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そして法則は発動する
せっかくの仕事から解放された日なのに
何をしていいかわからない
しなきゃいけないことはあるけれど
身体がうまく動かない
と
電話があった
車屋さんから
保険の更新だって
さすがに高いので見直そうと思ったものの
なにせ弱気の折で
「外した途端に」を恐れて結局オプション外せず。
またお金のかかることが増えてしまった。
なんでこう頑張ったときに限って。
そして今回はさらに追い打ちがあったのだった
このタイミングでそれを言うかな?
努力したって幸せにはなれない
頑張ったからといってうまくいくとはかぎらない
そんなことはわかっている
いやっになるくらいにわかっている
昨日、なんとかフィニッシュにもちこんだ。
「もう大丈夫ですよね?追加あるなら今言ってください」
「大丈夫です。ほんとにお疲れさまでした」
そしたら未明になって
「●●のところ、追加してください」
おいおい
だからちゃんと念を押して聞いたじゃないか
一度ク
がんばった日にかぎって
まったくもって頑張った日に限って嫌なことが起きる
そんなことが続いている
ひとはオカルトとバカにするけれど
一度や二度ならともかく
十度も二十度も続けば
もはやそれは経験則なのだ。
三泊四日の三日目の夜
人生が三泊四日の旅行だとすると
56歳の俺はもう三日目の夜なんだよ
四日目の午前ではないだろうけど
三日目の夜なんだよ
だから
いまから荷物を出そうとは思わないし
散らかってるものは荷造りしたくなるんだよ
あったらよかった でも ないね
もっともその「信じて待つ」にしても、さすがに不遇の時期が数年間続くと「宗教的な力なんて……」と気づかされてしまう。ご先祖、高僧、偉い聖職者、ご高名ななんちゃら、評判の占い師、ありとあらゆる目に見えぬ力を頼り縋り、その結果、「ああ、ないわ」と。気づきたくなかったなあ。
それでもこうして世界が存在し己も活かされている以上、「自然」という有機か無機かすらわからない創造主的な存在はありあったにちがいない