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黒澤明監督 『七人の侍』 : 理想の「侍」と理想の「農民」

映画評:黒澤明監督『七人の侍』(1954年・モノクロ映画)

言わずと知れた、黒澤明を代表する作品のひとつである。
だが、黒澤作品と言っても、むろん一色(ひといろ)ではなく、『生きる』『羅生門』のような、「人生とは何か」とか「真実(現実)とは何か」などを正面から問う「芸術・哲学系」の作品もあれば、本作『七人の侍』のような「娯楽系」の作品もある。

本作はよく知られるように、娯楽映画におけるひとつの「模範的な型」を示した作品として、『荒野の七人』ジョン・スタージェス監督・1960年)や『宇宙の7人』ジミー・T・ムラカミ監督・1980年)といった、舞台を「西部開拓時代のアメリカ」や「宇宙」に移した「だけに近い」オマージュ作品を生んでいるし、この2作のようにそっくりそのままではなくても、基本的な「型」を『七人の侍』に学んだ作品なら枚挙にいとまがなく、今や、その認識すらないままに作られている作品の方が多いのではないだろうか。

(『七人の侍』の西部版リメイク『荒野の七人』
(『荒野の七人』のリメイク『マグニフィセント・セブン』

私はここで、本作についてよく語られる「映像・撮影技術」面、あるいは「演出」面での新しさを云々する気はなく、次の2点についてだけ書いておきたいと思う。

(1)物語の「基本型」としての『七人の侍』
(2)「知識層と庶民」の連帯の物語

といったようなことである。

 ○ ○ ○

本論に入る前に、いちおう有名なものではあるが、「あらすじ」を紹介しておこう。

『戦国時代末期のとある山間の農村。村人たちは、戦によりあぶれて盗賊と化した野武士(百姓たちは「野伏せり」と呼ぶ)たちに始終おびえていた。春、山に現れた野武士達の話を盗み聞いた者がおり、その年も麦が実ると同時に、40騎の野武士達が村へ略奪に来ることが判明する。これまでの経験から代官は今回も頼りにならないことは明白であり、村人たちは絶望のどん底に叩き落とされていたが、若い百姓の利吉は、野武士と戦うことを主張する。村人たちは怖気づいて反対するが、長老儀作は戦うことを選択し、「食い詰めて腹を空かせた侍」を雇うことを提案する。

力を貸してくれる侍を求めて宿場町に出た利吉・茂助・万造・与平の4人は木賃宿に滞在しながら、白米を腹いっぱい食わせることを条件として侍らに声をかけるが、ことごとく断られ途方にくれる。そんな中、近隣の農家に盗賊が押し入り、子供を人質にとって立てこもる事件が発生する。周囲の者が手をこまねく中、通りかかった初老の侍がに扮して乗り込み、盗賊を斬り捨てて子供を救い出す。侍は勘兵衛と名乗る浪人で、騒ぎを見ていた得体の知れない浪人風の男が絡んだり、若侍の勝四郎が弟子入りを志願したりする中、利吉が野武士退治を頼みこむ。勘兵衛は飯を食わせるだけでは無理だと一蹴、村の概要を聞くに仮に引き受けるとしても、侍が7人は必要だという。しかし、これを聞いていた同宿の人足たちが、これまで利吉ら百姓を馬鹿にしていたにもかかわらず、百姓の苦衷を分かっていながら行動しない勘兵衛をなじる。勘兵衛は翻意して、この困難かつ金や出世とは無縁の依頼を引き受けることを決意する。「この飯、おろそかには食わんぞ」

共に闘う侍を求める勘兵衛の下に、勘兵衛の人柄に惹かれたという五郎兵衛、勘兵衛のかつての相棒七郎次、気さくなふざけ屋の平八、剣術に秀でた久蔵が集う。さらに利吉達の強い願いで、まだ子供だとして数に入っていなかった勝四郎も6人目として迎えられる。7人目をあきらめて村に翌日出立しようとしたところに、例の得体の知れない浪人風の男が泥酔して現れる。男は家系図を手に菊千代と名乗り侍であることを主張するが、勘兵衛らに家系図が他人のものであることを見破られてからかわれる。勘兵衛らは菊千代を相手にしないまま村に向かうが、菊千代は勝手について来る。(以下略)』

(Wikipedia「七人の侍」

(1)の「物語の「基本型」としての『七人の侍』」については、先にも簡単に触れたようなことだが、もう少し詳しく書いておきたい。

本作で示された「物語の型」とは、それまでの「単独ヒーローの物語」ではなく、「集団ヒーローの物語」だということだ。
つまり、極端に言えば「戦隊もの」の原型であり、日本における「戦隊もの」の祖である『秘密戦隊ゴレンジャー』は無論、例えば『オーシャンズ11』とは『エクスペンタブルズ』とか『アベンジャーズ』とかいった作品の祖型を、『七人の侍』に見ることも可能なのである。

(1975年当時としては画期的だった「仮面の集団ヒーロー」)
(主役級のキャラクターは多いが、メインキャラはおのずと限られる)

通常、ヒーローと言えば「1人」だった。なぜかといえば、大勢いると「ありがたみがなくなる」し、それでは「水で薄めた」感じになってしまう怖れが高かったからだろう。つまり「単独ヒーロー」というのは、「カッコいい」ところを一身に背負った存在だったわけだ。その「正義感」も「力」も「人間性」も「孤独」も、といった具合である。

仮面ライダーも当初は、ひとりで戦う「孤独のヒーロー」として想定されていた。写真は、映画『シン・仮面ライダー』

しかし、これをやると、キャラクターが「類型化」してしまいがちになる。「ヒーロー」とは、そういうモノだというパターンになってしまい、最初は良いけれどもだんだん飽きられてしまう。他のキャラクターとの掛け合いにしても、やはりパターン化せざるを得ないだろう。
かと言って、あまりにも「定型」を外した「個性的=クセのある」キャラクターにしてしまうと、そのキャラクターへの観客の「好みが分かれる」ことになり、広く大衆に楽しんでもらうのが難しくなる。一一ならばどうするか。

無論、個性的に魅力的なキャラクターを「ある程度、とり揃える」のである。
「賢い」「おバカ」「明るい」「暗い」「性格円満」「捻くれ者」などをとり揃えて、より取り見取りで、観客がどれかを好きになるようにするのだ。しかも、違ったキャラクターをとり揃えておけば、その組み合わせによって「掛け合い」にも幅がでるし、物語の展開にも幅ができる。例えば、「真面目な主人公」一人なら決してやらないような作戦を立案して、それを実行に移してしまうというようなこともできるのである。

だが、この「正義の側」と言うか「主人公側」のメンバーというのも、多ければ良いというものではない。
例えば、ヒーローが百人出てきて、平等に活躍させることなど無理だし、たくさん出したければ、メインの数人と「その他」という区別をしなければならないから、結局は、メインキャラは数名ということにならざるを得ない。

だから、肝心なのは、この「メインキャラ」の人数なのだ。

これまでは、「単独ヒーロー」「コンビ」「トリオ」というのが、「基本型」だった。
しかし、そのパターンを破って、「最大何人」が適切なのかという問題に、ひとつの模範解答を示したのが、本作『七人の侍』だったのである。

まず、人数の問題を考える場合に、強い絆で結ばれた「コンビ(2人)」は別にして、「4人」「6人」「8人」という「偶数人」は、意識的にたぶん避けられている。なぜなら「2つの派閥」に、綺麗に分かれてしまう可能性が感じられてしまうからだろう。
実際には、そんな物語を書かなければ良いだけなのだが、「偶数人」というのは、「分裂の予感」という集団としての不安定性を、見る者に感じさせる。
その点「奇数人」ならば「間に立つ人」とか「両者を取り結ぶ人」というのが一人は生まれそうに思えて、グループの分裂を「予感させる」ことを防ぐのではないだろうか。
(※ はたして、例外としての『ファンタスティック・フォー』は成功例であったか?)

したがって、それまでの定型である「トリオ(3人)」までを除けば、「奇数人」の場合は「5人」「7人」「9人」「11人」となるのだが、明らかに「9人」以上というのは多すぎて捌きにくいし、前述のとおりで、結局は「メイン数人とその他」のなりやすいので、残るは「5人」か「7人」となり、物語の作り手に、キャラクターを描き分け、使いこなせる力量があるのであれば、「7人」が最大ということになるだろう。「7人」を、うまく描きこなせば、これまでにはない「集団ヒーロー」が描けると、そう感じさせたのが『七人の侍』だったのではないだろうか。
(※ なお「9人ヒーロー」の例外的成功作としては『サイボーグ009』がある。ただ、「007」ではジェームズ・ボンドだし、5人では、キャラクターの世界的広がりを出せなかったということで、最大9人となったのではないだろうか。また、この作品では、メインヒーローが突出している)

石ノ森章太郎は、ヒーローのあらゆるパターンに挑んでいた)

また、「集団ヒーロー」の、「最大有効人数」を示すと同時に、その人数を有効に活かすための「物語的なパターン」を、『七人の侍』は、わかりやすく提示していた。つまり、

(1)個性的なヒーローたちが集まってくる。
(2)巨大な敵と戦うための作戦と役割分担が示される。
(3)不利な戦いの中で、何人かの仲間を失いながらも、最終的には勝利する。

というパターンであり、この(1〜3)までは、「単独ヒーロー」ではあり得なかった「曲(捻り)」を、物語に加えることができる。
例えば、「単独ヒーロー」なら、彼が勝つか負けるかだけであり、最終的には、相手が一人であろうと大人数であろうと「勝つ」に決まっている。戦い方もまた、彼のパターンを大きく出ることはなく、意外な展開というのは簡単ではなくなる。

しかし、主人公クラスが「7人」もいれば、戦い方にも、敵との組み合わせにも幅ができて、意外性も出しやすくし、初めから「全員生き残る」というパターンにしないかぎりは、「誰が死ぬかわからない」という緊張感を生むこともできるのだ。
そして、1人死ぬなら、他に誰かが死ぬ可能性は当然あるし、もしかすると全員死ぬかもしれない。観客は、それぞれに気に入ったキャラクターを持っているから、その人物が死なないようにと祈るのだが、そうなるという保証はないから、おのずとハラハラドキドキしてしまうのである。
(※ メンバー4人くらいまでだと、全員殺すか、1人だけ残すというパターンはあり得ても、メンバーのうちの1人または2人を殺すというのは、バランス上困難だ)

以上のように、『七人の侍』は、これまでの「対戦型ドラマ」に、「複数ヒーロー」の「ひとつの理想型」を示した、歴史的傑作だと言えるだろう。だからこそ、その型をそのまま真似た作品も作られたし、そのままにはならないように、多少改変を加えたパターンの作品も多く作られた。
しかし、いずれにしろそれらは、『七人の侍』という「原型」があっての作品なのだ。その意味でこの作品は、「集団ヒーロー」の祖型と呼んで良いのである。

 ○ ○ ○

さて、次は本作の「内容」や「テーマ」に関わる、(2)の「「知識層と庶民」の連帯の物語」ということについて、少し説明したい。

本作を、現代の観点から見ていて「特徴的」と思えるのは、「7人の侍」のうち、本当は「百姓」であり「侍」になりたくて、そんな身なり格好していた「菊千代」三船敏郎を除けば、後の、本物の「6人の侍」たちは、基本的に、みんな「人格者であり好人物」で、あまり「クセがない」という点だろう。
一人だけ若い(子供扱いにされる)「岡本勝四郎」が、他の「5人の先輩侍」ほどの人格的な完成がないのは当然としても、彼もきわめて真面目であり、若いは若いなりに「人格者であり好人物」なのだ。

(七人の侍。座る位置とライティングが絶妙)

そして、その中で最も典型的に「人格者であり好人物」なのは、「七人の侍」のリーダーである島田勘兵衛志村喬)であることは論をまたない。

野武士たちが村を狙っているというので、村人たちは、浪人を雇って村を守ってもらおうと考えた。だが、もともと豊かではない農民たちが、雇った侍たちに提供できるのは「腹一杯、白飯を食わせること」だけだった。
仕官の口は別にして、普通、侍を雇おうといえば、それ相応の「カネ」を積まなければならないのは当然で、飯を食わせるというのは付属的な「接待」にすぎない。だから、いくら仕官の口がなく食い詰めている浪人侍だといっても、野武士から村を守る、言うなれば「命懸けの小戦争」をする代償としては、「飯が食える」というだけでは、いかにも割に合わない。つまり、そんな申し出など、断って当然なのだ。

だが、島田勘兵衛は「農民たち(弱者)の苦しみ」に同情を寄せる人格者であった。だから、あまりにも割に合わない、無茶な話だからといったんは断っても、結局は引き受けてしまう。なんとかしてやろうとするのである。
もうこれだけで、彼が並外れた人格者だというのがわかるのだが、この後、そんな雇用条件のせいで困難をきわめた侍集めが成功したのも、すべては彼の「人徳」のおかげであったと言えるだろう。「この男となら、面白い経験ができるかもしれない」と、他の6人は、それぞれに勘兵衛の人間性に惹かれて、割に合わない仕事に命をかけることになるのである。

(「静と動」を兼ね備えた、完成されたヒーロー勘兵衛。それゆえに、「破調」としての菊千代の存在も必要となる)

で、勘兵衛の「人徳」と「弱者を思う男粋」に惹かれて集まってきた6人なのだから、当然彼らもまた、個性に違いはあっても「人格者であり好人物」という点では、共通している。
彼らは、いずれも「金や立身出世」だけが生きる目的や意味ではないという意識をどこかで持っている。だからこそ、こんな、ある意味ではバカな仕事に取り組んでみようと考えた。
彼らは「損して得とれ」と考えることのできる男たちだったのだ。

ただ、「実は百姓だった」という菊千代(本名不詳)だけは、彼らのように「高尚な思想」を持っていたわけではなく、結局のところ、最初は、百姓の惨めな生活に飽き飽きして、侍になろうとしただけの「お調子者」だったと言えるし、その点で、他の6人とは、明らかに毛色が違っていた。

(三枚目風の菊千代)

他の6人は、個性はそれぞれであっても、「それぞれの思想と理想」を持っており、「食うことや出世すること」といった「低レベル」のことだけを望んでいたのではない。
またその意味で彼らは、言うなれば、「力がすべての野武士」の対極にある、「知識階層としての侍」だったのだ。
そして彼らの「知識」とは、単に「モノを知っている」ということではなく「思想や理想や信念」を持っており「いかに生きるべきか」ということを考えて生きている人間だということなのだ。

例えば、無口だが誠実な剣客である久蔵宮口精二)は、「剣の道を極めるために生きている」人物であり、そんな彼が、いったんは断った勘兵衛の誘いに応じたのも、それはたぶん、勘兵衛の人格から学べるものがあると直感したのと、そんな勘兵衛があえて引き受けた困難な仕事の中からも、何か学べることがあるかも知れないと、そう考えたからではないだろうか。
つまり彼の極めるべき「剣の道」とは、単に「斬り合いで強くなる」ということではなく「剣の道は、人の道」といったような、きわめて「思想・哲学」的なものであったということなのではないだろうか。そしてそうした意味で、剣客である久蔵は、「知識人」であり「思想家」なのである。

(真剣勝負を挑まれ、やむをえず相手を斬り倒す久蔵)

そんなわけで、菊千代以外の「6人の侍」は、いずれも「知識人」的であり、かつ「人格者」であったと言えるだろう。
言い換えれば、菊千代だけは「知識人」でもなければ「人格者」でもない、何を考えているのかよくわからない、一見したところ「ふざけ倒しているだけのお調子者」に見えたわけだし、他の「6人」も菊千代のことを「おかしなやつだ」くらいに、好意的にではあれ「軽く見ていた」ところが確実にあった。
だが、そんな表面的なイメージを覆す事件が起こる。

村人とともに、野武士たちを迎え撃つための準備が進められていく中で、菊千代は、村人たちが隠し持っていた、合戦のための具足や槍などの武器、あるいは、無いと説明されていた食料を見つけ出してきて、他の6人に自慢して見せる。
ところが、6人の侍たちの表情が途端にくもる。

損得を抜きにして命懸けで守ってやろうとしていた村人たちに「騙されていた」というのももちろんあったのだが、彼らの顔色を変えさせたのは、侍しか持っていないはずの武具を、村人たちが持っていたことの方である。それが意味するのは、村人たちが、戦に負けて敗走した「落武者」たちを殺して、武具を奪っていた、ということだったからだ。

この6人の侍たちが「浪人」なのは、これまでの仕官の口における戦さが、何度となく負け戦であったから(主君を失ったから)で、彼ら自身、落武者経験をしていたからだ。
やっと、生き残ったと思ったところで、敵でも味方でもないはずの農民たちに殺され、装備を奪われた侍たちの無念を思えば、とうてい人ごとではなく、心穏やかではいられなかったのである。

(本作の中では珍しく、七人の表情が曇るシーン)

だが、そんな6人の侍たちの感情を知って、菊千代は激昂して反論する。
たしかに「農民」というのは、嘘つきだし、自分たちのことしか考えていない、最低の人間だけれども、そんな人間にしたのは「おまえたち侍ではないか!」と。おまえたちがすべてをむしり取っていくからこそ、農民は生きるためには何でもせざるを得なかったんだと、そう弾劾したのである。

(農民の悲しみを激白する菊千代)

この、火を吹くような「農民の告発」に、勘兵衛をはじめとした6人の侍たちは、たしかにそうだと、認めざると得なかった。
彼ら個人は、虐げられた農民に同情して、なんとか力になってやりたいと働いているような人間ではあるけれども、彼らが「侍」という「特権階級」の中で、恵まれて生きてきたという事実は否定できず、自分たちにも「階級社会の罪」の一端のあることは、否定できなかったのだ。
しかし、そうした反省的な認識もまた、彼らが「人格者」であると同時に「知識人・知識階層の人間」だったからこそ、できたことに他ならないのである。

つまり、菊千代をのぞく「6人の侍」とは、「虐げられた庶民」を象徴する「農民」たちと「連帯」すべきである、「戦後知識人」の暗喩だと言えるのである。

彼らは、「上位の社会階層」に属していたからこそ、「学問」を収め「人格」を陶冶することができた。その「知識」や「人格」は、彼らの恵まれた生活を支えるために犠牲になった人々の上にこそ築かれていたものなのだ。だから、「選良」たる彼らは、「庶民」に対する指導的な立場に立つというのではなく、まさに庶民と「連帯」し、庶民のために働き、さらに、庶民から「学ばなければならない真実」があるのだ。そのための、「連帯」なのである。

そして、この場合、「6人の侍」たちが、それまで気づいてはいなかったことを教えてくれたのが、「侍」と「庶民」との間に立つトリックスターであり、「七人目の侍」である菊千代だった、ということなのだ。彼こそが、じつは「本物の侍」であり、「あるべき侍の姿」だったということである。

(農民だからこそ、農民の嘘を見抜いた菊千代)

そんなわけで、本作『七人の侍』は、戦後の「知識人と庶民の連帯」ということの意味を描いた作品だと、そう言っても良いだろう。
いや、さらに言えば、「選良」としての「知識人」とは、いつの時代にあっても、そういうものであるべきなのだと。

そして、映画人もまた、「知識人」の一部なのである。

映画人の中には、先の戦争で「戦争協力」して、多くの庶民を死地へと向かわせた者も少なくない。全員が全員そうではないとしても、少なくとも「映画」が戦争の道具になったというのは、否定できない事実なのである。
ならば、そうした「原罪」を背負う「映画」というものを、戦後においても担おうとする者は、当然のことながら、菊千代の言葉である「庶民の告発」を忘れてはならないと、そう黒澤たちは、思ったのではないだろうか。

本作の最後のシーンは、次のようなものである。

『勘兵衛が「今度もまた、負け戦だったな」とつぶやき、怪訝な顔をする七郎次に対して「勝ったのはあの百姓たちだ、わしたちではない」と述べた勘兵衛は、新たな土饅頭が増えた墓地の丘を見上げる。その頂上には、墓標代わりに刀が突きたてられた4つの土饅頭があった。』

(Wikipedia『七人の侍』

「武士」とは、最終的には「戦うための階層」という性格のゆえに、いずれ死に滅ぶしかなく、最後に勝つのは「生き残ること」を第一とする「庶民」だということなのではないだろうか。

戦に勝つことが、勝利なのではない。戦をしないでいい「庶民のための世の中」の実現こそが、真の勝利だということなのではないか。

本作は、その「真理を学ぶための代償」が、いかに高くついてきたかという歴史的事実を、最後の土饅頭に象徴させていたのではないだろうか。


(2024年1月4日)

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