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強迫性障害だった頃の私-それを支える周りの人たち-

強迫性障害だった頃の自分を振り返った時、

一番初めに思い出すのは、
その時辛かった自分自身のことですが、

そこに必ずセットに付いてくるのは、
私のことを懸命に支えてくれた周りの人たちの存在です。

今の私があるのも、
そうした方々の支えがあってこそ。

一度たりとも、
その人たちの存在を忘れたことはありません。

一番私のことを身近に支えてくれた存在は、
家族でした。

中でも私の強迫性障害が良くなっていくように、
一番動いてくれたのは母でした。

強迫性障害の症状が一番酷く、
不登校だった中学時代は、

四六時中一緒に過ごしてきましたね。

右も左も分からない、
何が起きているのか自分自身の状況すら
分からない、
強迫性障害に翻弄されまくる私とは対照的に、

病院探しや通院の付き添いはもちろん、
カウンセリングに連れ出したり、

私の強迫性障害の話の相手をしたり、

学校の先生と
コミュニケーションを取ったり、

私との遊びや
気分転換のお出かけに付き合ったり。

私には出来ないことを私に代わって、
私のためにたくさんやってくれました。

きっと、
母も当時の私と同じように、
右も左も分からなかったのだと思います。

母のベッドの枕元には、
常に強迫性障害に関する本が
置かれていましたからね。

そんな中でも、
試行錯誤、私のために動いてくれた母にも、
感謝しかありません。

とは言え当時の私は、
精神的にずっと不安定な状態だったので、

発狂したり、泣き叫んだり、
当たり散らしてしまっていました。

その時の情景を
今でも鮮明に思い出すことが出来ます。

それくらい私自身も辛かったと言えば、
そうなのかもしれませんが、

日頃私のために頑張るだけでも
大変なことなのに、

それにプラスして、
当たり散らされてしまう母のことを考えたら、
どれくらい辛かったのだろうと思うと、
想像してもしきれません。

母として、親として、私には分かり得ない、
支える側にしか分からない苦しみや辛さが
あったのだろうと思います。

私の個人的な考えにはなるのですが、

強迫性障害を良くしていくために、
本人の良くなりたいという気持ちが
一番大切だと思うので、

周りの支えがあれば、
必ず強迫性障害は良くなるということでは
ないと思うのです。

とは言え、
周りの支えてくれる人たちの存在がなければ、
今の私はいなかったとも思うのです。

周りの人たちの存在が、
私にとって大きな安心感の基盤となってくれて、

その基盤を元に伸び伸びと、
自分の治療に専念することが出来たのは、

紛れもなく、
周りの人たちの存在のお陰だと思うのです。

あなたには今、
あなたのことを支えてくれる存在はいますか?

もし一人でもいれば、
その人はあなたの味方です。
あなたの大切な仲間です。

必ず、あなたの力になってくれるはずです。

それとも、
あなたは今、支えている側の存在ですか?

私にはあなたの苦しみを計り知れませんが、
私の周りの支えている人たちの苦しみの表情も
たくさん見てきました。

辛いですよね、大丈夫ですか?

私はあなたを尊敬します。
尊敬してもしきれません。

今は難しいとしても、
いつか絶対、

あなたの頑張りは、
大切な人の元へ届くと思います。

きっと無駄にはなりません。

そんなあなたにも、
あなたのことを支えてくれる存在が
居てくれていることを願っています。

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(久しぶりの文章で、上手く書けているかめちゃくちゃ不安🫣)

りん








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