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「死」という投影された完全性
(2014年に突然死が増えたという
ニュースを見て考えたこと)
突然死が増えている、
という記事の見出しを読んだ。
それがどれくらい本当のことか
というデータを見ていないのでわからない
が、自分のざっくりした印象では、
本当のことかも知れないな、と思う。
実際私も
今年に入って2人のご縁ある知人を
突然と言っていい形で失くした。
さて、Facebook上で
突然死のニュースなどを見ての
広がる視点と意識の目覚め
自分が存在することで、
いつも誰か、何か、
を犠牲にしているような
側面があるということに気づいたとき、
私は愕然としました。
例えば命あるものを食物としていただく、
ということだけでなく、
私が歩いただけでそれらを踏みつけ、
傷つけたりすることだってあるのです。
自分が経済的な拡張や安定を求めるとき、
それがどのようなシステムの上に
成り立っているのかを考えるとき、
そうでなくても、
日々お
選択の力で焦点を変える〜勘違いから美しさへ〜
頭の中にある
過去からの情報と言う
いかにも正しい感じの
でも実は勘違いの
集積のようなものに
支配されるのは
もうやめよう。
そのフィルターを
通した目で世界を眺め
自分や他人、世界に対しての
ダメなところに焦点をあてて
凹んだり、腹を立てたり
策略を練ったりするのも
お終いにしよう。
ターコイズブルーから
エメラルドグリーン
青色
のグラデーションに光る
海を眺めて思う、
今ここには
存在することのシンプルな幸福
今日やっとのことで
朝から海に入ることができた。
ここのところ
原稿を書くことを優先しており
散歩するだけに留まっていたのだ。
泳いだわけでも
シュノーケルしたわけでも
なくて
ただ海に浸かった
くらいの表現が適切な程度に
入ったのだが
部屋に戻って
多幸感でいっぱいになっている。
海まで歩いて
しばし空や海や
遠くのダイバーや
サップで遊ぶ人たちを眺め
ちょっと水に浸かって
戻ってくる
自分が自分についてる嘘
自分が自分についてる嘘
というものは
自分ではなかなかわからないものだ。
人は何かを得るために
多くの場合お金を得るために
人の承認を得るために
そのことで満たされない何かを
得るために
いとも簡単に自分を騙す。
そして正当化した自分を
本心だと信じ込み
それを外にばらまき続ける。
そして自分に嘘を
つき続けている私たちは
他人のそうした嘘にも
気づかぬままに
それを称賛したり
慈悲と健全な攻撃性と
意図的なのか
そうでないのかは
わからないが
自分を傷つけようと
してくる人に対して
一瞬何が起きたのか、
とショックを感じたが
それはすぐに
相手へのコンパッション
(慈悲、慈愛)に変わった。
「きっと傷ついて
いらっしゃるんだろうな。」
そんな想像をするとともに
すぐにやさしい気持ちに
なれたのだ。
それは時間を過ぎても
変わらず
なぜか悲しくも
腹がたちもしなかった。
自