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私の地獄

「お父さんは再婚しないの?」

私は言葉を失った。

有休を使い、恋人とふたりで私の実家に帰った。コロナ禍を言い訳に一年以上のんびりしてしまった、入籍の話をするためだ。恋人と父はすでに何度も顔を合わせており、“結婚の許し”とかいうものもとっくの昔にもらっている。今回は「遠方に住む恋人の家族との顔合わせを、入籍の後にしてもいいか」という相談をするための帰省だった。

金曜の夕方に実家に着き、私の家族と恋人、全員でテレビを見ながら酒を飲み交わすのは恒例だ。話すのは他愛もないことで、「ルウ(愛犬。灰色のもじゃ毛で遠目ではモップに見紛う)はもうすぐで五歳になるね」だったり、「ふるさと納税は絶対にしたほうがいい」だったり、「持ってきてくれた酒は寿司に合うな」でもあった。この夜はムードメーカーの妹と頭の回転が速い弟もいて、恋人も少し緊張しつつ笑ってくれていた。

みんながほんのり酔って、普段は酔うほど酒を飲めない私もふわふわと良い心地でいた頃。テレビでは、アイドルが韓国料理の食レポをしていた。真っ赤で熱そうな料理をゆっくりと口に運び、直後両目を大きく開いて何度もうなずく。(韓国料理、久しく食べていないな。おいしそう)なんて思っていると、向かいに座る父が口を開いた。

「韓国様は本当にアピールが上手いな」

今度は何の話が始まったのか、私はすぐに分からなかった。母が「そうねぇ」なんて浅い同意をする。それに勢いをつけたのか、父が続ける。

「韓国を良く見せる番組をやるなんて、この局は韓国から金でももらってるのか?」
「最近は、韓国のアイドルやら歌手やらが日本ででかい顔をしている。売春婦のようだ」
「韓国ってのは、あちこちの国に女を売って稼いでいる低俗な国だ」

もっと、もっと何かいろんなことを言っていた。私は途端に最低な気分になった。正直、韓国アイドルの良さは分からない。韓国料理が特別好きというわけでもない。歴史を遡れば、まあ国どうしが仲良しとは言えないことも十分に分かる。それでも、国と民族という途方もない大きさの主語で侮辱の言葉を吐く父に、私はまた絶望したのだ。……残念ながら、もちろん初めてのことではなかった。

いつもならば聞き流して、私に向いているわけではない侮蔑の言葉に傷ついてしまった心を慰めるように煙草に火をつける。けれどこの夜は恋人もいて、家族で楽しい時間を過ごしていたのに、なぜこうも台無しにされなきゃいけないんだろう。あと何回、この父に絶望させられるんだろう。この人は、私が傷ついているとは夢にも思っていないのだろう。ならば。

ならば、と私はため息をつき、両手で顔を覆って声を出す。怖かった。

「政治の話は語るべきだけど、私は今の言葉を政治の話だとは思えない。国や民族をひと括りにして、侮辱をするのを聞くのは辛いんだ」

私は、ずっと父を恐れている。声と力が大きく、話し合いができない人。自分が正しいと疑わず、人を抑圧し、それでいて繊細なのだからタチが悪い。何気なく生活する中で出会いうる、私が嫌いだと感じる人物の要素をすべて鍋に入れて煮詰めたみたいな人なのだ、父は。

「なんだそれ、俺が何を言おうが俺の勝手だろう。お前が勝手に傷ついていればいい」

当然のように言う。当然の、ように。何が当然なのだろう。私は、いつまで父に絶望して、傷つけられていなきゃいけないのだろう。

「ならば、私が辛いとあなたに伝えることも私の自由だ」

冷静に言うよう、努めた。無理だったけれど。恋人の居心地の悪さを気遣う母が「まあまあ」なんてなだめてくる。もう、本当に最低な気分だった。私の地獄は、いつだって父だ。

台所へ行き、煙草をふかす。母と妹が次の話題を提供しようと頑張ってくれている。申し訳なさを感じつつ、換気扇に吸い込まれていく煙を見つめた。我慢できなかった。我慢しては、いけないと思ったから言ったのだ。

気を取り直して席に着く。場は私たち家族の昔話に変わっていた。末の弟が歩けるようになってすぐに行った、沖縄旅行の話。家族が集まると、絶対に話題に上がる定番ネタだ。植物園で珍しい蝶を見たとか、ダチョウにごはんをあげたとか。そして父が恋人に話をふる。家族旅行の思い出はあるか、と。恋人のお母さんは一昨年亡くなった。一度だけお会いしたことがあるが、春のように朗らかな方だった。初対面の私を歓迎してくださった。本当はもっと、おしゃべりしたり出かけたり、相談したり教わったりしたかった。

「小さい頃はいろいろと連れて行ってもらいましたね、山も川も」
「父はちゃらけるのが好きで、母が笑い上戸でした」

恋人がていねいに答える。自分はどちらかというと父似だとか、兄とは二つ違いだとか。そういう聞かれていない話も交えながら答えるこの人が好きだな、と思った。

「お父さんは再婚しないの?」

頭がスッと冷えた。父の声で、軽々しく発せられたそれが意味するのは。それは、

優しい恋人は、「父はもう七十ですし」なんて軽く笑ってあしらってくれた。私は、言葉が出なかった。息を吐くことすらできなかった。「なんでそんなことが言えるの」と、わなわなと震える小さな叫びが脳を満たした。

いよいよ参った私に気づいた母が、適当な口実で別の部屋に呼んでくれた。なぜ、あの人はあんなことを言えるのか。なんの目的でそれを聞いたのか、あり得ない、辛い。母に少しぶちまける。

「お父さんの言うことなんて気にしないで。大事な時期なんだから、自分の幸せだけ考えなさい」

そうは言っても、お母さん。私の幸せを壊すのも、いつだってあの人でしょう。

この話は、ただの日記だ。母や妹にも言われた、「気にしすぎだ」「適当に流せばいい」家族ですらそう言うのだ。わざわざ数分かけてここまで読んでくださったあなたも、私の気にしすぎだと思うのでしょうか。

気にしすぎ、って言うけれども。何を気にするかしないか、気にしすぎるかなんて、他人に決められることじゃあない。余計なお世話だ。「私は、これを、気にしすぎるんだ」って言ったら悪いのか。どうして、「あなたにとって、それは気にしすぎることなのね」と思えないのだろう。何をどのぐらいどう思うかって、私なら、相手を知るために知っておきたいことなのだけれど。どうも、当然のことだけど、全員にとってそうではないらしい。

この話は、ただの日記。最低な気分を、少し最低な気分ぐらいにまで回復させたくて書いた日記。ここで終わり。

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