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生きづらい人間を生まないために、わたしは学ぶ

私には一緒に暮らす愛する人がいて、将来その人の子どもがほしいと思っている。
その子どもには、社会の厳しさは知るにしても、「自分として生きることへの生きづらさ」をあまり感じないで生きてほしい。
この世の楽しさや面白さを存分に感じて、生きていってほしい。
(本当は、私の両親もそう望んだことでしょう。ごめんなさい。せめて、まずは"楽しそうに"生きることを頑張っています。)

昔から、子どもを虐待してしまうような母親、ヒステリックな母親や過干渉な母親、いわゆる毒親と呼ばれる類に自分もなってしまうのではないかと、うっすらとした恐怖を感じてきた。
表面上は、優等生で優しくて明るくて穏やかで誰にでも平等な私を上手に演じてきた。
同時に生きづらさ、息苦しさを感じていた。
表に出ることは決してないけれど、心の隅に暗い感情がいるのを感じることが度々あった。
破壊や暴力の衝動、希死念慮、僻みや嫉妬、恨み、軽蔑、激しい怒り。

これらの感情はどこからきて、何のために私の心に居るのか。
そのために、生きづらさを一番感じている今こそ学んでみようと思う。
私の生きづらさの根源は何か。
生まれつきの性質なのか、遺伝子なのか、家庭環境なのか、親の性格や言動なのか、この社会の仕組みなのか。
食べているものなのか、生活習慣なのか、大人になってから関わった事象によるものなのか。

自分がいきなり別の人間になることはできない。
また、目標を見失うといつもバランスを崩すことが分かっている。
ならば、自分という箱に入っていることを嘆くより、生きづらさの原因を知って同じように苦しむ人間を増やさないことを目指そうと思う。
そして、できるだけ穏やかで楽しくあたたかい家庭を維持すること、愛する人が毎日楽しく過ごし思う存分やりたいことやお仕事に力を注げるようサポートすること、夫婦のどちらかが欠けることなくお互い長く健康であり続けることを第一の目標に、しばらくは生きてみようと思う。

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