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私を作った先生たちー女王の教室編②

U先生についてのエピソードはまだまだある。

その年の夏休み明けに、私たちのクラスに外国人がやってきた。
韓国人のキム君だ。

キム君はお父さんもお母さんも韓国人で、誰も日本語を話せなかった。なぜこんな九州の田舎に韓国人家族が引っ越してきたのかは不明だったが、このような状況にも関わらず、私たちのクラスに日本語をサポートする大人は来なかった。そのため、U先生のクラス運営はかなり大変だったと思う。

キム君は、別にアニメに興味があるなどでもなく、本当に親の都合で日本に来させられたといった印象だった。比較的オープンな性格ではあったので、サッカーやバスケに誘えば来てくれたし、私たちも身振り手振りでなんとかコミュニケーションをはかった。しかし日本語は難しかったようで、なかなか言葉でのコミュニケーションは出来なかった。

それからしばらく経って、卒業式の飾り付け用の紙の花を1人20個ノルマで作らされていた時のことだ。私はキム君の日本語が突然上達し始めたことに気づいた。

こういう紙の花

「あれ?なんかキム、めっちゃ日本語喋れるようになってない?」

彼が言うには、彼がこのクラスにやってきてから、U先生がほぼ毎日彼の家に来て、文字を教え、単語を教え、会話の練習をしてくれたのだそう。今私自身が日本語教師をしていて、日本語を短期間であのレベルにまで引き上げることがどれだけ難しいことか分かるため、朝から夕方まで通常勤務をした後にさらに日本語を教えるという、U先生の体力と頭の良さには感服する。

当時、韓国と日本の関係は大して良いわけでもなく、「嫌韓」「反日」といった言葉がテレビでもよく聞かれ始めた時代だったと思う(私がテレビに洗脳されて単純に韓国を嫌いだっただけかもしれないが)。そんな状況の中、ある日の家庭科のクラスで、キム君のお母さんを招き、キムチを漬けてチヂミを焼くことになった。キムチを食わず嫌いしていた私だったが、キム君のお母さんが漬けたキムチが抜群に美味しかったのを覚えている。チヂミも「こんなぺったんこのお好み焼き、美味しくないよ」と思っていたが、とても美味しかった。U先生は、キム君がクラスにいることを完全にプラスに変えて、他のクラスや教科書では学べないことを教え、経験させてくれた。


(※私が韓国嫌いだった頃の話)


残念なことに、キム君はその後6年生の担任の先生に恵まれず(本当に酷い先生だった)、中学もあまり楽しそうでなく、高校で暴力事件を起こしたと風の噂で聞いた。U先生が6年生でも担任をして、日本語をしっかり話せるようになっていたら、彼の人生は変わっていたと思う。今思えば、私が「日本語教育」に興味を持ったのは、この出来事がきっかけだったかもしれない。

もう1つ、先生が私に大きな影響を与えたものがある。それは海外旅行を趣味にすることだ。U先生は海外旅行が好きだった。休み明けに、トルコの伝統菓子「バクラヴァ」をクラスの皆にくれた時には、こんなお菓子が世界にはあるのかと、とても驚いた。長期休みやGW明けには、必ず海外のお土産を生徒に振舞ってくれた。今思えば、こんな九州の田舎に住む子どもたちに、もっと広い世界があること、日本にはない文化を持った人たちが世界にはたくさんいることを、先生は教えてくれたのだと思う。


ここまで書くと、なんだかU先生はただただ優しい先生と思うかもしれないが、違う。厳しくとても怖い先生だ。本当に阿久津先生そっくりな雰囲気を放っていたため、私たちはこの1年間、本当に常に緊張感を持って登校していたし、お土産を受け取る時も「いいんだよね・・・?怒られないよね・・・?お前最初に取れよ・・・」とお互いの様子を伺いながら、誰が1番最初に取るか、恐る恐る受け取ったものだ。今思うと本当にいい部分しか思い出せず、なかなかあの恐ろしい雰囲気を説明することが出来ない。

(③に続く)

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