母親にさせてくれているのは子供達
チビが10歳で不登校になり、11歳はコロナもあり完全にひきこもっていた。 不登校の原因は未だ把握できていない。 本人、感受性豊かなあまり人を攻撃することができない。 どんな仕打ちにあっても「何々ちゃんにいじめられた。」「何々先生がひどかった。」など人のせいにすることはチビの心を強烈に締め付けるのでできないのだ。 最近、日本で流行っている言葉を使えば「繊細さん」なのである。
私はいじめられ体質で、自分より体の大きな男の子がボスのグループに輪になって囲まれ殴る、蹴るの暴行を受け続けた経験がある。 床に倒れ丸くなって身を守り、男の子たちの足の隙間から私を哀れそうに見つめる辛うじて友達だった女の子の表情を忘れることはできない。 そして、担任の先生にすら「あんたがそんなにメソメソしているからいじめられるんだ。」と言われた。
そんな経験を私は小、中学校で何度も体験した。 そして学校へ長期行けなくなったことも多くある。なので、チビが不登校になった時、初めは「大丈夫!お母さんに任せておけ!得意分野だ!」位の上から目線だった。 今から思うとチビに申し訳ない。(注:下の子を娘や息子と呼ばずチビと表記するのは性別表記をさけるため。別に自分の子供を取るに足らないチビなヤツ、とは思っていない。)
口八丁手八丁で嫌がるチビを学校へ連れていこうとしていた朝、ふとチビが言った。
「あそこにある大きなビルが私を押しつぶそうとしているくらいしんどい。」
あの一言が「学校へ行くこと」に固執していた私に気づきをもたらし、自分の行動に、何が大切なのか考え直すきっかけになった。
それから、私は一から不登校の子供の心情を理解すべくありとあらゆる書物を読み、動画を拝見し、今までの自分がいかに傲りの塊だったか反省することができたのだ。
どんなに似た体験だとしても、個人個人その受け止め方は違う。 解釈のしかたもプロセスの仕方も違う。 人の痛みは本当にわからないものだ。謙虚な気持ちで事実を受け止め、気を配る。それを教えてくれたのはチビだったのである。
もちろん、私を母親にさせてくれているのはチビだけではない。 長女は長女でわずか2歳のころ、私の傲りを破壊しまくってくれた大切な存在。
全部話すと長くなるので今日はここまで。
子育ては一筋縄ではいかない。 コロナでひとりぼっち感が高まっている人も多いと思う。 だけど、あなただけじゃない。 心を開いて話をしたら、きっと同じような気持ちで辛い思いをしている人もいる。 だから、諦めないで。 私たちが生を受けたのは、この人生で学ぶため。 死ぬその時までその学びはずっと続く。 学ぶのは時に苦しいけれど、ずっと続くならどうすれば楽しめるか、私は自分なりに工夫して生きていきたいと思う。
日本人ならわかってくれる「明日」という漢字の素晴らしさ。
明日、は「明るい日」
明、という漢字は「お日様とお月様が照らしてくれるから明るい。」
だから、
明日は、お日様とお月様が照らしてくれる明るい日、にきっとなる。
私はそう信じたい。