Mieko Horikoshi

木星が牡牛座に入るたびに人生転換期に入るのは私だけ?13年前は離婚、今年は30年暮らし…

Mieko Horikoshi

木星が牡牛座に入るたびに人生転換期に入るのは私だけ?13年前は離婚、今年は30年暮らしたマウイ島を離れ日本に帰国。変化を嫌う牡牛座ですが、風の時代の今の流れに乗れるよう、変化を受け止めて、自分をもっと改革したい50代。写真は全て自前、在宅翻訳ワークを副業にしたい写真家。

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    私が出会った素敵な英文エッセイを自分のトレーニングのために翻訳しているマガジン

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    2018年9月に他界した母を想う私の心境を徒然と書いたノートの集まり

記事一覧

更年期以降に診断を受ける女性特有のADHD

原文(英語)と訳文(日本語)は交互に記します。 “How I Restarted My Life After a Post-Menopausal ADHD Diagnosis” 「閉経後のADHD診断、どう人生を再起動させるの…

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メリーランド州のとある学区の奇妙な休み時間の規則 

原文は心理学者Peter Gray医学博士のブログより、(英文和訳) Dear friends,  親愛なる友へ、 In recent years I’ve heard quite a few complaints from parents abou…

Mieko Horikoshi
1か月前
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心と呼吸を整える鐘の音

"Your True Home" by Thich Nhat Hanh #187 "Mindfulness Bell" 原文: When I was a young monk in Vietnam, each village temple had a big bell, like those in Chris…

Mieko Horikoshi
6か月前
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母親にさせてくれているのは子供達

#子どもに教えられたこと チビが10歳で不登校になり、11歳はコロナもあり完全にひきこもっていた。 不登校の原因は未だ把握できていない。 本人、感受性豊かなあま…

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絶賛こじらせ中の次女とコミュニケーションがうまく取れず、頭を冷やすために家を出てきてしまった。帰りたくないけど、帰らなきゃなぁ。傷つくの次女だし。涙を拭いて鼻かんで、母親仮面を付け直します。私が子供だった頃、私も亡き母にこんな思いをさせてたのかな…

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絶賛こじらせ中の次女

学校に行けなくなってしまって数ヶ月が経つ次女。 勉強は心のコンディションが整った時に自分のペースでオンラインスクールで補っている。 高校に通うお姉ちゃんのスケジ…

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危篤から臨終のプロセス(個人的見解)

暑い日が続くハワイです。 あんまり暑いので冷たい緑茶を母にお供えしました。  母の写真を見ながら冷たい緑茶を飲んでいると、自然と危篤状態でからっからに乾ききった…

4

母のいない初めての誕生日

母が他界してから初めての誕生日。 いままでは、母からのメッセージなんて「来て当たり前。」と思っていた。 だけど、「本当は一番来て欲しいメッセージ。」だったという…

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娘達も15、10歳と多感になり始めた。 今日は下の娘が「お母さんはどうやっていつも落ち着いていられるの?」と不思議そうに聞いてきた。 私は自分のことを声が大きくてガサツな人間だと思っていたけれど、娘にはそうは見えていなかった、ということが驚きだった。

母を看取るまでの時間(2/2)

土曜日の夜、何日も連日病室に泊まり込んだ父を無理やり家に帰した。 お風呂にも入れさせてあげたかったし、ちゃんとした布団で寝ても欲しかった。 彼ももう立派な老人な…

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母の写真をロケットに入れた。 綺麗に仕上がったけど、、、「なんでこんなとこにお母さんの写真入れなきゃいけないの?」 また泣いた。

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最近母のことを考えて泣くことはほとんどなくなってきた。 メールや電話をする代わりに、心の中で母に話しかけたり、母の写真に向かって話しかけたりする。 こうやって少しずつ母の死を受け入れていく自分を客観的に知った時、「受け入れている場合かっ!」と憤慨する自分も心の中にいる。

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危篤の知らせをうけてから、、、

今日は危篤の知らせを受けてからの私の心の変化を書こうと思う。 母が再々発をして、化学療法の治療が難航を極めるようになってからもうほぼほぼ私の心の中で母はもう死へ…

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母の死についてまだ傷も生々しい状態で自分を追求しすぎてしまった。 昨日1日人間として機能しなくなってしまいそうになったので、それでも奮い立たせて仕事しなきゃいけなかった。 今日はちょっとお休み。 フリーランスとはいつでも休めるようであって実は休める日なんてほとんどないのである。

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昨夜、「母の箱」を帰って来てから初めて開けた。 一つ一つ母の遺品を手にして母の香りを嗅ぎ、抱きしめた。 獣のように泣いた。 遺品を箱にしまう作業が、母を棺桶に入れているような気がした。 そこでまたオンオンと泣いた。過呼吸になりそうだった。目が腫れてひどい顔の朝。

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ここでは、品行方正な良い子ちゃんじゃいたくない。 ドロドロもいっぱい書く。 だって、きれいなことばっかりじゃない。 人生常に光と陰。 光のあるところには陰ができるんですよ、地球上では。。。

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更年期以降に診断を受ける女性特有のADHD

更年期以降に診断を受ける女性特有のADHD

原文(英語)と訳文(日本語)は交互に記します。

“How I Restarted My Life After a Post-Menopausal ADHD Diagnosis”

「閉経後のADHD診断、どう人生を再起動させるのか」

“Midlife…is not a crisis. It’s a slow, brutal unraveling.”

「中年とは、危機ではない。遅々とした、そし

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メリーランド州のとある学区の奇妙な休み時間の規則 

メリーランド州のとある学区の奇妙な休み時間の規則 

原文は心理学者Peter Gray医学博士のブログより、(英文和訳)

Dear friends, 
親愛なる友へ、

In recent years I’ve heard quite a few complaints from parents about the absurd rules their kids must follow at recess in their elementary s

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心と呼吸を整える鐘の音

心と呼吸を整える鐘の音

"Your True Home" by Thich Nhat Hanh #187 "Mindfulness Bell"

原文:
When I was a young monk in Vietnam, each village temple had a big bell, like those in Christian churches in Europe and the United Stat

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母親にさせてくれているのは子供達

母親にさせてくれているのは子供達

#子どもに教えられたこと

チビが10歳で不登校になり、11歳はコロナもあり完全にひきこもっていた。 不登校の原因は未だ把握できていない。 本人、感受性豊かなあまり人を攻撃することができない。 どんな仕打ちにあっても「何々ちゃんにいじめられた。」「何々先生がひどかった。」など人のせいにすることはチビの心を強烈に締め付けるのでできないのだ。 最近、日本で流行っている言葉を使えば「繊細さん」なのである

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絶賛こじらせ中の次女とコミュニケーションがうまく取れず、頭を冷やすために家を出てきてしまった。帰りたくないけど、帰らなきゃなぁ。傷つくの次女だし。涙を拭いて鼻かんで、母親仮面を付け直します。私が子供だった頃、私も亡き母にこんな思いをさせてたのかな…

絶賛こじらせ中の次女

絶賛こじらせ中の次女

学校に行けなくなってしまって数ヶ月が経つ次女。 勉強は心のコンディションが整った時に自分のペースでオンラインスクールで補っている。

高校に通うお姉ちゃんのスケジュールに合わせてるんるんとたっぷり冬休みをとった次女。 オンラインスクールには「冬休み」という概念はない。 なので日本の夏休みの宿題の様にやらなければそれだけ後でやらなければいけないことが溜まってしまう。 2時間もあればオンラインの勉強は

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危篤から臨終のプロセス(個人的見解)

危篤から臨終のプロセス(個人的見解)

暑い日が続くハワイです。

あんまり暑いので冷たい緑茶を母にお供えしました。 

母の写真を見ながら冷たい緑茶を飲んでいると、自然と危篤状態でからっからに乾ききった口をパクパクさせていた母の最後の姿が思い出され、胸が痛みます。

末期がん患者がなすすべもなくなり、「死を待つだけ」という状態になった時、どうやら行われるプロセスは皆同じようです。

患者へのモルヒネの大量投与、断食、断水。

医療する

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母のいない初めての誕生日

母のいない初めての誕生日

母が他界してから初めての誕生日。

いままでは、母からのメッセージなんて「来て当たり前。」と思っていた。 だけど、「本当は一番来て欲しいメッセージ。」だったということを今年は痛切に感じる。

母の写真に「産んでくれてありがとう。」という。 夕べは無性に母がまだ赤ん坊だった私を抱いている写真を見たかった。 自分の家の中を探したけれど一枚もない。 アルバムは全て実家に置きっぱなし。

母に会いたい。 

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娘達も15、10歳と多感になり始めた。 今日は下の娘が「お母さんはどうやっていつも落ち着いていられるの?」と不思議そうに聞いてきた。 私は自分のことを声が大きくてガサツな人間だと思っていたけれど、娘にはそうは見えていなかった、ということが驚きだった。

母を看取るまでの時間(2/2)

母を看取るまでの時間(2/2)

土曜日の夜、何日も連日病室に泊まり込んだ父を無理やり家に帰した。 お風呂にも入れさせてあげたかったし、ちゃんとした布団で寝ても欲しかった。 彼ももう立派な老人な訳だし。

私も危篤の知らせをうけてから仕事を片付けたり、子供たちのお泊まりの準備をしたりともう2−3日ろくに寝ていなかった。 体力には自信がある方なのだけれど、頭は割れそうに痛かったし、立ちくらみも激しくなって来た。 

「お母さん、ごめ

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母の写真をロケットに入れた。 綺麗に仕上がったけど、、、「なんでこんなとこにお母さんの写真入れなきゃいけないの?」 また泣いた。

最近母のことを考えて泣くことはほとんどなくなってきた。 メールや電話をする代わりに、心の中で母に話しかけたり、母の写真に向かって話しかけたりする。 こうやって少しずつ母の死を受け入れていく自分を客観的に知った時、「受け入れている場合かっ!」と憤慨する自分も心の中にいる。

危篤の知らせをうけてから、、、

危篤の知らせをうけてから、、、

今日は危篤の知らせを受けてからの私の心の変化を書こうと思う。

母が再々発をして、化学療法の治療が難航を極めるようになってからもうほぼほぼ私の心の中で母はもう死への道のりからUターンをして奇跡的に健康体にに戻ることはないんだ、という事実は真摯に受け止めていた

治療がしんどくてしんどくて大変だった時に一度実家へ帰り10日ほど母の面倒を見た、というとおこがましい。 母の話し相手になった。 多分年内に

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母の死についてまだ傷も生々しい状態で自分を追求しすぎてしまった。 昨日1日人間として機能しなくなってしまいそうになったので、それでも奮い立たせて仕事しなきゃいけなかった。 今日はちょっとお休み。 フリーランスとはいつでも休めるようであって実は休める日なんてほとんどないのである。

昨夜、「母の箱」を帰って来てから初めて開けた。 一つ一つ母の遺品を手にして母の香りを嗅ぎ、抱きしめた。 獣のように泣いた。 遺品を箱にしまう作業が、母を棺桶に入れているような気がした。 そこでまたオンオンと泣いた。過呼吸になりそうだった。目が腫れてひどい顔の朝。

ここでは、品行方正な良い子ちゃんじゃいたくない。 ドロドロもいっぱい書く。 だって、きれいなことばっかりじゃない。 人生常に光と陰。 光のあるところには陰ができるんですよ、地球上では。。。