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【後編】韓国嫌いだった私が「私はね、”K-POPが好き”なんじゃなくて、”BIGBANGが好き”なのよ」と語るレベルにまで成長し、奇跡的に銀座でばったりテソンに会った話

そんなこんなで時は過ぎ、私は東京で働いておりました。

ある年の夏、毎年恒例の数社での懇親ランチ会で私が勤めていた会社が幹事だった時がありました。毎年部長クラスを入れた30名程の飲み会を
銀座某所で開催するのですが、当時社内で年次が一番下の私(=雑用係)がこの会を取り仕切らねばなりませんでした。

オフィシャルの飲み会の幹事って、本当にストレスフルですよね。

はじめの挨拶を誰にするか、1つとっても事前の根回しとして

「あの、今度の歓迎会でぜひご挨拶を・・・ダメですか?
 あ、B社の〇〇部長をご指名ですか・・・なるほど・・・。
 ちょっと確認いたします・・・。」

「あの、今度の歓迎会でぜひご挨拶を・・・。
 あ、そうなんですが、A社の〇〇部長からのご指名で・・・。
 そうですよね・・・分かりました・・・。
 ではもう一度A社の〇〇部長にご相談してみます・・・。」

という感じで、偉い人たちの間の板挟みにあったりします。

四苦八苦しながらなんとか司会を務めた後、会計を済ませ、最後に忘れ物がないか確認し、幹事業務を手伝ってくれた社内の先輩達から

「A氏お疲れ〜大変だったね〜」

と労われながらエレベーターを降りた瞬間、

「(えっ、この人知ってるきがする・・・)」
「(え、あれ?ん?思いだせ・・・)」

「て、・・・て、て、テソン?!?!?!?」

やっとの思いで絞り出した声。多分普通にキモかったと思います。いや、「さん」をつけなさいよ、とか今となっては思いますがあまりにも突然の出来事で、声を出すことで精一杯でした。

その人は間違いなくテソンでした。

私のキモい声に気づいて振り返ってくれたので
さらに私はキモい声で

「い、い、い、いつも応援してます!」

と言ったら、テソンはあの笑顔で

「ありがとう〜」

と手を合わせて答えてくれました。

そのビルにはPRADAが入っているのでVIPルームに行ったのかな〜などと想像を膨らませてルンルンで会社に帰りました。その日の私は、文字通り、地に足がついていなかったと思います。

※【参考】テソンといえば・・・


面倒臭い仕事(言ってしまった!)の後のテソンは私には神様からの一生分のご褒美としか思えませんでした。大興奮の私をよそにさっさとエレベーターを降りた先輩たちが

「誰?大学の先輩?」

などと言うものですから、私は鼻息を荒くしながら

「テソンですよ!!!BIGBANGの!!! 
 いつも先輩たちカラオケで歌ってるじゃないですか!!!」

と答えたら先輩たちも慌ててビルの奥を覗きに行っていました。(もちろんテソンはもうビルに入っていましたが)


今私はプラハに住んでいて街にも語学学校にも韓国人がたくさんいます。海外経験が豊富な方は特に身に覚えがあると思いますが、お互いに「アジア的価値」を共有していて話していて楽だなあと思います。

彼らは日本のことをよく知っていて、遊びに来てくれる韓国人の友人たちはいつも「行きたいところリスト」を握りしめて来日するので私は案内どころか、ただの付き添い人です。今、韓国人の間ではこんなお店が話題になっているのかーと勉強になります。

それでもやっぱり喧嘩する時は喧嘩をします。(大学時代、お酒を飲んでいたらいつの間にか竹島の話になり喧嘩になったことがあります)

昔はどんなに仲が良い韓国人でも政治の話だけはなんとなく避けていましたが、最近は、尹大統領と岸田首相の今回の会談をどう思っているか、意見交換をしたり、国内の反応を教えてもらったりして、政治的な話もできるようになりました。(ちなみに韓国では尹大統領の評価は最悪で、岸田首相は物凄く賢いという設定になっているそうです)

彼らのことを何も知らずにメディアのイメージに踊らされて自然に韓国を嫌っていましたが、彼らのことを知りたい、直接向き合ってみようと思うきっかけをくれたBIGBANG、ひいては弟には感謝しかありません。

ありがとうBIGBANG。
ありがとう弟。

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