不定期「ということ。」

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最近の記事

お願いするということ|「ということ。」第29回

「私を甘やかすということ」の投稿でも書きましたが、わたしはもともと“人に何かをお願いする”ことが大の苦手です。相手がめんどうに感じないか、そのぐらい自分でやれよと思われないか、なんで私に頼むの?といぶかしがられないか……そんなふうにやきもきするぐらいなら、誰にも言わずに自分でやってしまいたい。 けれどあいにく、わたしの仕事(Web記事やコンテンツの編集)は自分ひとりだけではできないもので。同僚だけではなく、ライターさん、カメラマンさん、取材に協力してくれる方、もちろんクライ

    • 雑記002

      もしも私がススキだったら、周りのススキと今日の天気とか、最近の月とかの話をして、自分の一部を遠くに飛ばして、いろんなものを見たりもして、自分はいつも風に揺れて、考えたい。それで夜毎遠くのススキに、小さい声で話しかける。秋には少し、金色になってみたりもする。 この言葉がふと頭に浮かんだのは、もう五年以上前のことで、わたしの純粋なところをきゅっと絞ってしたたった一滴だった。仕事(いま生計の要となっているこれを、わたしは「副業」と呼ぶことにした)に、生活に、趣味に、人づきあいに、

      • 雑記001

        優しく美しい誰かや今日辿り着いた場所は、果たして私が手に入れたものなのだろうか。運良くこの手にある幸福は、一体いつからここにあったのだろう。 月の匂いを知らなかった。それが花壇の隅や電柱の先にまで届くなんてことも。たとえば私たちは、おびただしい量の希望や後悔を着古し、時おり新品に着替えては、季節と引き換えにまた仕舞う。慣れてしまえば、感動も恨みも、なかったことになるのだろうか。この匂いも、昔に嗅いだそれなのか。 感性が死ぬことを、歳や多忙のせいにしたくない。時々の喜びと苛

        • しなやかな、

          やすみの日にはだらけきって、しなくても困らないことはしない。けれどプライドだけは人一倍で、わたしの常識から外れる人やことに傷つけられたら、黙っていられない。わたしはそんな、怠惰で、窮屈な人間だった。 でも、気づいたら、結婚なんてまるで大人みたいなことをしていて、三十一というこの年齢は、二十代にあったみずみずしさから新鮮さをひっこ抜いて、それでもまださらさらとはしている水をたたえているふうだ。わたしはずっと、早く大人になりたかったし、これからはいつも年相応でありたい。 近ご

        お願いするということ|「ということ。」第29回

          たっぷり息を吐くということ|「ということ。」第28回

          丁寧に暮らしていそうとか何とか言われることもあるけれど、その実、辛抱と努力がまったく(本当にまったく)できない、大人になり損ねている側の人間だ。 とくに人生においてできないでいることは、練習。きれいな字を書く練習とか、仕事の場でうまく話す練習だとか、夫と今はまっている撃ち合いゲームのエイム練習とか。遡れば、親がフルートを習わせてくれた時、家での自主練習がすこしも習慣づかずに一年で辞めたこともある。 ここまで書いて思い出すのは、フルートの先生がよく「たっぷり」という言葉を使

          たっぷり息を吐くということ|「ということ。」第28回

          過ぎ去るということ|「ということ。」第27回

          とっぷりと日が暮れた、取材帰り。新宿駅のホームでぎゅうと列をつくる人々を、発車した電車の窓から眺める。電車がだんだんと速度を上げるのと一緒に、人々も、左から右へしゅんしゅん流れてゆく。電車の体が半分、ホームを抜ける頃には、過ぎる顔もぼやけて見えなくなった。 ふと、過ぎ去った人たちを思い出した。それは、かつて校門に待ち合わせて下校したショートカットのあの子や、自分たちにけったいな渾名をつけてつるんだ派手な仲間、夜の野毛をへべれけで闊歩したゼミの戦友に、新卒という謎の連帯感だけ

          過ぎ去るということ|「ということ。」第27回

          ワンピースを失くした話

          もう八年ぐらい着ていた、真っ黒なワンピースを失くした。今日は、この夏はじめて蝉の声が聞こえて、これからの暑さを教えるように乱暴な風が吹いていた。 洗濯したてのワンピースを、ベランダに干しただけだった。この日差しと風なら、二時間で乾くだろうと思った。念のため、手持ちのハンガーの中でもいちばん重いものにかけていたのだが、一時間経って窓の外を見た時には、ハンガーごとさっぱり消えていた。 その真っ黒なワンピースは、腰から足首までを薄い綿の生地が三重に覆っていて、私の夏のなんでもな

          ワンピースを失くした話

          私を甘やかすということ|「ということ。」第26回

          三兄弟の一番上だから、という訳でもないだろうけど、《誰か》に甘えた記憶はあんまりない。両親にはもちろんのこと、例えば友達に「一緒に写真撮ってくれない?」だとか、妹弟に「うちに来てくれない?」とも言えず、かと言って心底それをして欲しいとも思えず、けれどどこかでそうして欲しいと思っていることも、確かに事実なのに。 甘える、というのはそれが出来る人にしか許されない、絶対的で暴力的な特権だ、と思う。「甘えん坊」や「甘え上手」といった言葉がまとう、字の通り甘やかな香り。憎めない愛らし

          私を甘やかすということ|「ということ。」第26回

          私の地獄

          「お父さんは再婚しないの?」 私は言葉を失った。 有休を使い、恋人とふたりで私の実家に帰った。コロナ禍を言い訳に一年以上のんびりしてしまった、入籍の話をするためだ。恋人と父はすでに何度も顔を合わせており、“結婚の許し”とかいうものもとっくの昔にもらっている。今回は「遠方に住む恋人の家族との顔合わせを、入籍の後にしてもいいか」という相談をするための帰省だった。 金曜の夕方に実家に着き、私の家族と恋人、全員でテレビを見ながら酒を飲み交わすのは恒例だ。話すのは他愛もないことで

          私の地獄

          気が紛れるということ|「ということ。」第25回

          十五の頃に出会ったいまの恋人とは、山も谷もない、けれど年月とともに深度を増すような日々を送ってきた。今度の夏、わたしたちは同じ苗字になる。 以前、「心変わりするということ」という記事で登場した、心変わりをした相手だ。当初付き合ったきっかけは、たぶん、気が紛れるからだった。当時のわたしと言えば(実はいまも)相当の甘ったれの依存気質で、恋人という存在がいなくては、自分の時間も精神も余してしまうようなつまらなさだった。極論、そばにいてくれるなら、ある程度、誰でもよかった。 歳を

          気が紛れるということ|「ということ。」第25回

          否定するということ|「ということ。」第24回

          近頃、大変うんざりしていることがある。他人、とりわけ私のことをよく知りもしない年配に、否定されることだ。「葉さん、海外行ったことないでしょう」だとか「葉さんが分かっていないだけで、これは普通だよ」だとか。ああ、もう、心底うんざりする。はたして、人は歳をとれば勝手にものを知り、えらくなれる生き物だっただろうか。 我が家では、「罪を悪んで人を悪まず」の教えだった。これは、単に人の言動における善悪の話ではなく、「いっこの出来事で人を勝手に分別するな」ということ。この人はああだとか

          否定するということ|「ということ。」第24回

          遠回りするということ|「ということ。」第22回

           先日、実家に帰った。実家といっても生家ではなく、昨年母と妹と弟が越した先だ。父は福島に残り、逆・単身赴任状態。母の手術のために、会社を休んでの帰省もどきだった。  その手術の前日、入院のあれこれを済ませ家に帰るとちょうど妹も帰ってきたばかりだった。妹は八月の終わりに二十三歳になった。大学三年生だ。私よりも器用で明るく、美人で気立ての良い妹は、二年遅れで大学に入学した。  私たちは家族のうちで二人きりの喫煙者なので、顔をあわせるとつい台所の換気扇の下で長話をしてしまう。部

          遠回りするということ|「ということ。」第22回

          悔やめないということ|「ということ。」第21回

           「もういいや」と、やめたことはたくさんある。たぶん誰にでも、それなりに。例えば、バレエや英会話。書道やフルート。両親は相当のお金を使って習わせてくれたが、どれも実にならなかった。例えば、根性の悪いあいつの鼻をへし折ること、下ばかり向くあの子の顔を上げること。オリジナルの正義に自信が持てなかった。  おそらく、こういうことごとがある場合、世間はそれを「後悔」とか「未練」とかそんな風に呼ぶ。すっきりしない。ああすればよかった。もっとがんばれた。なぜあそこで諦めたのだろう。そう

          悔やめないということ|「ということ。」第21回

          不便だということ |「ということ。」第20回

           いろんなことごとが私の気持ちをかき乱し、ぐちゃぐちゃとした乱暴な感情があふれるとき。ああもう最悪だと思いながら、一方で、心地よさがあるのはどうしてだろう。  例えば、今。自分勝手な周囲、自分の将来、両親の健康、金銭的な余裕、そんな、考えているだけではどうしようもない不安が立ち込める胸の中で、けれど私は、苦しさこそあるが快適だ。ちょうどいい。こうして夜に書き物をするときはなおさら、すこし気が触れているくらいがいいのだ。  最近の悩みの一つといえば、「幸せだ」ということだ。

          不便だということ |「ということ。」第20回

          失うということ 〜映画『光』を観て〜 |「ということ。」第19回

          ※ネタバレには配慮していますが、何も知らずに観たい!という方は読まないことを勧めます  大事なものほど、失うのは怖い。大事なカップが割れると、人はさっと青ざめる。大事な人に嫌われると、胸のあたりがズキズキする。けれど、生きているうちは失い続けるしかないのだ。命が尽きるそのときまでに、「得た」と実感する何倍も「失った」と感じるだろう。  昨日、先月から気になっていた『光』を観た。河瀬直美監督による、弱視のカメラマンと映画の音声ガイド制作者のラブストーリー。第70回カンヌ国際

          失うということ 〜映画『光』を観て〜 |「ということ。」第19回

          恋しちゃうということ|「ということ。」第18回

           恋をするのは、大いに結構! けれど、コンビニに並ぶ女性誌の表紙や、電車の中吊り広告を見て、私がいっつも引っかかるのは「〜しちゃう」という表現だ。 「夏、迫る! たった1回の〇〇で痩せれちゃう裏技」 「〇〇すれば、恋に発展しちゃうこと間違いナシ!」 「いいねが集まる? 思わず見とれちゃう絶景スポット〇選」  とか。だいたい、女性向けのメディアで目にすることの多い表現。  元来 “開き直り体質” の私は、何に対しても「それの何が悪いの?」というスタンスを、日々貫いている。

          恋しちゃうということ|「ということ。」第18回