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演奏する人と教える人、そして教わる人の話 3(自身のレッスンに対するプライド)

先日SNSとYouTubeを見ていて少々思うことがあったので、一旦冷静になって誤解のないようにnoteに少しずつ書くことにしました。
とは言え、別に反論したいとかではなく、音楽業界の(僕が知ってる狭い範囲の)実情とか、過去はどうだったかをここに書いてみて整理したくなった、というほうが強いです。

書くことが多いので分けてます。1回目は自分の話、2回目は今と昔の音楽業界と若手のつながり方の違いについて書きました。
誤解されるのイヤなので、ぜひこちらの記事をご覧になった上で今回のを読んでください。

今回は自分が音大を卒業してから何をしていたかを書いてみます。


音大卒業後の自分の話

正直めちゃめちゃヒマでした。週末はブライダルの仕事をいただけていたのですが、平日は何をしていたかと言いますと、相変わらず大学に入り浸ってました。一つ前の記事にも書きましたが、昔(25年ほど前)の音大は卒業生が簡単に出入りできて、なおかつ練習場を使わせてもらえていました(オフィシャルで入校許可を出していたわけではなく、ユルかっただけです)。
で、一日中大学で練習して(学生の時から何も変わってません)、夜になったら帰る。後輩と一緒に飲みにいったり遊んだりして、かなり自堕落な生活をしていました。

最初は最悪なレッスンクオリティでした

そんな中、大学の職員の方が練習場に突然来て「音楽教室の講師を探してるんだけどやりたい人いる?」と僕の目の前で話していたので、真っ先に「やります!」と言ったのがきっかけで音楽教室の講師になりました。これは本当に偶然です。とは言え、当時は中学生の生徒さん1人しかいなくて、1週間に1回程度教室に行って千数百円のレッスン料をいただく、そんな感じでした。
しかし、トランペットのレッスンと言えば、自分が高校生の時に受けていた音大受験対策レッスンに始まり、音大でのレッスンしか知らないので、ほぼ初心者の中学生の子にどうやって教えて良いのか全然わからないから、自分が受けてきたようなスタイルでレッスンをするしかできず、最悪なレッスンクオリティでした。

ブログを始めたきっかけ

こんな仕事のない生活が良いわけがないとわかっていたので、どうにかこうにか音楽の世界に居座り続けるために何をしたかと言うと、当時流行っていたブログを書き始めました。

音楽教室のレッスンがきっかけで、人に自分の知識を伝えることについてとても考えるようになりました。僕は頭の中にあることを口に出したり書き出すことで整理ができるため、メモを取ったりもしていましたが、ブログというツールを使うことで、不特定多数の人に見らる可能性を感じながらアウトプットという緊張感の中、言葉の使い方や、誤解されない言い回しなどに気を遣いながら投稿していました。

幾度かの書き直しを重ねた「ラッパの吹き方」は、現在このnoteのマガジンのひとつに加筆修正版を順次掲載しています。よろしければそちらもぜひ。

当時はかなり稚拙な知識ときちんと検証していない内容、抽象的で根拠のない表現を使っていたと覚えていますが、ただひとつ言えるのは書いて内容は決して嘘などではなく、当時は本気でそう思って実践していたことを書き留めていました。ただ、根拠に乏しいところが多いために結果的には浅はかな内容が多かったと思います。

「営業妨害」と同業者からクレームが

これは想定していたことですが、自分の考えている奏法のことなどを包み隠さず書き出していたら同じ業界の人からクレームが来たことがありました。

営業妨害だ、と。

当時の世の中、ブログが流行っていたとは言え、インターネットを活用している人はまだ極端に少なくて、ある程度お金があって(当時のパソコンは非常に高価でした。僕は恥ずかしながら親にねだって学生の時に買ってもらっていました)、そして新しいものが好きな人、要するに安定した生活をしている社会人の人が使っている印象がありました。
一方、年代を問わず保守的な層も結構いて、そうした人はよく理解もしてないのにインターネットは個人情報が盗まれて危険だとか騒いでいました。
ちなみにこの頃は今のスマホのようなものは当然なくて、パカパカ開く携帯電話で、それでできるインターネットは本当に限られたことしかできず、結果的に若い人は個人の権限でインターネットを自由に使える環境がありませんでした。学生は実家にパソコン環境が整っている際に、許可を得て使用したり、一人暮らしをしている若い人は、もはやそういった環境を整える資金がなく、インターネットとはまったく無縁の生活をしている人も結構多かった印象があります。

そんな時代、多くの人がまだよく理解していないインターネットという世界で、誰だかわからない音大出たばかりの同業種の若い変なヤツが、ブログとか言うよくわからないものでトランペットの奏法について情報を垂れ流しているらしいと小耳に挟み、よくわからないけど問題視されてクレームをつけてきた、という流れと推測します。

でも、すでに書いたようにこれは僕の生き抜く可能性を賭けた手段のひとつです。そもそも便利なツールがあったからそれを利用しているだけであり、仮にこの行為が世の中のトランペットを習う生徒さんを独占するなどあり得ないわけで、もしも本当に一極集中したとしても僕は何も悪いことしてませんよね。トランペットの奏法解説に特許なんてないし。

ブログで認められる

このブログが功を奏して、自分の中でも奏法に関する整理や、何かを伝える時にどのような言葉の使い方をすればわかりやすいか、どういった順序で物事が成り立っているのかなどを理解することができました。
同時に、根拠のないことは書いていて矛盾が起きるために、自分が未だ理解できていないこと、理論が成り立たない部分も明確になっていきました。

そしてありがたいことにこのブログを見た方が少しずつレッスンに来てくださるようになりました。

先ほどの営業妨害の話と同じタイミングで多く寄せられた声に、「こんなに奏法のことを公開しちゃったらみんなレッスンに来ないのでは?」と心配されました。これについては今も結構言われるのですが、逆です。この人は根拠のあることを書いていると認めてくださったことで、受け売りでテキトーなことを抽象的に言うだけのレッスンをする者ではないと、実際に来てくださる流れが生まれました。

その後はレッスンの形やニーズに合った受講方法を模索し、奏法面、音楽面、様々な角度からトランペットについて考え、研究し、その時のベストな状態で常に生徒さんと向き合ってきました。
22歳頃からレッスンを始め、どんぶり勘定ではありますが25年で少なくとも15,000時間以上はレッスンをしてきたと思います。

演奏家として積み重ねた年月、レッスンで積み重ねた年月

ふたつ前の記事で、6年前に東京音大の講師になった際、周りの講師陣の演奏家としてのキャリアがすごすぎて自分の演奏能力に落胆したり刺激をうけたりの繰り返しである、とお話しましたが一方で、自分が若い頃から研究、模索、経験してきたレッスンのクオリティ、生徒さんへの奏法面の洞察力の強さは人一倍持っていると自負しています。

もちろんレッスンと言っても内容は多岐にわたるわけで、例えばアンサンブルのノウハウ、様々な作品を実演するアプローチについては現場で演奏活動を豊富に経験している方や、サックスで世界ツアー周ってるプロ中のプロのほうが具体的かつ説得力があると思います。一方でもっと原点的な、その生徒さんがどのような悩みを今持っていて、それがなぜそうなってしまうのか、どうしたらそれが解決するのか、そのための「その生徒さんに向けた」アプローチや、他の先生や指揮者に指摘されたことが一体どういう意味なのか、そしてそれはどういった行為によって解決するのか(相手を納得させられるのか)、そうした面をわかりやすく的確に解説し、解決へ導くためのストーリーを構成する力には自信を持っているし、プライドもあります。そうした点に関してはサックスで世界ツアー周ってるプロ中のプロに実際に習うよりも得られるものはうんれい…失礼、「雲泥の差」になると思います。

挫折の経験は糧になる

僕はこれまで音楽に関してはほぼ挫折だけで生きてきたような人間です。だから生徒さんが奏法で悩んでいる気持ちも葛藤も自分なりに理解できます。
カッチョイイ実演を手本として生徒さんに聞いてもらうことは大切かもしれませんが、レッスンというのはそうした面だけではありません。
もっと原点の部分、根幹の部分、原理や理論、そして何といっても生徒さんの心にできるだけ寄り添うことができるか、そして生徒さんが音楽が楽しい!好き!と感じ、これからもずっと好きであり続けたい、そう思ってもらえるようにするのが、教育において重要な要素だと思います。

それでもなおマウントをとってレッスンプロと茶化し、演奏家より下に見たいのだったら勝手に言っていればいい。少なくとも、例のサックス奏者は教育者を名乗る資格はありません。

この話、まだまだ続きます。近日中に。


荻原明(おぎわらあきら)

荻原明(おぎわらあきら)です。記事をご覧いただきありがとうございます。 いただいたサポートは、音楽活動の資金に充てさせていただきます。 今後ともどうぞよろしくお願いいたします。