見出し画像

黒澤明監督 『用心棒』 : 「豊かになった昭和」の求めた ヒーロー像

映画評:黒澤明監督『用心棒』1961年・モノクロ映画)

1961年に「東宝」が「超娯楽大作」として制作した作品だ。予告編で、そう広告されるのである。

したがって、本作は黒澤作品の中でも、最右翼の娯楽作で、人生哲学的な『生きる』や、一種の社会派時代劇である『七人の侍』、あるいは、シェイクスピアを原作とした翻案時代劇である『蜘蛛巣城』といった作品とは一線を画して、完全に「娯楽作品」に徹している。
だから、よほどのへそ曲がりでもないかぎり、誰が観ても面白い作品なのだ。

旅の素浪人がふらりと宿場町にやってきて、ヤクザ者たちの抗争で困っている町の人たちのために、たった一人で、無償で悪人たちを退治してくれる話だといえば、わかりやすいだろう。決して、それ以上のものを語ろうとしていないところが、この作品の特徴だとも言える。

本作の「あらすじ」については、「Wikipedia」のそれの前半を紹介しておきたい。

『からっ風が吹きすさぶ中、一人の風来坊の浪人が足の向くまま、桑畑に囲まれた宿場町・馬目宿へとやってくる。そこは賭場の元締めである馬目の清兵衛一家と、清兵衛の弟分で跡目相続に不満を持って独立した丑寅一家との抗争によって荒廃していた。二人はそれぞれ町の有力者である名主の多左衛門と造酒屋の徳右衛門を後ろ盾にして抗争は泥沼化し、町の産業である絹取引きも中断していた。ふらりと立ち寄った居酒屋の権爺からあらましを聞いた浪人は、酒代の代わりに馬目宿を平穏にしてやるという。

浪人は丑寅の子分を挑発して瞬時に三人を斬り倒す。これを見た清兵衛一家は浪人を用心棒として五十両で雇い、祝いの酒席で清兵衛に名前を尋ねられた浪人は窓の外の桑畑を眺め、とっさに桑畑三十郎と名乗る。凄腕の浪人を手に入れた清兵衛は、一気に抗争の決着を付けるとして総力を挙げて攻め入ろうとするが、清兵衛と女房のおりんが事が済んだら三十郎を始末する算段をしていたことがばれ、三十郎は土壇場で報酬を突き返して足抜けしてしまう。三十郎の狙いは本格的な抗争を起こさせて両勢力を共倒れさせることにあったが、そこに八州廻りが来るとの一報が届き、抗争は中止となってしまう。役人の逗留中は平穏を装い休戦することとなったが、清兵衛と丑寅は互いに大金を積んで三十郎を雇おうとし、三十郎は居酒屋で様子を見続ける。』
(Wikipedia「用心棒」

本作の場合、とにかく主人公の「桑畑三十郎」(三船敏郎)がカッコいい。
しかし、「カッコいい」と言っても、その「カッコよさ」は、わかりやすく「見るからにカッコいい」というのとは違うし、たぶん「今風」にカッコいいというのでもないだろう。
では、どういうふうにカッコいいのかというと、この作品が作られた「1960年前後の昭和」的にカッコいい、のではないかと思う。私は、この映画が作られた翌年に生まれたのだけれど、子供の頃に、同居の祖母と一緒にテレビで視た、数多くの時代劇ヒーローの「原型」が、たしかにこの「桑畑三十郎」にはあるように思うのだ。

ではさらに、その「1960年前後の昭和的にカッコいい」というのは、どういうものなのかと言えば、

(1)カッコをつけない(気取らない)
(2)陽性のキャラクター
(3)弱きを助け、強きを挫く
(4)地位や名誉やお金や安定した生活を求めない

といったところだろうか。

(1)の「カッコをつけない(気取らない)」が具体的にどういうことかというと、桑畑三十郎は「スマートな侍」ではなく、むしろ無精髭を生やしているような「垢抜けない侍」なのだ。
つまり、演じている三船敏郎は、バタくさいまでに彫りの深いイケメンなのだが、三十郎の方は「一見したところパッとしない素浪人」として演じられているのだ。
それを典型的に示す所作が「懐手で歩く」呑気そうな様子だとか、その懐手を不精そうに襟首からちょっと出して顎をさすったり、首筋や後頭部をぽりぽりと掻いたりするといったことだ。つまり、三十郎は、決して「清潔」ですらない、薄汚れた浪人なのである。

(2)の「陽性のキャラクター」とは、要は深刻になって然るべき状況にあっても、常に飄々としている、ということだ。
例えば、「あらすじ」にあるとおり、対立するヤクザの双方を掻き回して、両者を相打ちの共倒れにして片づけようとするなど、言うなれば、悪人退治を「楽しみながら」やっているという風情なのだ。
三十郎は、「丑寅一家」の方に囚われていた女性を逃がしてやり、それがバレて、当時は極めて珍しかった拳銃を持つ「新田の卯之助」仲代達矢)に捕まってしまう。そのあと半殺しの目に遭って監禁されていたのを、ヤクザたちの目を盗んで脱出した際には、さすがの彼も死にそうな顔をしていたが、それは実際、それほどの大怪我を負わされていたからであって、例外的なことにすぎない。

(右端が「新田の卯之助役」の仲代達矢。若い仲代の顔を初めて見て、彼が『あしたのジョー』力石徹のモデルだったのだと直観した)

(3)の「弱きを助け、強きを挫く」は、まあヒーローならば当然のことなのだが、三十郎の場合は、頼まれもしないのに、あるいは「余計なことはよしてくれ」と、ただ飯を食わせてくれた「居酒屋の権爺」東野英治郎)にそう言われても「まあ、見ていろ」と軽い調子で、勝手に計画を練り始めたりするのである。
つまり、『七人の侍』の場合のように、苦しむ農民たちに頼まれて、割に合わない悪人退治の仕事を「やむなく引き受ける」のとは違い、三十郎の場合は、頼まれなくても「弱者は助けてやるものだし、悪人は懲らしめてやるべきものだ」といった様子であり、そこに「七人の侍」のような「リアルな葛藤」は無いのである。

(居酒屋の権爺から、町の事情を聞かされる三十郎)

(4)の「地位や名誉やお金や安定した生活を求めない」というのは、要は(3)でも説明したとおり、三十郎が「弱きを助け、強気を挫く」のは、言うなれば、自分が「やりたいからやる」のであり、だから「地位や名誉やお金」など必要ないのだ。「弱きを助け、強きを挫く」のは、「気持ちいい」からやるのであって、言うなれば「趣味」みたいなものだから「報酬」など必要ないのである。
で、彼は、そんな自由な身分であることに満足しているので、世間が求めるような「安定した生活」など欲しいとは思わない。そんなものは、一種の「束縛」であり「不自由」でしかない。彼は、風の吹くまま気の向くまま、ふらりと現れふらりと去っていく、そんな気楽な「風来坊」の身分にこそ満足しているのである。

そんなわけで、彼は「いかにもカッコいいというカッコよさ」は持たず、むしろ「カッコいい呼ばわりなんてゴメンだ」という態度であり、だから決して威張ることはないし、気取ることもない。ただ、そのなんとなくフラフラ生きている「いい加減なやつ」ふうな態度に終始するのだ。

例えば、前述の、旦那の博打のカタとしてヤクザの親分の囲いものにされていた女性を、頼まれもしないのに救出して、その旦那と幼い息子に返してやり、用心棒になると騙してヤクザから巻き上げた大金を、そっくりそのままその親子に与えて「逃げろ」と、むしろ無愛想な声で命じる。
それでその親子三人が、地面に頭をなすりつけて感謝するのに対し、三十郎は苛立った様子で「何をしてるんだ、さっさと逃げんか!」と叱咤し、旦那の襟首を掴んで、無理矢理に引き起こしたりするのである。

つまり、三十郎は「地位や名誉やお金や安定した生活を求めない」というのは、積極的には求めないというだけではなく、そういうものは「いらない」と思っているし、むしろそういうものを押しつけられるのを「迷惑だ」とすら感じて、嫌がっているのである。
「俺はそんなもの(ヒーローなんか)じゃない」「そんなものはゴメンだ」「そんなものだと勘違いされては困る」「俺は、やりたいことをやっているだけなのだから、俺に感謝したりするな。かえって迷惑だ」ということなのだ。

「ヒーロー」というものが、「地位や名誉やお金や安定した生活を求めない」というのは、たしかに「当たり前」のことだとは言えるだろう。だが、この三十郎の特徴は「求めない」には止まらず、それを過剰なまでに「拒否する」というところにある。
これはどういうことかというと、彼は「自然体のヒーロー」ではなく、むしろ「過剰なまでに、ヒーロー認定を拒絶するヒーロー」であり「ただの人だと思われていたいヒーロー」であり、「特別な人間だと思われたくないヒーロー」なのだ。一一ここが「今風のヒーロー」との違い、なのである。

(三船の殺陣は、剣舞ではなく、斬っているという重みがある)

例えば、「桑畑三十郎」という名前だが、これも「偽名」であり、正確には「自分で適当に決めた仮名」である。
ヤクザ同士を相打ちへと導くために、彼は最初「清兵衛一家」の方に、自分の腕を売り込んで、「用心棒としての契約料(前金)」30両を受け取るのだが、その際、清兵衛が、彼に「ところで先生は、お名前をなんとおっしゃるんで?」と尋ねると、彼は、二階座敷の開かれた窓から見えていた、裏の桑畑を眺めた後、おもむろに『桑畑三十郎……。いやもうそろそろ四十郎だが――』と、いささか人を食った、あからさまな偽名を名乗るのである。呼び名がなくては不便だから「そういうことにしておいてくれ」ということである。

で、これが普通の時代劇のヒーローなら、名乗る気がないのであれば「名乗るほどの者ではない」と言うか、あっさり偽名を名乗るのだが、彼(仮名・桑畑三十郎)の場合は、この場合に限らず、日頃から本気で「名前なんてどうでもいい」と思っているので、積極的に隠す気もないまま、「適当な名」を名乗るのだ。

つまり、三十郎(と表記するが)の場合、「地位や名誉やお金や安定した生活を求めない」というのは、「本当は欲しいという気持ちもないでは無いけれど、あえてそれを求めない」というのではなく、「積極的に、欲しくない」のだ。
そんなものは、いずれも「迷惑なもの」でしかないから、名前だって名乗りたくない。有名になんぞなりたくない。「俺は、やりたいことを勝手にやるだけだから、放っておいてくれ」というのが、彼の実感なのである。

(ヤクザどうしの出入りを高みの見物)

で、こういうところが、三十郎の「1960年前後の昭和的なカッコよさ」であり、言い換えれば「1960年前後の昭和的なヒーロー性」なのだ。「ヒーローヒーローしていないヒーロー像」であり、「隣の気さくなオジサン」的なヒーローである。
だからこそ彼には、ヒーローにありがちな「陰」や「悲壮感」が無いだけではなく、積極的に明るく「軽そう」なのだ。

 ○ ○ ○

そんなわけで私は、本作『用心棒』を娯楽映画と楽しみ、「ああ、昔の時代劇って、こんな感じだったな」などと懐かしく思いつつも考えたのは、しかし、この「ヒーロー像」は、「あの時代」特有のものだったのではないか、ということである。

そして、仮に事実そうだったのだとすれば、どうして「1960年前後の昭和期」のヒーローは、こんな感じだったんだろうと考えて、思いついたのが、次のようなことである。

(A)戦後15年ほど経った。
(B)高度成長期の真っ只中で、生活が良くなった。
(C)テレビの普及とともに映画産業の「斜陽化」が語られるようになった。

(A)について言えば、要は「戦争」という悲惨な歴史への記憶が薄れて、「殺し合いを描くのにも、いちいち戦争の記憶」を呼び覚す必要がなくなった、ということではなかったろうか。

(B)については、(A)とも関連するが、生活が良くなった結果、「嫌な過去は忘れよう」という心理が働いて、「戦争の記憶」を積極的に忘れよう、今の豊かさを心おきなく享受しようという心理が働き出した。だから、ヤクザどおしの「殺し合い」を、一種、コミカルなものとして描くことができたし、主人公は、どちらにも属さない「自由な第三項」として描くことができた。
穿った見方をすれば、もはや経済復興を果たして、豊かな国の仲間入りをした日本は、占領国だったアメリカからも自由であり、アメリカとソ連の「東西冷戦」からも一定の距離をおいて、うまくいけば、両者が共倒れになった後の「平和な世界」の構築に、日本こそが貢献できるのではないかといった、いま考えると、「自信過剰」に由来する、あまりにも「楽観的な気分」を、日本人は持ち始めていたのではないか。また、その反映として、本作の主人公・桑畑三十郎という「特異なキャラクター」が生まれたのではないだろうか。

さらに言うと、三十郎の「地位や名誉やお金や安定した生活を求めない」という性格は、結局のところ「地位も名誉もお金も安定した生活も、すでに手に入れてしまった」つもりになっていた日本人の「もう、そんなものはいらない。そんなもので威張ろうとも思わない」という、言うなれば「金持ちゆえの貴族的な意識」の反映だったのではないか。
だからこそ三十郎は、「孤高のヒーロー」ではなく、「まったく気取ったところがない、気取りたくない、無名であることをむしろ求めるヒーロー」として造形されたのではないだろうか。

(C)の「テレビの普及とともに映画産業の「斜陽化」が語られるようになった。」という点については、テレビに人気が奪われる中で、映画界は「娯楽性」を強めて「軽い作品」に重点をおき、言い換えれば、客を選ぶ「芸術的作品」を避けるようになっていったのではないか。
つまり、桑畑三十郎とは、テレビと同様の「お茶の間向き」の軽いヒーローとして、意識的に造形されたものなのではないか、ということだ。

で、いずれにしろ私は、幼少期に、こうした「ヒーロー像」を浴びるように視て育ったせいで、「地位や名誉やお金や安定した生活を求めるヒーロー」なんてものをとうてい認められず、自分が「社会的な名誉名声(や地位やお金や金メダル等)」を得ることで「人々に勇気を与えたい」なんて言うやつに対して、「何様のつもりだ」と感じずにはいられない人間に育ったのではないだろうか。
そうした人たちは、自分が「人々の憧れを一身に集めるヒーロー」になったつもりなんだろうが、私の「ヒーロー像」からすれば、そんな「ケチくさい」ものは、「ヒーローでもなんでもない」し、むしろ「本物のヒーロー」を冒涜するものでしかないと感じられるから、そういう「貧乏くさい勘違い野郎」たちを、口をきわめて貶さないわけにはいかないのであろう。

だが、日本が「経済的な二等国」に落ちぶれてしまった現在、日本人の多くが「見た目にもわかりやすいヒーロー」を求めたくなるというのは、やむを得ないところなのかも知れない。貧しい国の貧乏人の庶民が、わかりやすく「金ピカの王族」に憧れたり、そうしたものに「成り上がりたいものだ」と願ったりするのと同じことだ。
しかしだからこそ、本作に描かれた、桑畑三十郎のようなヒーローは、日本が自信を持って誇り高かった頃を象徴するものとして、私にとってすら、懐かしくて仕方のないヒーローなのであろう。

私が「あなたみたいな人こそが、本当のヒーローなのだ」などと賛嘆の言葉を伝えれば、彼はきっと「止してくれ、気持ち悪い」といって、ぷいと、どこへともなく去っていくのではないだろうか。

そしてまた私は、そんな彼の、そっけない後ろ姿に「もう二度と見ることの叶わないかもしれない、ヒーローの後ろ姿」を見て、感動しないではいられないのである。



(2024年2月12日)

 ○ ○ ○


 ○ ○ ○


この記事が参加している募集

おすすめ名作映画

映画感想文