慈悲と健全な攻撃性と

画像1

意図的なのか
そうでないのかは
わからないが


自分を傷つけようと
してくる人に対して

一瞬何が起きたのか、
とショックを感じたが
それはすぐに

相手へのコンパッション
(慈悲、慈愛)に変わった。

「きっと傷ついて
いらっしゃるんだろうな。」

そんな想像をするとともに
すぐにやさしい気持ちに
なれたのだ。

それは時間を過ぎても
変わらず

なぜか悲しくも
腹がたちもしなかった。

自分を傷つけようと
する人に対して
腹を立てるのは健全だ。

傷つけ返す必要はないが
毅然とした態度で
ノーと言っていいし、

怒ってもいい、
と私は思っている。

でもこんな風に
ただただ相手への
やさしさだけを感じられる
ことは

なかなか気持ちの
いいものだ。

人は本来人を
傷つけたりしない。

人は愛とやさしさで
できているものだから。

でももし誰かが
そうするとしたら
その人はただ傷ついていて
その痛みに耐えきれず

誰か他の人にそれを
向けてしまうだけなのだ。

それは決していいことでは
ないし、

できればしないで
済ませたい。

それでも漏れ出てしまったり
無自覚のうちに
やってしまうことも
あるだろう。

私だって時々あるし。

それに気づいた後は
そうせずにおれなかった
自分にやさしくして
あげるのさ。

それにもしあなたが
それに傷ついてしまうと
したら、

実はその痛みのタネは
あなたの中にあった
ということに
気づいてみるといい。

相手の意図は相手の意図。

たとえそれが自分に
向いてきたとしても
それは相手のものなのだ。

それを自分の痛みに
してしまうのは
あなたの中にそのタネが
あるからなのだ。

それは決して
「あなたのせい」
ということではないからね。

自分のものである、
と認めることで
あなたの中に力が
戻ってくる。

自分の中に原因を
見つけられたらそれは
癒せる。

たとえそれが
はっきりわからなくても
自分のものとして
扱うだけで

癒しや成長に
繋げられる。

だからと言って
怒っちゃいけないとか
そういうことじゃないからね。

「怒ることができる」
というのはとても大事な
ことだ。

自分の中にある怒りを
なかったことにしていると

あなたの周りには
なぜかあなたに怒ってくる
人たちに出会い続けることに
なるかも知れない。

あなたは被害者で
絶対的にいい人。

相手は悪い人。

そのダイナミックから
自由になりたいなら
たとえ理不尽な状況でも

「これは私のものだ」
と認めることだ。

怒りのコントロールの
方法は教えられているが

怒りも含めた
健全な攻撃性を
内側に感じることは
教えられることはあまりない。

しかし、それを内側に
感じることができるのは
実はとても大切なこと。

それを感じた上で
あなたの中に納めておける
(抑圧する、とは違う)
能力が育つことは

あなたがあなたの
うちなるパワーと
つながることと
関係している。

それは決して周りに
怒りを撒き散らすことでは
ないからね。

私はヒーリングスクールや
魂とつながる歌の唄い方WSや
リトリートなど
少人数で密な仕事のできる時には
生徒さんがご自身の中にある
怒りも含めた
健全な攻撃性に触れることを
手伝うことで

その人が自分の中にある
パワーにつながり直すのを
手伝う。

それは生き生きとした
生命力を取り戻すことにも
大きく関係しているのだ!

健全な攻撃性を
取り戻した人たちは
目に生き生きとした
生命力を宿し、

声も深みを増したりする。

いつもやさしい
あなたは素敵だよ。

そして自分の中にある
怒りを感じても
いいんだよ。

それを相手に
伝えたっていい。

それができてはじめて
それを相手には伝えず
自分の中で片付ける
選択もできる。

その力は
あなた自身へのやさしさとなり

もっともっとホンモノの
やさしさになる。

今日もいい日ね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?