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新生鹿南野球部

これから生まれる後悔の形を、僕たちはまだ知らない。それでも僕たちは生きていく。後悔の数だけ、少しずつ大人になっていく。

「頑張れってよ、元副キャプテンが」
「元副キャプテン?誰それ」
「原先輩」
「マジ!?凄え、あの人役職までステルスかよ」

河川敷の草原で、小さな子供達が鬼ごっこに興じている。寒さを諸共せず無垢に素直に、今を楽しんでる。きっと後悔をまだ知らないお年頃……羨ましいって、ちょっぴり思えた。

「桑田ちゃん、文化祭どうだった?」
「どうって……まあ適当に」
「あ、そう。俺、彼女出来たよ」
「まじ?」
「嘘だよぉ!俺には桑田ちゃんがいるじゃん」

柳井と二人並んで歩くのはいつ以来だろう。一年の頃以来かな。あの頃、僕はまだコイツと仲良くなかった。今も仲が良いとは言えないけど……いや、むしろ仲は悪いんだろうな。キャプテンの俺に愛想を尽かし、副キャプテンのお前は部活に顔を出さなくなった。今、お前は普段と変わらぬ軽薄な装いだけど、僕は正直かなりの気まずさを感じてる。

「桑田ちゃん、『頑張れ』ってさ」
「ん」
「時に怖い言葉じゃん」
「そうね」
「でも今は、そうでもねぇわ」

それはよかった。僕たちは、話し合わなきゃいけない。なのに上手く話せないのは何故だろう。勇気はあるのに、未練を残して良いことは無い、分かってるのに。僕たちはどこか、沈黙を持て余していた。

「でも、重いんだな、期待って」
「背負うから重いんだよ。期待は応えるもんだ、勇気に変えて」
「名言じゃん。応用効きそうな。『恋は応えるもんだ、愛に変えて』的な」
「へぇ~~そうだね~~」
「心ねぇ~~~」

人混みに溢れた文化祭を後にしたせいか、人気の無い河川敷が随分殺風景に感じられる。だから少し、人間が際立って見える。柳井という人間が、柳井も多分、僕という人間が。……心に残すのは、価値ある後悔だけでいい。勇気を持て、桑田。

「僕は……必死だった。でも、後悔もしてる。僕が部活に強いた練習は、多分、良くなかったんだと思う。皆の顔、ちゃんと見れてなかったから。お前の顔も。お前が何を感じてるのかも」
「お、どした急に?」
「ごめんな、柳井」

柳井は立ち止まった。なんで?って顔して。理不尽を目の当たりにした子供のように、目をまん丸にさせて。急に自分が恥ずかしくなってきた。

「……まあ、それだけ。どうする、これから」
「え、どうするって」
「部活、辞めるか?……や、これは辞めろって意味じゃ無くて、お前が辞めるなら俺は尊重するって意味で……どうする、どうしたい、柳井?」
「……え?!何その発想!え、えーっ、なんでそんな哀しい事言うのさぁ、一蓮托生だろ俺等」

一連託生、そんな風に思ったことは正直一度も無い。柳井もそうだろう。今も極めて明るく振る舞ってるが、多分内心は俺と同じ、臆病に震えてる筈だ。お前から話しかけてきたんだ、最初の勇気はお前が踏み出したから。……あ、後悔って、何も一人で消化する必要は無いのか。

「つうか、謝んなよぉ、謝んの俺じゃん。俺、押しつけちゃったもん、先輩達の期待とか、部活の責任とか、お前が何を抱えてるのか、全然考え及ばなかったもん。だから……」

そこで柳井はトーンを落とした。普段のおちゃらけた口調を、どこか不適切に思えたんだろう。少し悩んで、多分言葉を選んで、やっぱり違うと考えて、それでも多分、最初に言わんとした言葉に行き着いたんだと思う。

「ごめんな、桑田。それでも俺、まだお前等と一緒に野球やりたいわ。でも俺は皆で極力怪我無く、楽しんで、勝つ野球を目指したい。でもこれは俺の個人的な想いだから……誰にも強制はしない。お前にも、部活の皆にも、誰にも。でも俺の中で、それだけは曲げたくない。それでも……いいかな、俺、野球部に戻っても。迷惑じゃないかな?」
「迷惑って言ったら?」
「泣く」
「じゃあ迷惑じゃないよ。おかえり、副キャプテン」
「……桑田ちゃぁん、俺泣いちゃうよぉ」

泣いちゃいたいのは僕の方だ。僕はどこか、お前に恨まれてると思ってたから。でもそれは、お前も同じだったんだろうな。そんなこと無いって、相手の立場に立てば分かる筈なのに……いや、立てないから、歯痒いんだろうな。だから僕達はすれ違うんだろうな。

「……実は俺、大滝パイセンに来年甲子園行くって言っちゃったのよ、どうしよ」
「は?お前馬鹿なの?」
「やべぇよ、これで秋期一回戦負けって洒落になんねぇじゃん」
「責任取れよ馬鹿」
「桑田ちゃん、さっきまでの優しさはどこ行ったのよ。『安心しろ、僕が連れてってやるよ』って言うシーンでしょここは」
「僕たちで行くんだよ、甘えんな馬鹿」
「めちゃ馬鹿呼ばわりするじゃん。泣けるわ~」

そして僕たちは再び歩き出した。……甲子園……正直僕たちの代で目指すのは厳しいだろう。先輩達の代が奇跡だったんだ、それは僕も柳井も分かってる。大事なのは結果じゃ無い、それも分かってる。でも……それでも僕は、心から目指したいと思ってる。それは多分、柳井の内心も同じ筈だ。ただ先行きが不安なだけ。橋梁を渡り校区を跨ごうとする頃には、太陽は沈んでいた。地平に滲む茜の線、星一つない闇の空。これが都会の夜。これが僕たちの夜。……少し、寂しいなぁ。

「あれ、うちの制服じゃん」

柳井が橋の下を見下ろして言った。本当だ。文化祭帰りだろうか、暗くてよく見えないが制服姿の男性が一人の大人とキャッチボールしてる。示し合わせたわけでも無く、僕たちはその場で立ち止まり、その光景を見下ろした。

「……そういえば文化祭明けから檜山さん復帰するって」
「え、なんで?」
「AOで入試終えたって。秋期出る気バリバリ」
「うひょ~、あの人やっぱ凄えなあ」
「プロ目指すんだもんな。本当、凄いよ」
「守備とかめちゃ下手だけどな」
「だから凄い」
「ああ、負けらんないな」

……沈黙だ。何だか僕たち二人とも、歩き出すことが出来なかった。

「……俺等もやる?キャッチボール」
「グローブねぇよ」
「実は持ってんだよね、ほら」

柳井は鞄からグロ-ブを二つ放り出した。なんで持ってんの?

「いや、お前に復帰認められなかったら、遠投勝負で俺の根性見せようと」
「スポ根じゃねぇんだから。ボールは?」
「あ、忘れてるわ」
「ばーか。それにやんねーよ、こんな暗い中。怪我したらどうすんだ」
「ですよね……あの二人もそろそろ……あ」

柳井が何かに気付いた。

「ほら、暗くて見えなかったけど、あれ親父さんだよ、白星さんの」
「あ、本当だ。てことは」

キャッチボールに勤しむ二人は、白星さん父子だった。

「……俺、少し心配だったのよね、白星先輩」
「どうして?」
「最後の最後、全部を背負っちゃったじゃん。それで、俺達は負けた。……誰も恨んでねぇよ?でも……本人は、一生引きずる傷を抱えたかもしんないじゃん」

……そうだな、それは確かに。僕や柳井が白星さんの立場なら……もしかしたら乗り越えられないかもしれない。それは価値不価値に関わらず、何よりも恐ろしい後悔になるだろう。

「でもよかった。白星さん、折り合い付けられたみたいで」
「何で分かんの」
「だって今の白星さん、すげぇいい顔してんじゃん」

目を懲らした先に映る白星さんの表情は、何だか爽やかだった。笑顔では無い、どちらかというと無表情だ。でもその顔はどこか、安心感だろうか、温かいものに満ちているような気がした。

「……本当だ。白星さん、あんな顔もすんだな」
「な。よかった……いや、マジ良かった……」

言うと柳井は急に嗚咽を懲らした。なんで?コイツのスイッチが分からない。柄じゃ無いけど、背中を擦ってみる。案外、小さい背中をしていた。

「惚れちゃいそうだよ桑田ちゃん。結婚しよ?」
「キモいよ」
「……下、終わったっぽいな……あ、こっち見た」

白星親子が僕たちの存在に気付いた。でも下からじゃ僕たちの表情はよく見えないらしい。柳井は鼻水を垂らしながら、大声を出して叫んだ。

「先輩!俺、柳井です!俺等の代で甲子園行きますけど!嫉妬しないでくださいね!!」

さっき甲子園宣言に後悔したばっかじゃん、よくこんな小っ恥ずかしい事を言えるなぁ。まあ、僕も価値ある後悔がしたいので、便乗して叫んでみる。

「白星先輩、桑田です!一年半、ありがとうございました!新生鹿南野球部、頑張ります!思い切り期待して下さい!!」

親父さんの笑い声が聞こえた。白星さんは、遠目に見ても分かる、ドン引きしてる。まあ、そういう人だ、そういう人だから、僕たちはあの先輩が好きなんだろう。白星さんの返答は一つの白球だった。橋の上の僕達に向けて、真っ直ぐに投げたボールは僕たちを超えて、真っ暗な夜空に高く、高く舞い上がる。

「……高過ぎじゃね?」

確かに。白星先輩、現役時代より肩強くなってんじゃないかな?真っ暗な闇夜に漂う小さな白球は、まるで一つの星のようだ。でも当然、星はいつか無くなってしまう。そういうもんだ。でも、だからこそ綺麗なんだ。僕たち二人は夜空に向けて、グローブを嵌めた腕を真っ直ぐに伸ばす。落ちて行く星を取り零さないように。

そして僕たちは星を掴み、再び闇夜の空に舞い上げた。
それがまた、どこかの誰かの星になるように。

闇夜に輝く、白く小さな、希望の星に。




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