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タフでなければならない





HO CHI MINH, VIETNAM.
多くのバックパッカーが集うBui Vien通り
2015








ミッドナイト・エクスプレスとは、トルコの刑務所にいれられた外国人受刑者たちの隠語である。脱獄することを、ミッドナイト・エクスプレスに乗る、といったのだ。

沢木耕太郎「ミッドナイト・エクスプレス」








Zurich, Switzerland. 2016
チューリッヒ/スイス
中学校の同級生に会いに




SNSの栄枯盛衰には、世間で言われているほどにわたしは興味がない

しかし、最近面白いなと思ったのはFacebookのある機能のことだ

ご存知の方も多いのだろうが、Facebookには「過去のこの日」というデイリーな機能があり、その通知がほとんど毎日のようにわたしのスマートフォンに表示されてくるのだ


それを開くと、「過去のこの日」の投稿が時系列に合わせて表示される機能で、先日それを開いてみると、われながら小さく驚いてしまった・・・




Semarang, INDONESIA.
KOTA LAMA歴史地区の夕暮れ
2023




Facebookを利用し始めて10年になる



10年前といえばちょうど一眼レフの「初代」を購入したばかりで(ちなみに今は「三代目」)、ちょうど時代的な背景でFacebookがSNSの主流として急速に世界的に広まり始めたこともあり、わたしもご多聞に漏れず、様々な国の様々な場所から、様々な投稿を繰り返した






そして、ある先日の「過去のこの日」を開いてみると・・・





10年前ー日本・横浜
9年前ー日本・東京
8年前ーヴェトナム・ホーチミン
7年前ー中国・広州
6年前ー韓国・釜山
5年前ーフランス・パリ
4年前ースペイン・サンセバスチャン
3年前ーヴェトナム・ホーチミン
2年前ー日本・福岡
1年前ーインドネシア・ジャカルタ





これがもし、完全なプライベートであれば、小さな自慢・・・いや、少なくとも何かの席の、話の種くらいにはなるのだろう
しかし残念ながら、パリとサンセバスチャン以外は全てビジネス出張なのだ

国際線に乗った回数も優に100回は超えているが、これも同様にビジネス出張だから疲れるだけで何の自慢にもならない
わたしの周りには、その程度のことならば、数は多くはないせよ、やはり何人も存在しているからだ


加えて、渡航回数の大多数を占めるのはヴェトナム・ホーチミン










京都 建仁寺




 小学校の低学年の頃から、主に母の教育方針で幼い妹と弟を引き連れて、三人で手を繋いでバスと電車を乗り継ぎ、映画館へ連れていくことが多かった
母が書いたメモにはもちろん、バスや電車の時刻はもちろん、何時発、何番乗り場、停車駅が細かく記され、停車駅から映画館までの簡単な地図、映画の上映開始時刻、終了時刻、それぞれの料金の詳細までもが網羅されていたので、その一枚のメモを便りに、毎回まるで”冒険の旅”を繰り返すようになった

 中学に入ると、それは博多発→名古屋行きの新幹線へと距離が飛躍的にアップし、その卒業前には飛行機で福岡→東京行きが加わり、大学生の頃は少ないバイト代を切り詰めて深夜バスの切符を買い——





京都 建仁寺








 そうした10代の経験をひとつの縦糸とし、20代の横糸を、海外も加えたものだとすると、30代以降には、日本でも海外でも一箇所には留まることができない「移動」「移動」を重ねているわたしのもうひとつの実像が浮かび上がってくる・・・




・・・いつも意識している考え方が・・・




ここではない、どこかへ




かなり以前に某有名なロックバンドが上記タイトルの曲を発売したときには、それ以前から沢木耕太郎が雑誌〈SWITCH〉の誌面で提唱されていたこともあり、それをバンドに大々的に模倣されたと思い当時は本当にがっかりしたが、聞いてみると以外に良い曲だったということはある

逆に、その「ここではないどこかへ」を作詞作曲したロックバンドのリーダー兼ギタリストにも、〈えっ?もしかして同じく沢木さん好きずき?〉と、奇妙な親近感を覚え、そのバンドの他のアルバムも好んで聴く始末だった




SWITCH 沢木耕太郎「私は旅をする」




だが、そのここではない、どこかへの考えの根底にはもちろんそのバンドではなく、ノンフィクション作家で、最も敬愛している沢木耕太郎の書籍と「旅」へ考え方と姿勢、感じ方に強い影響を受けていることは自分でもかなり明確に自覚している




ほとんどメディアには姿を現さない沢木耕太郎は、あるNHKのドキュメンタリーで、珍しくインタヴューを受けるという形で、かれらしく穏やかな表情で、ときどきやや俯きながらもゆっくりと一語一語を選ぶように、「旅」に関してこう述べられていたはずだ





——旅に出て、移動の最中に眺めている列車やバスの車窓風景・・・あれって・・・でもそれは実は、景色ってあまり見ていないんですよね。
そうしたときは実は、じっと・・・うーん・・・どうだろうか、自分の心の中を覗き込むような、そのような気がしてならないんですよね。





HO CHI MINH, VIETNAM.
2017




敬愛している沢木耕太郎がそういうから、ではなく、誰にでもそうした瞬間があるように思える
わたしの場合もそうだ

自分自身の内面をじっと見つめていることが多い


わたしは長距離移動などほとんど場合あまり苦に思わず、たいていは文庫本や電子書籍を読みながら、空港なり機上なりで軽食に珈琲かビール、少量のワインを飲みながら、それに疲れたらひたすらぼんやりと車窓の風景を眺めているのだ

最もわたしは最近は、そうした時間でこの<note>の原稿のことを考えていることが多い
頭の中で推敲を立てて、旅先や自宅でコンピュータを使って一気に仕上げるのだ

だからそうした記事は、移動の中でこそ生まれて、まず骨格を与え、次に肉付けし、全体の輪郭を捉えることができたら、ほとんど一気に書くことになる
「下書き」は一枚もない・・・


最近は、だから、小さな旅を繰り返すようになってきているのかもしれない





Paris, France. 2018.








Semarang, INDONESIA.
KOTA LAMA歴史地区
2023




そうしてとにかく「移動」の多い人生を送っているが、もちろん後悔など一切ない。逆に、まだまだ「移動」したいのだ


未踏のアメリカ大陸も、中国の古都も、生と死の明暗が濃いといわれるインドも、東ヨーロッパでひと際ひときわ暗い歴史を抱え込んだポーランドも、西ヨーロッパのポルトガル、エリセーラの海岸から観る真冬の太陽に照らされた暗い大西洋の海も、青いマグレブの国、アルジェもシャウエンも、カサブランカも・・・




そして「移動」にはまず健康な肉体が第一に必要とされる
それを支える精神力も同様で、それはいうまでもないことだ




 今回、記事を立ち上げて改めて書こうと思ったのは、頻繁に繰り返すわたしの「移動」の人生の身の回り品の相棒たち

それらには飛行機の気圧に耐え、冬のヨーロッパの寒さをしのぎ、夏のアジアの暑さにもめげずに同行してもらわなければならない
ここ東南アジアでは突然のスコールに激しく打たれることもある

まるで振り回すように「移動」を繰り返し、最近もここSemarangスマランを拠点に近隣の町をうろつくようになっている・・・

山間の悪路、大雨の町、冠水の道路、混み合うレストラン、排気ガスのローカル屋台、市場の雑踏、危険といわれるチャイナ・タウン、湖畔の倒壊しそうな廃墟、灼熱のビーチ、凍える高原地帯、雷が鳴る未明の旧市街・・・



だから




わたしのモノ選びの基準はこう断言することができる




タフでなければならない









結果的に若い頃から今日こんにちに至るまで、何度も何度も失敗を繰り返しながらも悩み抜いて選択してきた




強力な<相棒>たち




 
誰も興味はないだろうが、ここからはもう、さらっとご紹介




福岡・門司港にて撮影


画面左:"Business leather factory"のレザー・トートバック(牛皮)


 
 福岡に帰省した際に、いつの頃からか必ず買い物にいく天神地下街にある"Business leather factory"
仕事用にも使える丈夫なレザー・トートが欲しかったので迷わず購入

 シンプルで無駄がないデザインで、LAP TOPもTABLETもきちんと収納可能
内部にはジッパー付の細かな収納もあり

ただシンプルすぎてどちらが表なのかわからなくため、別売りの黄色と緑のレザー・チャームも一緒に購入(表側に装着)
緑の方にはアルファベットの名前の刻印いり
ここの商品は多く使っているが、前述の通りに無駄を削ぎ落としたようなデザインが飽きさせない
底面のステンレス製の小さな<足>も大事
これがあるだけで形が崩れることがないからだ

飛行機に乗る際、カメラを含めてディジタル機器はすべてこれに綺麗に収納
保安検査もさくさく通過

次回の帰国時はやはりここのフル・レザーのリュックをひとつ購入するつもり
色は何にしようかな


画面右:CARPE DIEMカルペディエムのレザー・シャツ(牛皮) 2003年製

 20代の頃にUNITED ARROWSで取り扱っていたイタリアのCARPE DIEMカルペディエム
とにかく初めてみたときから、その肉厚なレザーとしっとりとした手触りが素晴らしく、なにより<レザーシャツ>というカテゴリがとても新鮮だった

 デザイナーはマルリツゥオ・アルティエリという名のイタリア人で、若い頃に最愛の父を亡くし、そのショックを癒すために世界中を旅し、その果てで作り上げたというコレクションの数々


もちろんその逸話が事実なのかはどうかはわからない


しかしかれの作品には、それを想起させるものが確かに宿っているように思えている

それが何なのかはうまく文章では説明ができない

この10年で高級メゾンを傘下に持つ巨大なグループに吸収合併され、アルティエリが直接製作するクリエイションは消滅してしまったらしい

かれは今頃、どこでどうしているのだろうか・・・
どれだけ成功を収めても、帰る家は持たなかったと聞いているが


そして、CARPE DIEMカルペディエムはラテン語の直訳で
<その日の芽を摘め>で、それをより意訳し、最も広く流布した訳は


”今を生きる”


黒だけでサイズ違いで3枚保有しているが、「初代」はもうとても着ることができないほどのボロボロで、わたしの実家で殿堂入り<永久保存中>
他に、ワインレッド色を1枚所有

水洗い(手洗い)できる優れもので、洗うたびに深く細かい皺が全体に入っていき、付き合いが長くなればなるほど表情が変わっていく本物の名品

20代、30代の若い頃は、素敵な女性と食事デートに行く際などは必ずこのCARPE DIEMカルペディエムのレザーシャツを軽く羽織っていくことが多かった(笑)


Tシャツの上からではなく、シャツの上にさらにこのレザー・シャツを羽織る着方がスキだったのだ。もちろん、それは今でも




最近はデート自体もずいぶんご無沙汰で、どうしよう、おれ・・・涙








C-DIEM Destroyed Horse leather boots.


CARPE DIEMカルペディエムのホースレザー・ブーツ


これも上記のレザーシャツと同様の、CARPE DIEM今を生きる

靴底ソールが木なので、冬のヨーロッパで好んで履いていた一足

靴底ソールが木だと、例えば石畳の旧市街を歩くときなどは、木が細かな小石を食み、そのときの小気味のいい音は木底の靴でしか味わえない特別な心地よさがあるのだ

あらかじめ硬質のホースレザーを荒くなめし、意図的に細かな傷をつけて強度をもたせた独自のデストロイド加工で、縫製も驚くほど細かく、強靭で長年使用しても形が崩れることが、一切ない

しかし靴底ソールやインソールなどのメンテナンス費用だけでも、累計ではかなりの金額になった金喰い虫の一足でもある
その費用だけで大量生産の革靴が優に一足は購入できるが、大事な相棒だから仕方ない


しかしこの靴に対する愛情に近い親愛の情は今も変わらない

デザインと材質違いで他に2足所有(実家保管)
(これは”初代”)


——20代の頃

好きなあのこに告白するために履いていったのもこの画像の”初代”で、ふられたときもこれを履いていたのをなぜか鮮明に覚えている

あの頃おれは・・・若かった涙
その麗しの彼女、時が経ち他の相手と結婚して、偶然再会した際に
子供を6人も産んだと聞かされた夜に
嗚呼、おれの青春は終わったんだなと・・・痛感したよ・・・涙
あばよ・・・どうかお幸せに・・・(遠い目)









Saigon leather




画面手前:SAIGON LEATHERの名刺入れ(牛皮)

かつて長く暮らしたヴェトナム・ホーチミンにはさまざまなレザークラフトのショップが1区を中心に台頭してきた

これを購入したお店の場所は、1区のある世界的な高級ホテルの通りの真向かいで、その近隣にはきらきらと輝くような高級メゾンのショップが多く立ち並んでいた

そうした環境で、ヴェトナム人の若いデザイナーたちは、まるでそれらに対して喧嘩や戦争を仕掛けるように競い合ってお店を出店し、そこには間違いなく若い感性だけがもつ特権的で爆発的なエネルギーが溢れていた

強大な相手に、自分たちの実力だけで世界を切り結んでいくような強い野心を感じさせられた出店の姿勢には、人生についても多くを物語ってくれているようにも感じた

すでに高級メゾンのレザー製品の多くは東南アジアで生産されているが、早晩、レザー・クラフトの世界地図はデザインまでをも含めアジアが塗り替えるに違いない

特にこうして縁のあったヴェトナムの若いデザイナーたちを強く大声で応援してあげたい

声だけで応援しても仕方がないので、また機会があれば彼ら(彼女らの)の作品を買いたい



そしてこの鮮やかな色の名刺入れは、ビジネスシーンでも相手から受ける評価が高く、少し誇り高い気持ちになる
「どこで購入されたのですか?」とよく聞かれるからだ


画面奥:同上のお店で購入した日本用の財布

これも名刺入れと同じお店で同日に購入した日本用の財布
馬皮の一枚皮で余計な装飾が一切ない
装飾だけでなく、内部もジッパーや留め具などもなく本当に一切の無駄を削ぎ落としたデザインなのだ

自分で購入して使用する小物は、前提として長く付き合いたいという思いがあり、財布においてはどうしてもジッパーなどの金属部分から壊れることが多く(自分調べ)、それを一切廃した一枚皮だけのデザインを探していたところこのお店で一目見て、触って、即購入

購入して4年目、5年目?
だいぶ落ち着いた風合いがでてきて嬉しい
たまにミンクオイルでしっかり磨いている
引き続きどうぞよろしく



日本用の財布・・・日本の・・・お金・・・
そういえば次回の帰国時に、姪っこ二人と甥っこ一人を福岡にある
某国民的アニメキャラの<ミュージアム>に連れていってあげて欲しいと母から要請が入っているが・・・

入場料だけで一歳以上から¥2,000(今日現在)
それに最悪の場合ケースを想定すると大人五人が加わって・・・合計八人・・・

以前、母とわたしと姪とわたしの三人で行ったときは、入場料のほかに
ブリキ製の<”国民的アニメ”号>に入ったポップコーンが¥3,900

次回、もしもまた可愛い姪にそれを強請られてねだられて、さらに、みんなで場内で飲み食いすれば・・・


でも、場内でいつも開催されている着ぐるみの<”国民的アニメ”ショー>に
姪っこよりも夢中だったのは・・・えっ?・・・おれだった?


どうしよう・・・
帰国するの、やめておこうかな?








Business leather factory


画面左右:Business leather factoryの札入れとコインケース


帰国して旧知の友人と会うと、「あれ?また財布変えたの?」と言われることが多い

買い物自体はスキだが、財布を変える頻度はおそらくは5年に一度くらいだ

だが友人がそうした誤解を持つ理由もあって、<日本用><海外用>に分けて使用しているので、そういった意味では基本的に常時、二つを使っていることになる

理由は簡単で、<日本用>には免許証や保険証、数種類のクレジット・カードその他を入れているが、<海外用>には基本的に現金キャッシュとクレジット・カード一枚しか入れていない

もちろん万が一、盗難や紛失を考慮に入れてのことで、<海外用>はそうした被害にあった場合に、ダメージを最小限に抑えてくれるからだ

しかしなんだかんだ10年以上は様々な国と地域を遍歴しているが、ありがたいことにこれまで一度もそうした危機的な状況に陥ることはなかった

海外での危機
危機ではないのだが、わたしは海外では割と、泥酔したゲイの方から熱烈な食事デートを受けることが多かったのだが(特にスペイン)、残念ながらわたしはゲイではないので、お断りするのに咄嗟にうまく言葉が出てこずに、回答に呂律が回らず、ちょっと四苦八苦したくらいだ笑



——えっ!”ゲイ・ナイト”ですか?
ゲイだけが集まって・・・朝まで?・・・朝まで何を?・・・パーティ?
いや・・・わたしはちょっと・・・それは・・・ええ。ええ・・・。”







 

福岡・日本
姪と秋のお散歩






”タフでなければならない”


それは要するに耐久性の強い、そしてこざっぱりとしたデザインの皮製の小物を多く選択してきて、今でも愛用しているということだ

本当は、ここでやはりハンドメイドのレザー・クラフトの「パスポートケース」(様々な人から頂いた”交通祈願”のお守りと、ある人から頂いた短い手紙、他界した父の小さな骨も忍ばせてある)
や同様に皮とシルバーの「永遠に切れないブレスレット」などもご紹介したいのだが、これ以上書くとくどくなりそうなので、それはまた、いつかご紹介させて下さい








ところでみなさまのご愛用の品とは、どのようなものなのでしょうか

コメント欄に、長くなっても構いませんので、小さなエピソードとともに
よろしければお聞かせください









おしまい





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