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失敗とはとはプリンのカラメル

いま、焼き芋、甘い焼き芋に黒い焦げが混じっている。それを食べるか悩んだが、食べてみてびっくりである。その黒い焦げが甘さに混じると、その焦げの香りと若干の苦みがイモの甘さを引きたてるアクセントとなる。

ああ、プリンのカラメルだなと思う。では、焦げというのは料理におけるいわゆる失敗だとするなら、プリンのカラメルはわざわざ失敗を作ってそれを甘いプリンという一見完成された 世界に乗せているということになる。しかしプリンとは、苦いカラメルと甘いイエローが一体となってプリンだと認識している私の舌には、失敗でかつてはあったかもしれないカラメルがなければプリンではない。

つまり何を持って失敗というのだろう。プリンにカラメル(わざわざ作る失敗)が必要なように、焼き芋に偶然できたおこげが似合うように、暮らしには失敗は必要。というか、失敗だったものがカラメルのように成功になることもある。

自分は〇〇ができないという認識は、実は〇〇ができないということが出来ているわけである。カラメルが重宝されてるのはそれが焦げだから。

もっと毎日の暮らし、人生の流れのなかでのいわゆる失敗と認識してしまうことを、いやーこれはこれで、必ずいつか必要になる、スパイスだなーと思ってしまうこと。

その失敗できたからよかったー。いつかこれぜったい、あたしに必須なものになっていくからなー。くらい、失敗に対して、失われた経験ではなく、未来の可能性を拓く経験として見なしてみたい。

ちょっとゆるめ。

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