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朝とギターと『なんらかの事情』

今朝は二人してとても早く起きたので、近くの川に「朝の散歩」をしに出かけた。実を言うと、私は昨日の晩に映画を2本観たせいで寝つけないまま朝を迎えただけだったが、夫はきちんと、日付が変わる前に眠りに入って5時に目覚めていた。

私がソファでまごまごしていると布団を抜け出た夫がやってきて、「散歩に行く?」と聞いた。「川まで行って、すぐに帰ってこよう」というおまけは、体を動かすことを億劫がる私への気遣いだ。でも今朝は私の気も乗って、「じゃあベンチで本を読みたい。あなたも本かギターを持っていったら」と言うと、夫は少し考えて「ギター持っていく」と答えた。

件の川は、家に面した県道を2〜3分も歩けば着く。春は桜と菜の花(の顔をしたセイヨウアブラナ)が咲いて、夏にはバーベキューをする家族でにぎわうこの川は、左岸の堤防に数メートル間隔でベンチが置かれている。だいたいは、手前のベンチでおじいさんたちがベースとハーモニカでジャムっていたり、奥のベンチで大学生らしいカップルがうれしそうにおしゃべりをしたりしている。私たちは真ん中あたりのベンチを選んで、まずは途中で買ったパンとコーヒー、そして煙草を一本だけ体に入れた。

それから、新鮮な緑を誇らしげに揺らす葉桜やまだ青っぽい朝の空気を何枚か写真に撮って、「今日は暑くなりそうだ」や「写真や動画を本気で撮るにはどんな機材が要るのか」を話し、それぞれの“精神と時”に引っ込んでいく。横からぽろぽろ聞こえていたギターの音が遠ざかるのを感じながら、読みかけの『なんらかの事情』(岸本佐知子)を開いた。まだ半分と少しの進捗だけど、面白い。岸本さんが面白いんだと思う。視点や思考は自分の外にある物体に向いているのに、その手前にはいつも自分の“足りていなさ”が横たわっていて、それらがどうしてまるっとユーモラスだ。わかる気もするし、でもそこまで尖りきれない器用貧乏な自分もいる。

そのうちベンチの前を通りがかった高齢のご夫妻が「ありゃあまあギターだ」と夫に話しかけた。「ギターには“符”ってものがあるでしょう。これは昔の言い方かにゃ」「いい音だあこれ、いいギターだね」「これマイクつけれるんしょ?(エレアコなのだ)」とご夫妻はいっぺんにいろんなことを言う。夫は「そうですねえ」「いいですよねえ」「何か楽器やられてるんですか」などと返す。私はご夫妻の後ろにある太陽が眩しくて、目を細めてにんまり顔でうなずいて、うなずく。ご夫妻はギターの音に満足したら「やっぱりいいギターだ」「いい音だ」と言いながら去っていった。

一時間ぐらい経って、遮るものが何もない日光にじんわりと汗をかいてきた頃(しかも黒いワンピースを着ていたので余計に暑かった)、夫が「ギターが熱くなってきた」と呟いた。「暑いね、そろそろ帰る?」「あとちょっと」。それで『なんらかの事情』をまた3話ぐらい読んで、夫がギターを片づけ始める気配を感じたのと同時に、しおりを挟んで本を閉じ、煙草とライターと携帯灰皿が入った小さいポーチを二人の間に置いた。「一本もらっていい?」「もちろん」。

荷物を持って立ち上がると、朝のちょっと冷えた風が、体の周りで停滞していた空気をぐるりとかき混ぜた。川の水がすごく気持ちよさそうで、だから「川に入っていい?」「後悔しないでよ(私はよく物を落とすから)」「入らない?」「見とく」となった。靴を脱いで足首まで水に浸すと、もうさっきまでの暑さが現実じゃないみたく思えて、足の指一本一本の隙間に水の冷たさを感じればまるで自分のどこかが綺麗になったような心地になる。夫は川に入らないギリギリのところまで降りてきて、川の透明度を確かめるように水中を覗き込んでいた。

家までの短い帰り道、この散歩の話をあとでちゃんと文に残そうと(今まさに書いているこれのこと)、何をどう書こうか考えながら歩いた。結局ここまでに書かなかったが、「夫を視界に捉えるたびにうれしい、たとえ今この瞬間から二度と会えなくなったとしても……」という文が過ぎって、その注釈に「でもこれは恋ではないのだと思う。一喜一憂が恋の必要条件だとしたら……」まで出て、ふと(あれ、必要条件?必要十分条件?)とわからなくなって夫に聞いた。「必要条件と必要十分条件の違いは? 必要十分条件は必要条件の中にある?」「テニスをするのにラケットがあることが必要条件で、テニスをするのに……んん?」。ネットで調べれば、誰かが私にも理解できる易しい解説を公開してくれているのだと思う。けれど、この手の疑問は夫に聞くと私の中で決まっている。こういう、勉強的で、特に理系の話は。夫という人間が、文系が過ぎる私とはぜんぜん違う人なのだと思い知って、そこも好きなのだとさらに思い知るチャンスだから。「忘れたなあ」「そっかー」。

家に着いて、風呂場で足だけ洗った。昨晩映画を観るために開いていたパソコンをまた起こして、これを書いている。「一時間ぐらい経って、」のあたりから、私の後ろにあるソファで夫が眠り始めた。やっぱり、早起きすぎたのかもしれない。私はまだ眠くない。夕方に眠気が襲ってきそうだけど、それは嫌なんだけど、でもせっかくの連休なのでこのままもう1本映画を観ることにする。


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