あったらよかった でも ないね

もっともその「信じて待つ」にしても、さすがに不遇の時期が数年間続くと「宗教的な力なんて……」と気づかされてしまう。ご先祖、高僧、偉い聖職者、ご高名ななんちゃら、評判の占い師、ありとあらゆる目に見えぬ力を頼り縋り、その結果、「ああ、ないわ」と。気づきたくなかったなあ。

それでもこうして世界が存在し己も活かされている以上、「自然」という有機か無機かすらわからない創造主的な存在はありあったにちがいないわけで。となると特定の宗旨宗派に対する信仰の心を持たぬのに、つい祈ってしまうという矛盾も、無意識のうちにそれに気づかされてのことだと思えば納得する。

「生きてるだけで丸儲け」とか「死ぬこと以外はかすり傷」なんていう人もいるけれど。尊厳だの体裁だのを忘れるような痛みに直面し共存している場合は、さすがに無理がある。ついでに言えば後天的な欠損やそこに向かう不可逆的な進行の最中にある人にも言わぬ方がよいと思うのだ。

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