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体験談2

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経験をシェアして被害を最小限に&必要な支援に繋がれば。
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私の地元岡山県は、甚大な被害を受けているエリアの1つ。私が生きてきた中で地元がこんな事態になっているのは初めて見ました。
家族は無事ですが、屋根に取り残された人達をみると心が痛みます。
そしてsnsを活用し適切な判断をして下さる市長、自衛隊の皆様に心からの感謝を。

実際に一緒に生活してみたらゾンビとは思わなかった(笑)

実際に一緒に生活してみたらゾンビとは思わなかった(笑)

妻です。
けっこう聞き捨てならないですね(笑)。

とはいえ、今朝は怖かったですね。
気が付いたらお昼をまわっていました。

東北の震災の教訓が生きて、
各種備蓄を絶やさないようにしていて本当によかったです。
米もあるし。水が1ダースくらいしかないので、
追加で注文しておこうかと思いました。
やっぱりカップ麺とかも置いた方がいいのかしら。

充電器は強力なやつを買って、
常に満タンにしておく習慣も

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地震

大阪で、大きな地震がありました

阪神大震災を経験したのは1歳くらいだったので

薄らな記憶しかなく

今回の地震が初めて体験した大地震でした

『もうこれ以上揺れないで!!!』

『早く止まって!!!』

『これは夢だ!!!』

『死ぬ!!!』

というのが揺れ始めに思ったこと

揺れが収まった後は

テレビの地震特番で情報を仕入れつつ

避難&出社の準備をしていました。

人に情報を伝える企業

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とりいそぎ、かなり揺れましたが怪我もなく無事ですー。簡単に避難セット準備しました。

今朝大阪で震度6弱の揺れがありましたね...
関西圏もその他の地域の方も今一度防災関連ご確認を

3.11を忘れる

被災していない人なんて、いない。

映画のような、街を津波が飲み込む光景。壊れたラジオのように毎回流れる同じCM。

余震がある度緊迫したスタジオに切り替わる画面、アナウンサーと点滅した日本地図。

同じ揺れを体感していなくても、誰もが7年前のあの日の鬱屈した日々を忘れることはない。東北に限らず、日本国民全員が被災者になった日だったと思う。

7年前の今日、わたしは茨城の実家にいた。現役で志望大学

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マガジン更新しました
体験談2:東日本大震災
https://note.mu/notesaigaiinfo/m/mccedefb83a5f
被害状況や、当時用様子を詳細に書いた記事もありますので閲覧は各自の判断で。

2011年3月11日、あの日僕は東京で就活をしていた

2011年3月11日、あの日僕は東京で就活をしていた

「なんか面白いこと起きないかな」

そんなことを思いながら次の企業説明会が行われる最寄駅の近くのココイチでカレーを食べていた。

2011年3月11日12時過ぎ。

この時に食べていたカレーを最後に、24時間以上まともなご飯に有り付けないことをこの時の僕は知らない。

企業説明会の日程がびっしりと書かれた手帳を眺めながら、冒頭の言葉を店内の誰にも聞こえないようにボソッとため息混じりに口に出す。

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3.11の記憶

3.11の記憶

私個人は被災者ではないし福島出身でも無いが、東日本大震災で色々と変化があったのは覚えている。特に、震災以後に得た体験や知識によって行動基準が随分と変わった。
意味があるかどうかは微妙だが、覚えているうちに当時の事を書き留めておこうと思う。

震災当日は東京の職場で普通に働いていた。
ゆれが始まってからもノンキに仕事を続けていたり、こんな動画を撮っていたりと、全く危機感が無かった。一応、状況次第で避

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災害の記憶は風化するもの、という前提

災害の記憶は風化するもの、という前提

3月11日は、東日本大震災が起こった日。今は多くの人々があの日を思い起こし、また2011年3月11日当日のことをハッキリと覚えている人も多いでしょう。7年前の3月10日であれば記憶も曖昧になっているところ、あの地震と津波の衝撃は今でも思い出すと心が揺れ動きます。

そのときに感情を持つ人々の一次情報7年前の3月10日ではなく、73年前の1945年3月10日は何が起こった日か知っていますか?この日は

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その日午後2時46分・東京

その日午後2時46分・東京

まだ中学1年生の春だった。

三年生を送る会、略して三送会という集まりが、5時間目を使って体育館で行われていた。司会役の生徒がアナウンスして、冒頭に校長先生の挨拶。僕はいつもの朝礼通り、ほどよい姿勢を保ってほどよく聞き流していたはずだ。

ふっと体が傾いた気がした。その瞬間体育館中にざわつきが広がり、気のせいじゃないと分かった。地震だ。それも妙に大きい——と感じた時には、今まで感じたことの無い揺れ

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一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

一度訪れただけでは何も知れなかったけれど、また行きたくなる場所だった、気仙沼旅行の話

宮城県気仙沼市に、震災復興のボランティアに定期的に通っている友達がいる。その子が春休みを使って、気仙沼に長くいるというので、私も1泊2日で合流して、とっても充実していたし、お腹も満たされたという話。

私は仙台出身だけど、震災にかかわるボランティアや何かに関わったことは今までなくて、海沿いの「被災地」と呼ばれる地域に行くのは初めてだった。

震災当時は、私の住んでいる地域は、山沿いで被害は少なかっ

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