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ウルトラの母の未来はAV女優であるかもしれないということ(『GIGANT』考察)
先日「ウルトラの母は団地妻だったかもしれない」という記事を書いた(https://note.com/presentfuturetk/n/n86e3f0563410)。 1971年に日活が製作した日活ロマンポルノ第…
劇場版シン・エヴァンゲリオン反応が分かれる理由
以下の考察は
劇場版シン・エヴァンゲリオンのネタバレも含まれます。
エヴァンゲリオンは
1995年のテレビ放送から今まで続く
アニメでサグラダファミリアをしてきた
唯一の作品であろう。
しかも製作者だけが作った巨大構造物ではなく
観客のリアクションや深読み解釈及び社会現象を含めて、観客と製作者の26年に渡るラブレターの往復がアニメのサグラダファミリアを積み重ねてきた。
で
劇場版シン・エヴァ
シン・エヴァンゲリオン考察
2021.03.17水曜日。1回目のシン・エヴァンゲリオンを観てきました。以下感想です。ネタバレしてると思うからまだ観てない方は読まない方が良いかもです。
劇場版エヴァンゲリオン序、破、Qと観てきて、謎の答え合わせをしないままきっと、あわあわと終わっていくのだと思いながら見始めたら、むちゃくちゃ、シン・エヴァンゲリオンは答え合わせをしてくれてました。まずそれにびっくり。
そして前三作と比較して
生きたまま埋められる埋葬不安の裏にあるもの
結構な割合でこの地球上に生を受けたら生きたまま埋められることって多いと思うんです。どんぐりはリスがうっかり土に隠したまま生きたまま埋められるし、その他の種だって結局発芽できるのはほんの一部で、大概の種は生きたまま埋められて土に還るのです。
にもかかわらず、人間の生きたまま埋められることに対する不安、埋葬不安が多くの文学作品のテーマとなっているわけです。特に今回はE.A.Poeの「埋葬不安」をテー
ウルトラの母の未来はAV女優であるかもしれないということ(『GIGANT』考察)
先日「ウルトラの母は団地妻だったかもしれない」という記事を書いた(https://note.com/presentfuturetk/n/n86e3f0563410)。
1971年に日活が製作した日活ロマンポルノ第一作「団地妻 昼下がりの情事」における「団地妻」という「性欲を感じさせる誰かの妻」と1973年に円谷プロが製作した「ウルトラマンタロウ」においてテレビ初登場した「ウルトラの母」が持つあら
子どものじかん。おとなのじかん。ウルトラマン・ゼンブのじかん。
2021.3.8
小沢健二が
翌日3.9にシングル「ウルトラマン・ゼンブ」を配信する記念に
ライブ配信してくれた。
以下は
そのライブと新曲「ウルトラマン・ゼンブ」の感想。
新曲を聴いて伝わったのは
完全に小沢から
「僕」という
ずっと彼のテーマだった
折り合いをつけねばならぬ20-40代の自分語りがなくなったということ。
自分探し第二章は
「僕」ではなく
子どものふとした全能の力から
気付
優しい時代から生きづらさの時代へ
ひと頃、優しさや癒しがあることが評価されるトレンドがあった。叱るより褒める、褒めて育てる、気持ちに寄り添うなどのイメージ。
その甘さが更に進み、昨今は「生きづらさ」が共感を深める時代といえよう。いままで秘密にしていた自分だけの「生きづらさ」=多様な痛み故に、多数派には理解されなかった内情をあえて告白して、他にも同じ「生きづらさ」を持つ人たちが共感を高めあう。
その生きづらさの根幹として、自己肯
『ノルウェイの森』と「流動体について」インターテクスチュアリティ考察2
前回、村上春樹の『ノルウェイの森』冒頭の、青年ワタナベを苦しめた目まいとその原因である過去のトラウマ(精神的外傷)の内容及びその描写方法が、小沢健二の「流動体について」におけるそれらと類似していると述べた。
『ノルウェイの森』では、過去の「君」と「僕」が、亡霊のように現在の「僕」の記憶にhaunted(取り憑いて)いるからこそ、ワタナベは目まいがして気分が悪くなる。一方、「流動体について」では、
ウルトラの母は団地妻だったかもしれない
昨今、ある俳優さんがその方の配偶者を「嫁」と呼んだことで、なぜ公の場なのに「妻」とか「配偶者」とかせめて「パートナー」とは呼ばないのかという一部の声がとりあげられていましたが。
長年日本のポルノフィルムをけん引してきた日活ロマンポルノ「団地妻」シリーズでは、一応「妻」なんだなと。「妻」ということばは「夫」に対する公で発言する女性の配偶者を示す言葉として、最も「性」を感じさせないものだときっと思わ