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映画『ピクニック at ハンギング・ロック』

今年の節分2月3日のこと
市内で開催された映画トークイベントに参加した
昨年末から今年上半期で話題になった映画『PERFECT  DAYS』
その映画プロデューサーの方が撮影裏話を聞かせてくださった

この映画は世界的に著名なヴィム・ヴェンダース監督による作品
製作中監督と一緒にいたプロデューサーは監督より
あることで厳しく指摘を受けたそうだ

プ:この映画のテーマはなんですか?
監:(映画を作る人間が)テーマなんて考えるな!

テーマを考えたら(映画は)それ以上のものにならないと 監督は考えている

発想の自由と創造性の自由への深い敬愛が感じられるエピソードである

もう一つ別の話を

つい先日 脳科学とIT関係の研究をしている大学院生と知り合った
正直研究内容については 生半可な理解にも至っておらず
振り返ると我ながら情けない

話の中で一つだけ記憶に残っていることがある
それは ITによる発想や思考の自由の制限についてである
例えば いま巷で話題のチャットGPT
この機能を使えば 瞬時にあらゆる発想や思考あるいは情報が「ある程度」の状態で手に入る
しかし その彼の説明によると そういったIT上で得られたものは そのITの枠内
あるいは囲いの中だけでのものであるということ
ある意味ですべてが制限されているということになる
一見「自由」に表現された 文章も実は 本当の自由より生まれたものではないということではないか
こんな思いが近ごろ私の思考のあちこちに現れる

さて本題の映画『ピクニック at ハンギング・ロック』について
「すべてはしかるべき場所と時に始まり しかるべき時に終える」
この言葉が暗示するかのように 女学生たちと先生は
しかるべき場所と時に
あらゆる束縛からの解放を求めて自由になっていく

靴を脱ぎ捨て コルセットを外し
自由へと赴いていった

定型の凝り固まった囲いから出ることなく
自由への扉を閉め切っている 現代人

この映画が私たちに突きつけてくる内実は残念なことに真実である
まずはスマホを手放して
素足で自然あふれる大地を踏みしめるところから始めよう
しかるべき時と場所はすでに訪れている
私の思考に新たな訪問者が またやってきてしまったようだ

映画ノート




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