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「待つ」ことの価値とは


対人支援職において、「今」は、課題を抱えた当事者が回復する長い過程の、一地点であることを意識することの大切さを感じた。

日々、上り坂で上手くいくことは難しい。
上手くいった日も、上手くいかない日も、今は長い道のりの「一地点」に過ぎないのだから、当事者のご家族の方や支援者も、今日の結果に一喜一憂せず、ただ「今を生きる」それで大丈夫だと、今を受け止めることを意識していきたい。

これはメンタルヘルスにおける対人支援の場に限ったものではないように感じる。
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身近な人との関わりの中でも

家族、職場、学校、様々なシーンで生まれる関係性でも言えるのかもしれないと思った。

例えば、家族や職場などでほぼ毎日関わる相手に対して、イライラしたり怒りが出てきたときに。

今すぐ問題を解決したいから、自分の正論や意見を相手に説明してしまったり…
自分のネガティブな感情を今すぐ手放したいから、ぶつけやすい誰かにぶつけてしまったり…

そのような自分の状態の時、頭の中では何が起こっているんだろうか考えてみた。

自分の背景や経験や状況と言った物語が、相手のソレも同じだと思っていることが分かった。
「何で理解してくれないんだ?、なぜそんな事するのか?」と考えてしまう時に、相手のソレは、自分とは全く別物だと意識するのが難しいから。

そんな時に、今、急いで解決しなきゃいけない課題(仕事上で急を要するものなどは除く)なのか?と、自分にちょっと待てよ✋の合図を送りたい。
「相手は今そう思ってるのね」「ふーん、そういうことするのね」と、ただそうなんだと捉えて、明日になったら、もしかしたら相手も違う態度になってるかもしれないし、自分も違う思考や状態になってるかもしれない。
急いで解決しなくても良いものは、急がない。
特に対人関係におけるモヤモヤは、リアルタイムでその瞬間、今、解決するより、一呼吸おいて、少し時間が経つと、冷静に見えてくるものがある。すぐ表面的に対応はしようとするんだけど、その時に「今解決しよう、解決できる」と思わないことが大事だと感じるのだ。

もちろん個人的な見解なので、違う見方や感じ方もあるのは承知の介。
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時間の価値とは

若い頃は、なんでも急いで解決しようとしてたなぁと思い返し、自分の中に解決思考や効率主義が強くあるゆえ、仕事で上手くいく面もあるのだが、デメリットとして働く部分もあったなと。。
特に、「たい、ひと」のシーンでは。

時の経過の大切さ、待つということの価値みたいなものを、pswを学ぶ中で感じた。

解決や介入も必要だが、それよりもまずは大前提に、クライアント目線での安心安全の環境を提供すること、自己決定の場を整えること。
困難な時や上手くいかない時も、長い着地点までの道のりの、今は一地点であり、今結果を出さなきゃいけない訳じゃない。そこにどれだけ支援者は寄り添えるかが重要となる。
(これは子育てにも言えるのではないだろうか。
アディクションの当事者やそのご家族への対応や、メンタルヘルス不調を抱えてる人への対応だけじゃない。あらゆるシーンでこれを意識できると、自分も相手もホッとできるのかもしれない)

pswの現場の中で、「業務をこなしてはいけない」と言う言葉を聞いたときに、ハッとした。
今までの自分の仕事は、正確性とスピードが重視され、いかに効率的にタスクをさばいていけるかがポイントだったのだ。
しかし、対人支援の仕事で、目の前のクライアントや当事者の方と接する際は、それが邪魔になる。。
目の前の人を、いかに、自分のこれまでの経験や知識からくる色眼鏡や物語を外して「見れるか、聴けるか、向き合えるか」がポイントになり、それがクライアントの求めるものだった。
(事務処理等、さばけるところはさばきたいが)
支援者も自分の物語があり、見える景色がある。過去の歴史がある。目の前のクライアントに対して支援を行う場では、支援者は自分の歴史や物語に引っ張られないようにしたい。自分の抱えるツラさに引っ張られないようにしたい。

限られた時間の中で、限られたその環境独自の規定の中で、できることは限られている。
そんな中でも、上記を忘れずにいたいと思った。

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余談_学校や会社の場では、相反するけど大切なもの。

学歴主義や成果主義、結果主義は、学校や会社にとっては機能する上で必要である。
なのでその環境では、上記の状況が求められるのは仕方ないとして、それとは相反するもので、人が生きる上で大切な要素が存在する。
精神病理を防いだり、悪化を防いだりするものが存在する。
それは、勇気づけの対応の実践セミナーで言われること同様に、
何か結果を残さなくても良いんだよ。〇〇点以上じゃなくても良いんだよ。間違っても良い、忘れちゃっても良い、知らなくても良いんだよ。今まで生きてこれた、存在していることが素晴らしい。それでgoodなんだよ。
成果や学歴ではなく、その人のありのままの存在自体をまるごと、受容する。
これは会社や学校で行うのは難しい。しかし、ここが生きるのをやめないポイント、精神病理を防ぐポイントの肝だと思えてならない。
そしてこれらの対応、接し方が提供される場が家庭の中にない人が多い。
じゃあどこで現在提供されているのか。
精神科デイケアや自助グループ等のコミュニティである。精神病理になった後や限界を越えた先に専門家に紹介されて行きつく場所である。
日本では、ここまでこないと提供されないことが多い、そこが問題なのかもしれない。

もちろん勇気づけの対応は、精神病理の悪化を防いだり回復へと繋がるのだが、そうなる前に予防段階で早い段階で、多くの人が受けられる学べるところが欲しい。
個別に細々と行われてる支援者の方もいるのだが、そこに自ら集う人は、やはり自分や家族に何かしらの症状が出てから表出されてから、その大切さに気付くのだ。

どうすれば多くの人に、どの段階で誰を対象に発信するのか、どのような環境体制を整える必要があるのか等、メンタルヘルス不調を未然に防ぐ活動をこの先考えていきたい。






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