「ぱなし」の人

「ぱなし」の人

クッキングヒーターの上
まただ、まただしっぱなし
「何度『ぱなし』はやめようよ」とお願いしたことか
もっとも「子どもの教育に云々」などと言ったところで
もはや手遅れ
既に長男は社会人に
長女も就活を終えようとしている。
唯一残った次男はしっかり彼女の癖(へき)を受け継ぎ
「生もの濡れものだけはその場で捨てるように」
という私の教えを見事に無視し続け
近い将来のごみ屋敷の設営人の資格を取得済。
こんな話をすると
まるで私が神経質の潔癖症の綺麗好きのように思われてしまいそうだが
とんでもない話で
私も汚屋敷のオーナーであり汚部屋の主。
もっとも
私の部屋には食べ物系のごみはない。
また自分があらゆること、
特に掃除・片付けに関してはダメダメであることを
しっかり自覚している、
この点において彼らとの差異は大きい。

あまり嫌な話を続けるのもはばかられるが
背景として伝えておいた方がいいだろう
この数年、私はツキというツキに見放されている
結果、名誉を失い、安定を失い
さらに不可逆的な欠損を経験し
おまけに指定難病まで患った。

とほほのほである

とはいえ
そこから私は立ち直ったりしていた

入院に始まる一か月半は
久々に生きているという実感を感じる日々が続いていた

それを打ち崩したのは
「ぱなし」の人である

5分の1世紀ほど専業主婦
それもあまり家事をしない専業主婦として
君臨した彼女は
溺愛する娘の独り立ちとともに
ようやく外貨の収得に出るようになった
もっともそこで得られた外貨は
彼女の愛する娘や実家のために使われるものであり
新型伝染病下の社会で
外仕事の一切を失った彼女の配偶者の収入の補完に
充てられるものではなかった

なんだかんだでそれなりのたくわえはある
もっともそれは配偶者が
文字通り心身とおそらく寿命を削って
そこに才だの運だの時間だの、
あらゆるものを提供し
その代償として蓄積されたものであり
本来は大切に少しづつ切り崩されるべくものだったのだが
彼女にとってそんなことは知ったこっちゃなかったのである
「かわいそう」の名のもと
長男に長女に、さらには父の不遇に同情し
「ぼくはいいから」と遠慮する次男に
果ては裕福な実家や
赤の他人にまで施しは及ぶ
むろん己の身体も時間も関係していないそれゆえ
彼女にとってはあぶく銭でしかないから
たがなどありはしない


そんな「ぱなし」の人
免疫の関係で大っぴらに人前にでることを制限されているものの
食事制限と大量多種の投薬のためか
症状は安定している配偶者が
仕事に出ないのが気に食わない

もっともそうは言うものの
彼は実際にはそこそこの外貨は稼いでいたし
何より元から苦手だったところを
アルバイトを口実にすることでさらにできなくなった
家事の穴埋めを
穴埋め以上に塗り込むくらいのことはしていたのだが
そんなことではおさまらない

そこでマウントをとってみたり
プレッシャーをかけてみたりと

元来が生真面目な配偶者は
案の定 罪の意識でいっぱいになる
ただでさえ入院中は
看護師、医師、介護や掃除の方々、レントゲン技師、
理学療法士、その他大勢の職員の方々の
仕事ぶりに
申し訳なさを感じていたくらいなのだから
既に過去において
平均的な日本人の一生涯のそれらを上回る
納税と社会保険料の負担をしていて
積分的には何の問題もなくても
微分的には心が傷む
後ろめたさに囲まれる

そんなぐあいなのだから
何とか重い腰を上げて
半鬱状態の中
翌月から外勤を始めることを決めたのだ


ところがその矢先
危惧していた投薬の副作用が表面化する

misfortune never comes singles
とはよく言ったもので 
そのタイミングで今度は
家庭において彼しかできない雑事がふりかかり

これをどうにか超えようと悪戦苦闘していると
その恩恵の当の受け手である長男と「ぱなし」の人は
自分たちがやらないのをいいことに
決断を引き延ばし
ならば手を引くといった彼を責める


こんな状況下で
無造作に置かれた
誰がどう見てもゴミにしか見えない
袋麵の「そば」の中身がなくなったビニール袋

「なんで捨てられないかなあ」
と不遇の彼が
憤りながらそれを捨てたのも
また無理のないことだった


不遇には不遇が追い重なる

どたどたと軽快な足音が近づくと
ゴミ箱からビニール袋を慣れた手つきで拾う
そしてまたクッキングヒーターの上に戻す

「?」
「いや さすがに それはごみだよね」

「!」
「送る」

「いや、いままで二十五年、そうやって
袋や箱をとっておいて
切り抜いたことはあっても
当たったことはもちろん
送ったことさえないよね、懸賞」

「じゃあ 捨てろっていうの?」

「あ、もう、いいや」

カッサンドラ症候群
普通は女性がなるものらしい
しかしうちはことごとく逆だ
だからこそ余計に信じてももらえなければ
同情など一切受けられない

ACDCだの
ADHDだのを疑うこともできない

せめて誰かに
「よくがんばってきたね、それはきびしいよね」
と認められれば
まだ違うのだろうけど。


もうここにはいられない
そう思って
外に出る

途端、彼を次の不幸が襲う
飛蚊症
それも特大の

Ican't check out   anytime  here
but I can't never leave

頭の中で
リフがかきならされた


#創作大賞2023
 #エッセイ部門

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