演奏する人と教える人、そして教わる人の話 8(まとめ2:レッスン動画などを配信する方へ)
最初はSNSで無神経な発言を見て、そのことに対して自分がどう考えているのか冷静に書き出してみたのがきっかけで、こんな感じの記事を書いております。もうほとんどの方が忘れているお話かと思いますが、書き始めたので最後までまとめます。
これまでの記事はこちら
レッスン動画などを配信する方へ
常に学び続けること
音楽の道に進むと、若い頃は「教わる」が100%だったのが、だんだん歳を重ねるごとに「教える」の割合が増えていくわけです。最終的には(結構早い段階で)「教える」が100%になり、誰も教えてくれなくなります。
なので、若い頃にレッスンをする立場になると、自分の先生に教わったことをそのままレッスンで伝えてしまう状態になる人がほとんどで、ある意味仕方がないことではありますが、問題はその後。自身が、「これは受け売りじゃないか」「ただの伝言ゲームでしかない」と気付けるかどうかでその人の指導力が成長するかも決まります。受け売りのような表面的な言葉に説得力は生まれません。自分の中でしっかりと地に足をつけた根拠ある言葉でレッスンをしなければ、生徒さんはじきに離れていきます。
そのためには学び続けること。
研究、実験、学習、練習、経験。いつまでもこれらを続けなければ、水がもらえなくなった花のようにすぐに枯れてしまうでしょう。
大学の同期で現在静岡で活動されているトランペットのいわたけいこ氏もSNSで「本質は残り、空っぽなものは淘汰させていく」と言ってましたが、本当にその通りで、受け売りや、単なる目立つだけのプロモーションをしている人は、気づいたら存在が消滅しています。そんなサイトを僕がインターネットにトランペットのことを投稿するようになって25年間、たくさん見てきました。
動画サイトなどは目立つためのプロモーションも大切な要素ではあります。しかし、そこに本質がなければ結局は人は離れていくわけです。
常識は常に変化・進化していることを忘れない
管楽器の奏法や音楽作りの考え方は常に変化、進化しています。流行り、という言い方が適切かどうかはわかりませんが、少し前の時代のオーケストラの音源を聴くと、今コンサートホールで演奏されているアンサンブルバランスや音色、表現方法とだいぶ違うのがわかると思います。
過去があるから現在があるわけで、過去を否定するつもりはありませんし、すべきではありません。しかし、過去の演奏を聴いて「そういうものなのか」と裏付けも検証も学習もないまま受け売りで(真似事で)演奏したら、きっと周りから受け入れ難い存在となるでしょう。
奏法に関しても、ほんの少し前の時代では常識とされていたことが、今では全然違うアプローチになっているものも少なくありません。これも過去の否定ではなく、より良いものを追求した結果の「進化」です。
学びは終わることがないのです。
プライドを持つこと
僕は例のSNS投稿を始めて読んだ時、正直なところかなり怒りました。バカにするな、あなたに何がわかるんだ、と。
いわゆる「炎上」と言われる瞬間的な感情変化に抗うことなく無心に喰らいついて火を焚べている人たちのように、言葉尻を捕らえて攻撃的にならないよう一旦冷静になり、翌日以降何度も読み返しました。でも、読むたびに怒りが湧いてくるので、やはりあの文章は自分の中では受け入れなれない内容であるとしか思えません(ちなみにですがずっと書き続けているこれらの記事の元になっているのはエリックさんの発言についてではありませんので誤解されませぬよう)。
レッスン動画や文章を配信している方、部活指導や音楽教室などでレッスンをしている講師の皆さんにお聞きしたいのですが、あの投稿を読んでどう思いましたか?イラっとしましたか?受け止め方は人それぞれだとは思うのですが、少なからず自分が取り組んでいることを否定されたわけですから、イラっとするはずだと思っています。もしあの投稿を読んで何も思わなかったのでしたら、音楽指導は「今の時点では」向いてないか、そもそも指導やレッスンに真剣に向き合っていない(片手間でやってる)のではないでしょうか。
要するに常に自分の行うことに対し、責任とプライドを持って真剣に取り組んで欲しい、と言いたいのです。
ということでやっと次回で最後です。
荻原明(おぎわらあきら)
荻原明(おぎわらあきら)です。記事をご覧いただきありがとうございます。 いただいたサポートは、音楽活動の資金に充てさせていただきます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。