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#東日本大震災
マガジン更新しました
体験談2:東日本大震災
https://note.mu/notesaigaiinfo/m/mccedefb83a5f
被害状況や、当時用様子を詳細に書いた記事もありますので閲覧は各自の判断で。
災害の記憶は風化するもの、という前提
3月11日は、東日本大震災が起こった日。今は多くの人々があの日を思い起こし、また2011年3月11日当日のことをハッキリと覚えている人も多いでしょう。7年前の3月10日であれば記憶も曖昧になっているところ、あの地震と津波の衝撃は今でも思い出すと心が揺れ動きます。
そのときに感情を持つ人々の一次情報7年前の3月10日ではなく、73年前の1945年3月10日は何が起こった日か知っていますか?この日は
福島が《FUKUSHIMA》になってから
私は、ある3月の日曜日に、神奈川県相模原市の大きな病院で生まれました。母の実家がそこにあったので。けれど、産声をあげてひと月も経たないうちに、私は「福島の子」になりました。
福島県福島市。福島県の真ん中の一番上にあって、人口は30万人にギリギリ満たない街です。県庁所在地なのにあの郡山市にはちょっと気後れしちゃう、かわいい街です。小学校の社会科の授業では、「福島市は猫の形をしているね」と教わります
3.11から6年に思うこと
6年前、僕は大学3年生でした。21歳か。
東日本大震災が起こった時、僕は東京にいた。ただただ怖かった。
いろんな情報が錯綜して、放射能が東京まで来るという憶測が流れ、お世話になっている先輩が実家の大阪に帰る際に一緒に大阪に避難することにした。
群馬にいる親に伝えるとそんな必要はない、と怒られた。
テレビの情報だけじゃなくちゃんとネットでも情報を得てよ、と偉そうに説教垂れていた。
大阪に1
南相馬市・シロのはなし。
まずは自己紹介から、ですよね。
ボクの名前はシロといいます。6歳の男の子です。体重は、最近は測ってないけど、たぶん13~4キロくらいじゃないでしょうかね。福島県の南相馬というところで暮らしています。といっても、いまは本当のおウチではなく、カセツといって、小さなプレハブ作りの長屋の 4 畳半二間に、お母さんとユージ、おばあちゃんとボクの4人で住んでいます。 昼間お