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自分を信じて挑戦し続ける人にとって、結果は過程の一部でしかない

失敗が怖くて何もかも逃げてきた私が、鳥人間コンテストに青春を捧げた人に出会い、見える世界が変わった話。


私は失敗恐怖症

 幼い頃から"負け"や"失敗"がものすごく怖い。家族で楽しむトランプゲームですら、負けるのが嫌で仕方なかった。何も失敗したくない。負け戦はしたくないから、少しやってみて上手くいかないものは"失敗"する前にすぐに見切りをつけて撤退してきた。当時の私が思う失敗とは、「何かに全力で挑戦したものの結果が出せないこと」だった。

・部活のレギュラー争いに破れる
・志望校に不合格
・資格取得を目指すも不合格
・就活で倍率の高い大手企業にエントリーするも不採用

「いくら頑張っても結果が出なくては意味がない」
「頑張った時間が全て無駄になる」

 上記のような"失敗"がちらつくようになると、それが実現する前にすぐに逃げた。自分が本当にやりたいことではなく、自分が容易に出来ることだけを選び続け、自分が入れそうな大学を出て、自分が入れそうな会社でサラリーマンになった。

鳥人間コンテストに魅せられた人

 社会人3年目、とある人に出会った。その人は、鳥人間コンテスト(琵琶湖で行われる人力飛行機の大会)に幼い頃から憧れていたという。鳥コン強豪校である大学へ入学するため、中学も高校も娯楽や遊びが制限された環境でひたむきに勉強し続け、見事合格した。

鳥人間コンテスト(公式HPより)

 念願の鳥人間の部活はとても過酷だったそうだ。入学後すぐは、8月の大会に向けて飛行試験をする時期。右も左も分からぬ新入生も参加して、深夜から翌朝にかけて機体を組み立てる。夜明けとともに始まる飛行試験を見て記録を取り、機体と一緒に走る。それが終わると一睡もせず大学の講義へ向かう。
 大会が終わるとすぐ、来年に向けて新たな機体製作が始まる。人力飛行機の骨組みである「桁」を焼くために毎週末は三日三晩、徹夜作業。平日も機体のパーツ作りのために作業。それが半年以上続く。機体が完成し、安全性を確かめる試験をクリアすれば飛行試験がやってくる。
 あまりの過酷さに辞める部員も多い。3年生になる頃には同期が半分近く辞めたそうだが、その人は真面目に参加し続け、自分たちがメインで活動する年に部活の代表になった。

結果が出なかった大会本番

 待ちに待った自分たちの代の大会。この大会終了と同時に引退だ。この日のために、代表という責任の重さや、作業や飛行試験に追われる過酷な日々を乗り越えてきた。
 しかし、思うような結果は出なかった。当日は台風による悪天候で飛行距離が伸びなかった。それどころか、大会自体が中止になってしまった。
 その人は、念願の部活で活動できたこと、機体を飛ばせたことへの感謝や、OBやメンバーに恵まれたことを話しつつ、結果自体は不完全燃焼だと語った。

社会人、念願のプロジェクト

 社会人になったその人は、ずっと希望していた大きなプロジェクトに携わり、完遂に向けて毎日夜遅くまで休みなく働いている。プロジェクトの進捗について愚痴を言うことはあれど、常にやるべきことや目の前の課題に全力で向き合い続けている。私なら逃げ出すかもしれない。
 しんどくない?と聞いたとき、その人は笑ってこう言った。

「鳥人間で鍛えられた心身があるから」

その言葉は、あまりに重みがあって、あまりにも私の心にズシンと響いた。

ああ、この人の挑戦はずっと続いている。この人にとって鳥人間コンテストの結果は、今日までの過程の一部なのか・・・
 
 どんなに頑張っても結果は出ないかもしれない。本番当日の悪天候のように、結果には運の要素もある。今のプロジェクトが成功するかは誰にも分からない。競合他社に負けて失敗に終わるかもしれない。それでも、この人は結果を出せると信じ、上手くいかない時に逃げることなく挑戦し続ける。もしその結果失敗したとしても、それまでに得たものは消えることなく次の挑戦へ繋がっていく。

つまずいても失敗してもいい

 小さな頃から言い聞かされてきた「失敗は成功のもと」という言葉を私は信じていなかった。と言うよりも、腑に落ちなかった。失敗したら全てがパーだと思っていたためだ。それが、ようやく理解できた気がする。

 今、仕事で躓いた私は心身を壊して休んでいる。何もかも自信をなくして、キャリアや入社以来続けてきた資格勉強、今後の自分の人生さえ全て失敗するように思えて逃げ出したくなっていた。これから全力を出して何かを頑張って、また躓いたらと思うと怖くて仕方なかった。
 確かに、心身を壊して休んだこと自体は"失敗"だったかもしれない。しかし、代わりに気づいたことや得られたことはたくさんある。ここでまた何かに挑戦し続けるならば、これまでの頑張りもこの失敗も、過程の一部として活きていく。
 だから、つまずいても失敗しても良いのだ。偉大な目標でなくてもいい。小さな目標を作って、少しずつ挑戦し続けるのだ。
 
 どうやら私の失敗恐怖症は、寛解に向かっているようである。

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