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生きづらい人間を生まないために、わたしは学ぶ
私には一緒に暮らす愛する人がいて、将来その人の子どもがほしいと思っている。
その子どもには、社会の厳しさは知るにしても、「自分として生きることへの生きづらさ」をあまり感じないで生きてほしい。
この世の楽しさや面白さを存分に感じて、生きていってほしい。
(本当は、私の両親もそう望んだことでしょう。ごめんなさい。せめて、まずは"楽しそうに"生きることを頑張っています。)
昔から、子どもを虐待してしま
古着屋さんの音楽が好き
ひとは服屋へ行くと服を見るのに集中する。
わたしも服を見る。けれど、同時に店内に流れる音楽にどうも意識をとられてしまう。
古着屋さんに流れる音楽は格別だ。
どこか懐かしくて遠い国を思わせるような、あるいは朝のまどろみや黄昏時を思わせるような音楽。ぼーっと音楽を聴きながら店を見回す。
この店はずっと昔からここにいて、わたしの目の前の服も、ずっと昔からここだけに存在しているのよ、とばかりに堂々として
穏やかじゃなくていい毎日は
深夜に聴くカネコアヤノの歌はなんて優しいのだろう。透きとおった水のように、わたしの心に染みていく。
今はきっと、みんなが生きづらさを多かれ少なかれ感じているにちがいない。
同じような一日が繰り返される毎日。友だちや恋人や家族に会えないさみしさ。いつ再開されるかわからない、元の生活。
一年前のわたしの暮らしは、決して穏やかではなかった。就活、大学、勉強、週に6回のアルバイト、ライブ、遊び、
ひとは肉体的な死を迎えても、その人の考えは死なない
たとえ偉人でなくとも、ひとは他人との関わりの中でそれぞれの考えを話し、お互いに影響を与え合うもの。そして、取り込まれた考えは、形を変えながらも人から人へと繋がれていく。
それに比べて、肉体は脆く、有限で、いつ消えてしまうかも分からない。なんて儚い存在だろう。わたしは病気に罹るたびに、肉体の脆さを実感し、死を身近に感じる。
数年前から、あることに対する焦りと恐怖に襲われるようになった。