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シネマ・エッセイ 〜 映画と易経の間より〜

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人生の旅路という言葉の意味するように、時に人生は旅に例えられる。映画は、さまざまな人生の縮図。旅をするように楽しむ。そして「易経から観た映画、映画から観た易経」という視座を育んで… もっと読む
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映画『テルマ&ルイーズ』

映画『テルマ&ルイーズ』

「彼女たちの、自由が走り出す。」

この映画の惹句である
女性が主人公のロードムービーの代表作であろう

一方 易経を通してこの映画を観てみると
まったく異なる色彩を帯びる

易経には水山蹇という卦がある
四難卦のうちの一つ

危険な雪山を想像してみよう
大吹雪の中 その山に詳しい案内人もつけずに
入山したらどうなることだろうか

テルマもルイーズも
どの段階でも振り返ることはできた
後戻りをする

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映画『瞳をとじて』

映画『瞳をとじて』

映画館を後にする時のこと
同じ映画を観た年配の男性客が発した言葉が
いまも記憶に残っている

「若い時に『ミツバチのささやき』を観たけどよくわからなかった。
 でも、こんなに素晴らしい作品をつくるんだね」

ビクトル・エリセ監督の最新作『瞳をとじて』
映画の中の映画『別れのまなざし』では依頼者の娘を探す
そしてこの『瞳をとじて』では元映画監督ミゲルが出演者であるフリオを探す

まるで両者の映画が呼

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映画『哀れなるものたち』

映画『哀れなるものたち』

つい先日こんな広告を目にした

LIFE WITH ART

アート週間を伝えるものだったと思う

私は常々思い考え記していることだが

人生は旅 そして人生は映画だと認知している

また映画はまさに総合芸術である

つまり 私の頭の中ではこんな関係になっている

人生=旅=映画=芸術

よって LIFE WITH ARTという表現にはいささかの矛盾を感じざるを得ない

こんな小難しいことと向き合

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映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』

映画『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』

今年上半期映画ファンの中で話題となっている
『ファースト・カウ』

ドーナツ、牛、わんちゃんなどの様々な構成要素

時と空間を超えた友情が
そのすべての要素をつなぎ留めていたということを
『ノッキン・オン・ヘブンズ・ドア』を鑑賞後
再確認した

日常が崩れ去った後に訪れる「自由」

二人の主人公は互いに不治の病におかされ 死の存在と対峙していく
その過程で 生涯の同志のような間柄になっていく

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映画『NOSTALGHIA ノスタルジア 4K修復版』

映画『NOSTALGHIA ノスタルジア 4K修復版』

それにしても
このポスターの惹句にはただただ圧巻

‘もはや、すでに。‘

タルコフスキーに初めて触れたのは昨年のこと
4月に亡くなった坂本龍一さんの追悼を込めて
坂本さんのドキュメンタリー映画2作品
そしてタルコフスキー監督作品の特別上映が
行きつけの映画館にて開催された

『惑星ソラリス』『鏡』『ストーカー』を鑑賞
ソ連当時モスクワにて これらの作品を観ていたというロシア人の女性と出会い
鑑賞

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映画『夜明けのすべて』

映画『夜明けのすべて』

2022年12月初旬 私は鳥取に向かった
バスを乗り継いで13時間30分
到着した時はすでに深夜前
降り着いたバス停のあたりには 街灯がなく
天上に輝く星たちが 旅の道先案内人となった

2023年12月に故・青山真治監督展覧会のトークイベントにて
三宅唱監督と出会う
『ケイコ目を澄ませて』も鑑賞したが
実は私が三宅唱監督を知ることになったのは それよりも前
コロナ禍で開催されていた『現代アートハ

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映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』

映画『ナイト・オン・ザ・プラネット』

世界中24時間 どこかでタクシーは走り続けている

LA ‘あたしが生きる道じゃないわ‘

NY ‘金は必要だが重要ではない‘

パリ ‘映画を感じるのよ 説明してもムダね‘

ローマ ‘これからの人生は一方通行‘

ヘルシンキ‥‥‥ 愛は時として酷であることを受け取った

日々の暮らしにはこんなにも 自然原理の哲学があふれていることを確認した

ジャームッシュ監督は そのことを自ら受容し、表現し

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映画『東京画』

映画『東京画』

巨匠・小津安二郎監督の墓跡には
「無」と一文字だけが刻まれている

小津監督を敬愛する映画監督および関係者は数多

小津作品には欠かせない逸材である笠智衆さん
監督からの演技指導に必死に順った笠さんは語る
「自分を忘れて 白紙になる術を学んだ」と

乾為天の二爻「見龍」
周りを見て頑強な型を作る時
一度できた土台は揺るがない
笠さんは小津監督から一生ものの役者としての「型」を授かった

いまはただ

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映画『666号室』

映画『666号室』

映画はひとつの言語であり

芸術である

16人の映画監督それぞれの映画に向ける眼差しがまぶしい

40年以上の時を経た今でも

その発言の所在は揺るがない

まさに易経の三易を物語っているようである

映画『映画の朝ごはん』

映画『映画の朝ごはん』

その時にぴったりのことを行う

このことを易経では「中(ちゅう)する」という

まさにポパイの朝ごはんは

そのことを実現している

映画にちなんだおにぎり弁当をいただき鑑賞したことで実感したこと

映画を絵画に例えるならば

映画館はその額縁

その映像芸術からどれだけの可能性を引き出せるかは

映画館の手腕にかかるのではないだろうか

その意味で

今回キャンセル待ちが出るほどの反響があったこ

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映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』

映画『ビヨンド・ユートピア 脱北』

近ごろの日本では「一粒万倍日」を縁起のよい日としてとらえて
開運のためにと 開運行動に勤しむ人も多い

種籾ひと粒から何倍ものお米が収穫できるというところから由来しているらしい

この映画に登場する牧師は
幼くして亡くした息子の命の代わりに
今までに1000人の脱北者の命を救ってきた

福音にある「一粒の麦」のようだと語る牧師

私には 一粒万倍日と似て非なることに思える

一人の命に代わりがいな

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映画『こわれゆく女』『フェイシズ』『ラブ・ストリームス』

映画『こわれゆく女』『フェイシズ』『ラブ・ストリームス』

『こわれゆく女』

体験したことがなければ
とても表現できるものではないはず

しかし、類稀なる群を抜いた演技力と演出力で
見事に世に放った

なぜここまで言い切れるか
それは、私自身があの子どもたちと同じ境遇にあったから

間違いなく、天才の監督と俳優がいた

『フェイシズ』

ヴェンダースは外側の変化から
内側を観る

カサヴェテスは内側の変化から
外側を観る

私は、このように受け容れた

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映画『自転車泥棒』

映画『自転車泥棒』

「人生なんとかなるさ」
「生きていれば」

父親が自分自身を鼓舞するように口にする

易経に山地剥(さんちはく)という卦がある

最後に残された陽の力さえも剥ぎ取られる

しかし、この陽の力こそ

この先の未来に待っている
地雷復(ちらいふく)という時に
大切な陽の力として“復活“する

涙する父の手をぎゅっと握りしめた
ブルーノ少年の小さな手こそ
その陽の力そのものだと、私は観た

映画『葬送のカーネーション』

映画『葬送のカーネーション』

車内のラジオから流れる哲学話

“人生に求めることは?“
“死ぬということ“

「天命を終えることを楽しめない者は、時の変化をわかっていない」
易経にはこのように記されている

この映画の英題は“Cloves & Carnation“

クローブは痛みを鎮静させる作用があると言われる
人を失った時、その傷ついた心も癒してくれるのだろうか