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日記じゃないもの

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日記以外をまとめたものです。
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#エッセイ

魚行きて水濁る

魚行きて水濁る

   例えば、繁華街の少し入り組んだところを歩いている。奥まった路地に二つ折りの黒い財布が落ちているのを見つけた。お金がない私は出来心でその財布を手に取る。まわりに人はいない。中身を見ると3万と2000円入っている。さてどうしよう。

   私はここで葛藤する。人間に罪悪感というストッパーがついているからだ。これのせいで大変動きづらい。ときに道徳的な、非常に曖昧なところでこれが出ると私は悔しい。だ

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素直になるか、煙に巻くか

素直になるか、煙に巻くか

 もうそのアカウントごとなくなってしまったが、一か月前にここで突然ある方に絡まれたことがあった。それで気になって、そのアカウントを覗いてみると、なにがそうさせるのかその人は一日に50本も100本も投稿をしていて、突然おかしなことを聞いてくるのもどこか納得という感じだった。

 それが、どうか同じ類いの人間と思われたくないというくらい、本音にトゲでも付けたような本当に理解できない過激な批判(というか

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善意のこと

善意のこと

 人間はやはりその節々になにか企んでいるような気がしてならない。無意識に行う善意の正体とはいったい何なのだろう。善意にもなにか裏があるようである。こうなると人間不信の一歩手前だ。しかし、それがいかようであっても私はそれを改めたいわけではない。ただ、肯定して赦す。これも言ってしまうとやさしさなどではない。 

 私が他者を赦すのは、もしものときに私もまた他者から赦してもらうためである。ならば、この憎

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継続は

継続は

 色味のない屋内の市民プールを泳ぐ。気の済むまでひとしきり泳いで、さて休むかとプールから上がる。隅の方にあったベンチへ歩み寄るとこれがぐっしょりと濡れている。妙な気持ち悪さを覚えるが、恐る恐るでも腰を下ろせば、なぜかすっかり平気になる。

 そうして、ずっと向こうの白いタイル張りの壁をぼんやり眺めていると、視界の端に他の泳ぐのが目に入る。少し呼吸も整ったので、もう一度泳ぐことにして、再びプールに足

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余白の魅力

 人は余白に幻想を見る。だから、真っ白なものは汚したくない。

 ところが誤って手を付けたが最後、そこには得てして思ったものとはかけ離れたフランケンシュタインが出来上がる。だから私は手を付けるのが恐い。かといってそれを恐れると、今度は流れるままに時は過ぎて、それはそれでやっぱり不完全なものが出来上がる。 

 未来というのもその類いで、これほど輝かしく見えるものはない。卑屈になって絶望したつもりで

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判別できなくなるまでやればいい

判別できなくなるまでやればいい

 多様性の時代である。もちろん大歓迎だ。

 ところが蓋開けてみたら、それにかこつけた傲慢まみれのわがままと屁理屈の大集合といった有様だ。それどころか互いに押し付けあうばかりで、自分が理解することには疎い。これではなにが大切かますます分からなくなる。言ってるそばから私のモラル感覚もどんどん乱される。

 だからもういっそやりたいようにやればいいと思う。なにが良くて何がダメか判別もできないほどに無茶

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桜のトゲ

桜のトゲ

 なにぶん桜の季節である。日本に住んでいると、「生命は大なり小なり咲き誇っていずれ散る」という人生観を植え付けられる。美しいものにはトゲがあって、桜はその美しさと引き換えに、そんな儚い人生観を受け入れさせる。

 世の中、知らなくていいものばかり。くだらないものに目がくらむ。浦島太郎が竜宮城を知らなければ、なんと平穏に過ごしていただろう。余計な心配が、私の心をざわつかせる。そして美しいものは無責任

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帰らない人たち

帰らない人たち

 振り返って、かつて居た場所での自分のことを覚えているだろうか。それを妙に大事にしたり、割り切って捨ててしまったり、どちらが正しい選択なのか。自分がどこにいるかも無意識に流れるように流れるままで私にもよくわからない。 

 最近、芸人のお笑いが私の頭のなかで一旦飽和に達したこともあって、全くそれまで縁がなかったアイドルのバラエティを見始めた(これ書くのすごい恥ずかしい)。しかし、アイドルはアイドル

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「山のあなた」

「山のあなた」

 幸せって雲を掴むことに等しいのではないか。        

 「幸せ」を見たいとき、文字通りの「幸せ」なんてものはなくて、環境とか体験とかなにか一枚挟むことで、ようやくその片鱗を感じとる。

 ところが、その覆った布をひっぺがして、正体を見ようとするとたちまちどこかへ逃げてしまう。

 そうして、人々は涙さしぐみ帰ってくる。でも、それでいいのだと思う。きっとソレを「幸せ」と名付けた人も知らずに

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目を閉じて

 1890年、オディロン・ルドンは「目を閉じて」という題の絵を描いた。本当は画像を入れたかったが、フランスの著作権をよく知らないので文章だけの説明になります。すいません。 

 それでどんな絵かというと、男とも女ともつかない中性的な顔立ちをした長髪の人物が、半裸で水面から肩より上だけを出して、ただ目を閉じてるというもの。 

 色調は全体的にぼんやりと暗めで、そして水彩画のように淡い。しかし夜明け

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それがキレイに聞こえない

それがキレイに聞こえない

 例えば「努力は裏切らない」という言葉。一見すると素晴らしい言葉だが、言うだけなら俺でもできる。大事なのはそう思う根拠にある。なぜそうなるのかの証拠になる個人の体験が大事であるのに、肝心のそこが抜けてる状態で放り投げられるのをちらほら見る。そのキレイなラベルにふさわしい中身が伴わないことには、私の場合、知らないやつが頼んでもないのにやってきて、無責任なアドバイスをしてくるようで少し癪に障る。

 

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情報という支配-テレビについて

情報という支配-テレビについて

 情報というのは誰から教わるかで話が違ってくる。お酒の席で聞きたくもないお酒のうんちくをベラベラ語りだす先輩と、品のある人のさりげなく話すソレとでは、全く同じことでも私からすれば、事情が大きく異なる。 

 そんな「情報」を、先入観なくすんなり教わっていたのがテレビであった。私はこの四角いのから、流行だとか、何が面白いとか、世の中のことも色々と教えてもらった。私の世代はこういう人が多いと思う。テレ

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愛をはかる人たち

愛をはかる人たち

 子どもには人間の基礎が詰まっている。親戚の子どもなどを見ていると、それが意図せず漏れ出るので見てて面白い。 

 子どもは無邪気なふりをするのがうまい。腹の底で思っていることは、たぶん私と違わないはずなのにである。こうなると、見た目は大事なんだと嫌でも思わされる。 

 やつらはモノをよくねだる。私もそうであった。さして欲しくもないモノに駄々をこねて、親が愛想を尽かせてどこかへ行ってしまうと、泣

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言葉に針をつける

言葉に針をつける

 呪術廻戦に呪禁師とかいうズルい感じのやつがいる。簡単に言うと「動くな」といえば相手が動かなくなり、「死ね」というと死ぬという具合である。世話ないわ。 

 ここまで行かずとも、言葉には力がある。ときに人を癒し、人を傷つける。だが、この言葉やみくもに使って、だれしも同じ効果を得るわけではない。「動くな」を銃を構えた警察が言うのと、知らんおっさんが言うのとでは話が変わってくる。「愛してるよ」を真面目

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