「緊張」の深掘りでみる、自分の感情
みなさん、こんにちは。綺羅です。
今日もnoteをご覧いただき、ありがとうございます。
やっと、やっと!朝から今まで日が照っています!!
雲に隠れることなく、お日さまが輝いています。
私は太陽の光を見るのが好きなので、やはり、光が見られる晴れと曇った晴れでは全くテンションが違います。
連日の雨なので、少しでも土や草が乾いてくれればいいなと、思います。
みなさんは、自分の創作作品をネットや公の場に載せる時、緊張されますか?
「緊張?ぜっんぜん、してません!!するだけ無駄だと思ってる。」
「もういつも緊張しっぱなしなんです。これで載せて大丈夫だったかなぁって、心配が始まったらなかなか収まらないんです・・・。」
「緊張はするけど、『なるようになる』精神で、出してるよ。」
様々な反応を、画面の向こうでされているかと思います。
かく言う私は、緊張しっぱなしです。
それでもここで投稿が続けられるのは、自分が「緊張」してもいいと、認めているからかもしれません。
☕
私が、このnoteを始めたばかりの頃ですが、
「文章とか絵とか、載せて失敗しないかな・・・」
「こんな変な文章を載せるな!・・・って言われないかな・・・」
と、ビクビクしていました。
このnoteの中には、以前からいらっしゃるユーザーさんもいれば、昨日登録したばかりのユーザーさんもいて、さらに言うならば「書くこと」を生業にしたプロの方や、副業で使用していらっしゃる方がいて、あるいは「趣味」としてお使いになっているユーザーさんがいます。
noteに登録していらっしゃるクリエイターさんの人数分、同じ数の背景があるのだと思います。
様々なクリエイターさんが、様々な形で「創作」し、作品を載せています。
ただ、自分自身の考えや感じ方が、こう思えるまでには、かなり時間を試行錯誤に使いましたし、数十年に渡って育ててしまった「自己劣等感」との歩み寄りを積み重ねる日々でした。
この「自己劣等感」は、私の「創作したい」という気持ちを、ただ「人の作品と比べる」ことで、簡単に削いでしまうのです。
「世の中に、上手い人なんてごまんといるんだから、今更noteやTwitterに載せたところで、あなたは変われるわけがない。」
「そんな技術で載せるつもり?もっと練習すれば?せめてデジタル絵くらい描けるようにしないとダメでしょう。」
技術面や心理面だけではなく、環境的に「今」はできないことまでを材料にして、ガンガンと言ってきます。
自分自身の劣等感の言葉を、真面目に受け止めてしまった時期があり、1年以上、心理的に「創作」に対する楽しさが薄れ、打ち込みたいのに「打ち込むこと」を許されないと考えていた時期がありました。
「楽しみたい」のに「楽しんではいけない」と強制することは、自分自身に対する不満と怒りを募らせていくことです。
このことは別に「楽しみたい」だけの問題ではなく、「笑いたい」「泣きたい」「挑戦したい」「一人になって考えたい」等の、自分にとっての「○○したい!」ことには、共通に考えられることではないかと思うのです。
意地でも紙に向き合ったところで、消しゴムで消した跡が消えなくなったり、シャーペンの跡が残ったり、描いたところで「気持ち悪さ」を感じてしまい、破いて捨てたこともあります。
その時は「自分には、作る価値さえない」という、絶望そのものでした。
「自分が好きなこと」を自分で否定して、自分で自分を不満と怒りでいっぱいにしていく感覚がありました。
「ここまでして、私の劣等感は、私を殺したいと考えているのだろうか?」と、本気で思ったこともあります。
私はこの状態を、何とかして打破したいと思っていたことから、様々なストレス解消法を試してみました。
その中で、自分に合った方法が
自分の思ったことをひたすら紙に書く方法
でしたので、その方法を使い、自分が創作活動できなくなったことを話題にしました。
時間が経つにつれ、私と「もう一人の私」の言い合いはヒートアップしていきます。
そんな中で「もう一人の私」が、こう教えてくれました。
「・・・ただ創作活動を楽しみたいだけなのに、どうして好きなようにやっちゃいけないの?どうして人の反応を気にしながら、やらないといけないの?自分らしく作ることは、ダメなことなの?・・・自分らしくやりたいって思ってしまうから、私はダメなままなの?」
その言葉を聞いて、自分の中に「ストン」と落ちました。
心当たりがあったからです。
☕
私は、色々な学問・技術において、その道のプロから教わることも好きですが、
「好きだ」と思うがゆえに「こう教わったんだから、完璧にできないといけないし、完璧でないと人に見向きさえしてもらえない」
と、無意識のレベルで、思っていたのです。
プロが持つ基礎・基本を学ぶことは大切ですが、
それは果たして、”今”「自分が楽しいと感じられる心」を犠牲にしてまでも学ぶものなのだろうか?
と、ふと書き殴っていたペンを止めた際に思いました。
技術が上がれば、それだけ自分が持つ技法の選択肢が増え、作品の見栄えもよくなるでしょう。
見栄えの問題でかたづくならば、ほとんどの人から「スキ」や「♡」をもらっても、おかしくありません。
ですが、実際は、
「あなたの絵の雰囲気が好き」
「あなたの作品の世界観が好き」
という感想と、
その人の感性のもと、「スキ」や「♡」をいただける
のではないかと思うのです。
相手は自分の感性のもと、「スキ」や「♡」を送るのだから、自分も自分が思う「スキ」や「♡」をそのまま表現したらいい
という考えに、行き着けたのです。
今、世界の人口が約77億人なのだそうですが、私がその中で知り合った人数は、1,000人もいません。
77億の感性のうち、まだ1,000にも満ちていない数の感性をもとに、自分の好きなことを否定するのは、少しもったいない気がするな・・・と思ったのです。
自分の感性が詰まった作品を「スキ」と言ってくれた人を大切にしつつ、感性で「スキ」と言える仲間を増やしていく
ことが、できたら嬉しいなと、思っています。
私の「自己劣等感」は、その時、私の創作活動を止めてでも、自分が溜めに溜め込んでいた「自分の好きなことを否定する自分に対する不満と怒り」に、向き合って欲しかったのだと、今なら分かります。
作品を出す時の「緊張」は、自己劣等感に由来する不満と怒りの「ヴェール」である可能性も、あると思います。
私は、悪い意味での緊張でも、いい意味での緊張も、受け止めるようにしています。
「緊張」を、確実に感じ取れるのは「私自身」しかいないので、せめて自分だけは、自分の味方でいて、どうあっても「よしよし、頑張ったね!」と、声をかけてあげたいのです。
そう声をかけたら、また私は「よし、次こうやって頑張る!!」って言って、張り切ってくれます。
「緊張」は不安と向き合いながらも、自分にできる精一杯を尽くしたからこそ、出て来る感情だと、思うのです。
「緊張」したら「自分を優先第一」に、労ってあげたいです。
☕
トップ画像は こまこ様 からお借りしました。
ありがとうございました!
みなさんからの、スキやコメントやフォローも、私の緊張を和らげてくれる嬉しいサポートです!
この記事にお時間をいただき、ありがとうございます。
それでは、今日はここまでです。
みなさん、いい創作活動日和を!
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