうね。確かにこれは全て人参。
 じゃあこれはどうだろう?」

先生がチョークでぐるぐると円を描き始め
竜巻のような絵ができた。


こんな感じ。

そこに葉っぱをつけると、
そこには確かに人参の絵があった。

「はい、これも人参です。
 目指すものが一緒でも、
 表現の仕方は人間の数だけ無数にあって面白い。
 それが芸術。」

この10分程度の授業の導入に、
私は非常に魅了されたのを覚えている。
(実際30歳を超えてもいまだに覚えている)


そんなある日、
学年全体で絵画コンクールに参加することになった。
私たちのクラスは全員、
小学校から徒歩数分のところにある
神社のお社の絵を描くことになった。

「スケッチボードと鉛筆を持って
 好きな画角を探しなさい。
 どこに座っても良し。
 私語は厳禁。
 時間はたっぷり使って良し。」

私語厳禁、というところに
私たちはやたら強い圧を感じつつ、
大慌てで自分のポジションを探した。

30人ほどの生徒が
私語はおろか物音さえ立てない時間が続いた。

「下書きができた人は先生に見せに来るように。」

そう言われていたが、
「この下手くそ」と怒られるのが恐ろしくて
誰も見せに行かない。

皆ほぼ終わっているのに
「お前、行けよ」
「いや、お前が行けよ」
と小突きあって、おそらく無駄な3コマ程が流れた。

「今日もまた完成している下書きを眺めながら
 誰かが立ち上がるのを待つのか・・・・。」

と、さすがに飽きてしまった私は
周りに「まじ?正気?」と小声で言われながら
仕方なく立ち上がった。

クラスメイトの全視線を感じながら、
先生に見せると

「うん、いいですね。
 この梁の部分はもうちょっとよく見て描いてみて。
 あと背景が少し寂しいから、
 木を入れるとか、空の色を工夫するとか
 ちょっと考えたほうがいいかもしれないね。」

といったコメントをもらった。

「あれ・・・?
 バスケの時みたいに
 『この下手くそー!』とか罵られないのか・・・?」

クラスメイトの気持ちは
皆こうだったと思う。

私が自分のポジションに戻ると
近くで描いていたクラスメイトたちに

「A氏まじ勇気あるな。ありがと。」

と感謝された。

その後、ぽつりぽつりと
本当に恐る恐る生徒たちは下書きを見せに行き、
静寂の中で本当に長い時間をかけて
私たちはそれぞれの絵を完成させた。

クラスメイトの絵は、
どれもとても素晴らしかった。

その2〜3か月後、
コンクールの結果が返ってきた。
私は入賞していた。
金賞だったか、銀賞だったか
細かいことは覚えていないが、
一生懸命描いた分、受賞の喜びも大きかった。

ふと画用紙の裏側を見ると
丸囲みで「推」という赤字が書いてあった。

「推」という漢字を知らなかった私は

「私は何か悪いことをしたのか・・・?」

と不安になり、先生に恐る恐る尋ねた。

「先生、これはどういう意味でしょうか・・・?」

「ああ、これね。
 これは "先生の推薦がある作品" という意味よ。
 最初、みんなが小突きあっている時に、
 A氏さんは下書きを1番に見せに来たでしょう?
 誰のどんな状態の絵であっても、
 下書きを1番に見せに来た生徒の作品は推薦することにしていたの。
 まあA氏さんはしっかり描けていたから
 私の推薦なんかなくても入選していたと思うけど。」

と、さらりと言われ、
言葉に言い表せないほどの喜びを感じた。
阿久津先生に褒められた・・・だと!?

家に帰ってすぐに母親に自慢した。
(「推」が嬉しすぎて、結局自分が何賞だったのかを忘れたが)

自分が勇気を出して踏み出した一歩を
実はしっかり見てくれてる人がいて、
こんな風に評価してくれる人がいること。

この体験は今の私に繋がる強烈な体験だった。

大人になって、男性中心の会社の中で、
ちょっとでも成功しようものなら
「まぐれ」だの
「あいつは天狗になってる」だのと言う
くだらない男の嫉妬の的にされ、
心底不愉快な気持ちに何度もさせられたものだ。

それでも腐らず、前向きに頑張ったのは
”絶対に私をちゃんと見てくれている人がいる”
という絶対的な自信があったからだ。

別に会社で偉くなりたい訳でもないし、
社内で認められなくても
社外で私を評価し、応援し、
「A氏さん好きだわ〜」と言ってくれる人が
1人でもいればそれで良いと思って
男社会で、涼しい顔をした女として生きてきた。

最初は先輩たちから「理解不能」と言われていたが
退職する頃には
私の周りには味方しかいないと思えるほど
本当の私を見て、一緒に面白がってくれる人達に囲まれた。
本当に仕事がしやすい環境で、楽しかった。

自分の人生を見返した時に
もしあの体験がなければ
誰かや何か、たとえば環境のせいにして
私は早々に腐っていたと思うし
この世にいなかった可能性もあったと思う。

どんな理不尽な仕打ちにあっても
「私は私のままで大丈夫。だってちゃんとやってる」
と力強く生きてこれたのは、
U先生のおかげである。


その④に続くー。


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