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【軌跡学習】子供に伝わる「学ぶ価値」~大人が築いた学びの形プロジェクト~

「なぜ学ぶのか」 皆さんは、この命題にどのように応えますか?


この問いは、以前に宮城県にて催された「教育の困り事」に関する意見募集で問題提起させていただきましたフレーズです(本記事の下部に実際の投稿文を転載いたします、ご興味ある方は一読お願いいたします)

私は、学びの動機は「各人が社会の中に見出す将来の夢、役割、活躍の場」の解像度と言い換えられると考えます。そして、その動機の獲得には子供達は社会を知り、自身の価値を社会の中に投影出来る能力が欠かせないと捉えております。その実現の形として大人が歩んだ学びの足跡と、その活用例を纏めたプラットフォームから、社会に潜んでいる今日の学びを見つける学習、「軌跡学習」環境を整備することが必要であることを提案いたしました。



①学びの終着地「社会に潜む学ぶ価値」

かつて私は、大学の広報活動に携わる機会をいただき現役学生である一方で、オープンキャンパス(OC)、大学内外での説明会、大学受験に関連する情報媒体・発信企画を経験いたしました。自身としては「大学の面白さ」「自由度」「外からは見えない大学生活」を伝播して、小中高生に自身が感じた「大学における学び・活動とその魅力」を提供したいと躍起になっておりました。

そして迎えた初めての学生間交流企画で、私は来訪された高校生に自らの経験と将来やりたいこと(実現できてませんが…)を紹介し、同じ研究領域を目指す学生達の興味・知的好奇心を刺激できればと構想を描いておりました。しかし、予想に反して参加された高校生から思いもしない言葉を投げかけられました。

「自分が興味を持っていない研究、自分の知りたい内容では無かったので、その話をされてもよく分からない」

私は実体験を交え、大学の魅力を自信と熱量を持って「学びの価値」として表現したつもりでしたが、どうやら学生視点では「自分の疑問(知りたかったこと)」にまっすぐ回答した説明では無いと感じたようでした。私はその言葉を受け、交流を持たせていただいた学生達に、君が抱く「大学の疑問」とは何か投げかけました。すると、この大学での研究(学び)は「社会ではほんとに役立つのか」「お金になるのか」「就職に有利になるのか」「それを学べば将来安泰か」「この企業(職種)に就職したいがこの大学に来れば問題ないか」「自分の将来の夢はこの大学で叶うのか」といった内容が多かったことが印象に残っております。

振り返れば自分も大学受験先を絞る際は、この大学でのこの研究にのめり込みたいんだ‼、この大学でしか出来ないことがあると強い目的意識は持っておらず、良い大学に入りたいという判然としない理想と、大学のネームバリュ-、就活への貢献度から大学を選定していたな💦と思いました。謂ってしまえば、大学は社会への通過点であり、社会ステータス獲得のために進学するもの。大学(学び)自体にそこまで焦点を当てず、将来の夢や理想(就職先)から逆算して選択した学びの場でありました。勉強はそのための必要手段で将来役立つかどうかにかかわらず迫られる学校タスクで、仕方なく受け入れている。その当時は、それが当たり前のものとして頭にインプットされておりました。




追記)2023.1.19
この投稿をした直ぐ後に、こんな記事を見つけました。

当時、そして今現在の私も「伝わる努力では無く、伝える努力」にしか目を向けられていなかったと痛感いたしました。今後、どの様な形で「学びの形」を発信していくか再考の余地がありそうでうです。もし、皆様から学びの「伝わる」アプローチ案がございましたら、アドバイスやご意見等お願いいたします。




一方、理想を声高に語った私の大学生活はどうだったのか?

大学での学びが深度を増していくにつれ、あるいは就活に近づくにつれ、それまで描いていた将来の夢は「自身の理想の形」と「実社会での形」との乖離が激しくなり(ミスマッチ)、結局のところ放棄することになりました。その途端「これまでの学びは何だったのか」という葛藤と将来への選択肢が途絶え、憂鬱な期間を過ごすこととなりました。

そこから脱せたのは、同じ学びを享受し社会へと旅立っていったOB、OGの方々の再訪でした。その方々は口々に「この知識・経験は直接役に立たないが、こんな使い道もある」「これは言葉が違うだけで同じロジックだよ」と、私に見えていなかった学びの活用と選択肢を提示いただきました。結果的には自身を取り巻く社会人生活に提示いただいた学びの活用は登場しませんでしたが、先輩方がそうであったように学校で教わった「これまでの学び」が違った「形」「価値」「言葉」で登場し、これまでの学びが無駄では無かったと実感できることが増えてきました。

それらの経験が先述の宮城県が企画した意見募集への投稿や、noteにおけるトコトコ日記作成に繋がったと思います。



②「急変する学校」

近年は奇しくも教育改革が進んでおります。

デジタルデバイスを活用するICT教育のみならず、アクティブラーニングを始めとする自発的・能動的な学習空間の創出「学び方」の変遷、部活動の地域移動、それらの基本骨格となる教育データ利活用指針など、ここ数年で「学び方」だけで無く、学びの価値観すら大きく変化しております。

中には、予算・人員・最新学習領域への見識が不足しており、既存の学習手法のままの教育機関、新たな学びと必要学習要件との折り合いが付けられず四苦八苦している方々もまだまだ多いのが実情ではないでしょうか。

しかし子供達の学びを停滞させるわけにはいきません。さらに、コロナ環境は学校に「教育」としての役割のみならず、「保育」の役割も求める声もあるとの指摘も聞き及んでおります。その最中、子供達はただでさえ社会と接触する機会が少ないにもかかわらず学校空間においても、課外実習や職場体験・体験型授業・学校or地元行事を経験すること無く学びを終えようとしております。果たして、社会との繋がり、学校コミュニティでの体験・経験の欠如に晒された子供達は「社会の中に将来の夢、役割、活躍の場」を見出すことが出来るのでしょうか。かつて、私に大学での研究は社会で役に立つか、と問いを投げかけてきた学生は就職要件を満たすためとはいえ、社会の中に自身の夢を描いておりました。それは、社会科見学や学外活動、学生イベントへ参加する機会があったからであったと記憶しております。

その状況を鑑みて、私は「現代の子供達」に実体験とはいかずとも同質・同量の「社会のカケラ」を提供したい。



③「まねっこ学習道」

以前に恩師が「真似るは学ぶ所作、知るは選択を増やす気付き」と講じておりました(うろ覚えですが…確か私の恩師だった気がする?)。私はこの考えに強く共感しております。子供達が社会を知らなければ「学びの価値」には気付けません。なぜ学ぶのか?その価値は現在社会に潜む学びの最終形態を知ることでしか勝ち取れません。

ならば、今現役の社会人達が行き着いた「学びの価値」をその原点からのロードマップと共に子供達の元へ提供できないでしょうか。

私が思いつく程度のことは誰かが既に実践されているモノで、経済産業省が進める「未来の教室」では学びのSTEAM化という形で「学びと知る」の両面から学校教育にアプローチしております。この活動においても学生が身につけた学びは社会では何と繋がるかを見つける「探究授業」として試験的に展開されております。しかし、あくまでも子供達が活用先、社会の形に気付くことに主軸を置いており、全ての学びを網羅することは難しいことです。

故に、現役世代が出会った学びの価値(学びの社会における形)を伝えることが、その気付きの補強と子供達への新たな選択肢への獲得に有効であると密かに考えております。それが「軌跡学習」です。わたしはこの社会における学びの形の「収集」「データリスト化」「子供達への共有プラットフォーム構築」、そしてそれらが自走する「プロジェクト・サイクル化」を目指しております。

社会における学びの価値を子供達が知り、学習意欲を駆り立て「社会の中に将来の夢、役割、活躍の場」を投影できる人材育成を目指したいと考えます。それが社会で躍進できる「始動人」の姿ではないでしょうか?

(「始動人」とは、群馬県の「新・群馬県総合計画」のビジョンに登場する言葉なのですが、自分の表現したい人物像と合致しておりましたので使用させていただいております)




④「おわりに」

長くなりましたが、皆さんはどんな「学びの形」をお持ちでしょうか。

是非とも、自身が見つけた学びに「形」を与え、「未来の主人公」達に伝えていきましょ。私自身はこれまで教育に対する「疑問」を提示するのみで実践には至っておりませんでした。しかし、本年を「挑戦」の年として出来ること+思いついたことには食らいつき、自身の「思いを形に」変えていこうと決意しました(旧友が同分野で奔走する姿を知り、触発されました)。


よろしければコメントをお寄せ下さい。
この機会に、みなさまの「声を形に」子供達に向けて残してみませんか?




以下、宮城県への投稿内容


学生の実社会認知プロセスとして「軌跡学習」展開と 少年期から可能な社会参加の機会創出「トライアル・ワークショップ」設置

「なぜ学ぶのか」 皆さんは、この命題にどのように応えますか?


私は過去にこの問題を抱え、今は後輩達から問われる立場にあります。

これはこんな場面に役立つ、この資格を目指すなら今のうちに学ぶのはアリかな?と知りうる情報は伝えられますが、それらは私の主観でしかなく彼らに取って有益な解答であったかは定かではありません。

私の知る大人たちは、その答えを「社会を生きるのに必要、役立つ」からと片付けます。しかし、それは子どもたちにとっての「学ぶ理由」ではなく、大人たちが抱く「学びの価値」に過ぎません。

近年、社会に出た大人達が学び直す気運が高まっております(リカレント教育)。それは、さらなる成長と自己啓発を目指す能力・スキル開拓である一方で、学びと雇用のミスマッチ解消の意味合いがあります。私は後者の就労に関するミスマッチを問題視しており「学びの二度手間」と捉えております。統計的な論拠はございませんが、実際に学んだ専攻や専門知識を活かした職に就けたと実感できる方はそれほど多くはないのではないでしょうか?
あるいは、学校の勉強は(将来)社会では役立たない、という言葉を耳にしたことはありませんか?

それらこそ、学びと就労との間にミスマッチが生じていることの裏写しであると感じます。 詰まるところ、私は「学びの価値」とは社会の中から見出すべき動機と捉えております。

しかし、前文と矛盾してしまうかもしれませんが、私は学びの中にミスマッチが生じること自体は致し方ないと感じます。問題なのは「気付く」タイミングが学びを終え、社会人として働くことでしか確認できない点です。 従って、学生も学びに先立って社会を知り「自身にとっての学びの価値」を見つける必要があります。

私はその機会を「軌跡」という大人達が歩んだ経験・体験を編成した記録集とデータリストの活用から、学びの場に「軌跡学習」として登場させることを提案します。

形式的には、OB・OG訪問のデータ化と一般公開(共有)に似通った部分はありますが、ポイントとしては「教育で培った学び」と「就労における能力・スキル」に焦点を当て「学びの実用例」を紹介することです。

自身の経歴から学びの変遷を挙げることの他にも、単純に公式やキーワード、文法、スキル、行動を自身の印象とエピソードに交えて語ることでより現実感のある学習意欲が発露すると思います。 可能であれば、学校教育では得られなかった学びを発展系・特集として纏めていただきたいです。それらの軌跡アーカイブには、キーワード抽出と情報ラベル化し、索引可能な状態にした上で子ども達に開示すれば、今日の学びは社会のどこに潜んでいるかを探れ、学びの深化と興味・関心を育めます。さらに、間接的に実社会のことも知る機会となり、将来の選択の礎となるのではないでしょうか。


ただ、学ぶ理由が生まれ、学生達の間で能動的な学習が実現されたとしても、大人になる中で実践機会が無ければ学習意欲の継続、学びの価値検証、潜在可能性の発掘が滞ります。故に、子ども達が自らの学びを実践できる機会として「トライアル・ワークショップ」も同時に実施する必要があります。

このワークショップの立ち位置としては課外授業だけでは無く、「部活動」の1つとして学びの窓口を設ける事が出来ると考えます。 理由は、部活動の地域移行です。 この計画は教師負担の軽減が主目的として語られることが多いですが、地域との協働・融合させた社会活動を通して「世代間互恵性」を耕起するきっかけ作りや、学生の取り組み方・指導の適正化から部活動の充実化が子ども達にとっての価値として挙げられます。 その中においても、「トライアル・ワークショップ」は学びと地域との共創学習教材として有効です。

この活動では自らの疑問、興味、学びを端として学生自身がフィールドワーカーとなり、設定した課題に対して「自身の回答を形にする」ことを目指します(経験ある不活性人材の登用、地域資源の活用)。学校間発表やアーカイブ化などで目に見える成果記録も重要な自己啓発となります。指導員には定年された大学教員や、論理的、多角的なプレゼン発表と資料作成の心得を有する方(高いプロモーション能力)が接する事で先人の経験・知識の互恵性の獲得が期待できます(大人の能力の可視化が大きな課題です)。

是非とも、学びの場から社会を知り、将来の選択肢を紡げる子ども達が溢れる社会を目指してください


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