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お願いするということ|「ということ。」第29回

私を甘やかすということ」の投稿でも書きましたが、わたしはもともと“人に何かをお願いする”ことが大の苦手です。相手がめんどうに感じないか、そのぐらい自分でやれよと思われないか、なんで私に頼むの?といぶかしがられないか……そんなふうにやきもきするぐらいなら、誰にも言わずに自分でやってしまいたい。

けれどあいにく、わたしの仕事(Web記事やコンテンツの編集)は自分ひとりだけではできないもので。同僚だけではなく、ライターさん、カメラマンさん、取材に協力してくれる方、もちろんクライアントも。たった3000文字の記事ひとつ、関わる人がとにかく多いわけです。編集という立場上、人にお願いすることが仕事と言っても言い過ぎではありません。

いまの仕事に特別なあこがれや執着はないけれど、さすがに十年やっていれば、自分なりの矜持みたいなものが生まれてきます。わたしは、一緒につくる人たちが楽しんでくれなきゃいやだ。

記事をつくるって、どの職業もそうだと思うけれど、まあ地味な作業の連続です。調べものをして、ワードの資料をつくって、何人かの日程を調整をして、あれとそれの進捗をエクセルで管理して……どの工程を切り取っても、「ただ楽しい」とはいかない。

でも、わたしは誰かと一緒にひとつのものをつくるわくわく感が好きで、だからこの仕事を続けています。高校の文化祭みたいに、思いがけないトラブルや衝突にわいわいぎゃあぎゃあ言いながら、みんなで同じ方向に進んでいく感じ。しかも仕事では、その道のプロフェッショナルが集結するわけです。執筆、撮影、専門監修、マーケティング、ブランディング……そこに自分もいちプロとして参加するんだから、気分はさながらアベンジャーズ(ちゃんと観たことはないのだけれど)。

編集としては、記事を読む読者のことをいちばんに考えるべきなのかもしれません。でも正直に言えば、一緒につくってくれる人たちに恥じない仕事をしよう、良いものをつくったね頑張ったねとハイタッチしよう、という気持ちの方がずっと強い。

何年か前に読んだ『西荻窪ランスルー』(ゆき林檎)という漫画で、忘れられないシーンがあります。作中ではアニメ制作会社の話だけど、わたしも心底共感したんです。

(やっぱり三津監督かっこいいな~)

そろそろ本題に戻ります……。実のところここ数年は、人にお願いすることがそこまで苦手ではなくなってきました。お願いすることの意味が、わたしの中で少しずつ変わってきたんです。ただ頼んでるわけじゃなくて、自分にできないことだからプロの力を借りたい。あるいは自分はこの役割を果たすからあなたにこれを助けてほしい。何より、あなたが一緒につくってくれるなら、わたしひとりじゃ絶対に届かないはずのところに行ける。立場や役割に、上も下もない。みんなが各々の持ち場で、自分の仕事を全うする気持ちよさが好きなんです。

いまの自分にとっては「そりゃそうでしょう」と思う考え方なんだけど、でもこれに思い至ってからは、もうどんどんお願いしたくなる。いろんな人の力を借りると、見えなかったものまで見えてくる。これが楽しくってしかたない。

未熟なわたしと嫌がらずに仕事をしてくれた人たちのおかげで、ようやっと気づけた楽しさです。

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