黒澤明監督 『生きる』 : 笑って死ぬために 生きる。
映画評:黒澤明監督『生きる』(1952年)
私の世代の人間は、黒澤明の晩年を知っている。その頃の黒澤は、日本を代表する映画監督であり「巨匠」であり、「日本映画界の帝王」なんて呼ばれたりしていたのではなかったかと記憶する。
まあ、そういう呼称が似合う雰囲気を持っていたのだ。
今なら「パワハラ」だと言われそうだが、当時、黒澤の声は「神の声」であり、黒澤が撮影現場で助監督などのスタッフに「こうしろ」と言ったら、それが普通に考えれば無茶なことであっても、それを監督の意向どおりに実現するのがスタッフの仕事だった。例えば、時代ものの映画を撮るのに、ずらりと並んだ電信柱が邪魔だとか、時代にそぐわない一軒家が建っていたりしたら、「あれをのけろ」と言われたら、その交渉をして、実際にそうしてしまうのがスタッフの仕事であったわけで、そんな無茶が通るからこそ「帝王」などとも呼ばれもしたわけである。昔は、CGでチャチャっと誤魔化すなんてことはできなかったのだ。
では、そういう無茶なことを言って非難されなかったのかというと、そこも昔のことだから、逆に「すごい」と感心される。要は「優れた作品を作るためなら、非常識なことも厭わない」という「芸術至上主義」として「さすがだ」と感心されたのだ。その良し悪しは別にして。
また、晩年の黒澤明監督には、そんな貫禄があった。というか、見るからに「怖そうな爺さん」だった。黒のサングラスにハンチング帽だか何だかを被って、いつもタバコを咥えている、要は「表情が読めない」。
「スタート!」「カット!」とか、ああしろこうしろということは、しっかりした言葉で言うけれど、およそ他人をリラックスさせるための冗談を言ったり、優しい言葉をかけなりなど「しなさそうな人」だと、そんな「イメージ」があったからこそ、多くの人は「畏敬」の念を持って「巨匠」と呼び、そして「帝王」と呼んだのではないだろうか。
実際のところ、黒澤明の、素の性格をよく知っている人など、そう多くはないのだから。
ともあれ、そんな「日本を代表する巨匠」だったからこそ、滅多に映画を撮らないし、撮ったら大作だと「印象」があったし、そんな新作は「傑作に違いない」という印象が多くの人にはあった。なにしろ「日本を代表する映画監督」なのだから、その人が、それなりの傑作を撮れないようでは「日本の映画って、どうなのよ?」ってことになってしまうからだ。
そんなわけで、アニメくらいしか映画を観に行かなかった私が、なぜか黒澤晩年の作品、『夢』(1990年)と『八月の狂詩曲』(1991年)は観に行っている。
どうして観に行ったのかと思い返してみるに、『夢』の場合は、タイトルのとおり、「夢」をテーマにしたオムニバス映画だったので、当時すでに読書家であり、「幻想小説」に惹かれていた私は、この映画にも同じような味わいを期待したのではなかったろうか。一方、次の『八月の狂詩曲』の方は、これも読書家として、井伏鱒二の『黒い雨』などとからんで「原爆問題」に興味があったからではないかと思う。一一だが、いずれにしろ映画としては、どちらも「イマイチ」という印象しかなかった。
当然のことながら、黒澤の作品は『七人の侍』(1954年)などのあれこれを、それまでにテレビで視ているはずだが、確たる記憶はない。視ていても、黒澤作品として視たのではなく、時代ものの娯楽映画として視ていたから、祖母と一緒にたくさん視ていたテレビ時代劇などと、印象がごっちゃになっているのだ。
だから三船敏郎も、テレビドラマの『荒野の素浪人』(1973年)の印象は強烈に残っているのに、黒澤に、三船主演の『用心棒』(1961年)という(たぶん、テレビが真似した)作品のあることは、今回、このレビューを書くために「Wikipedia」を見るまでは知らなかった。
『椿三十郎』という作品があることは、タイトルとなっている主人公の侍の名前が特徴的なので知ってはいたが、私の中では、およそ三船敏郎には不似合いな役名だという印象しかない。一一「イメージ」とか「印象」とかいったものは、およそそんなものなのであろう。
だから、黒澤明が「日本映画界を代表する(ワントップ)の巨匠」だという印象も、それは黒澤が、日本人で初めて、アカデミー賞を獲った人だからであろう。『羅生門』(1950年)で名誉賞(今の外国語映画賞)を獲ったのである。
しかしまあ、はっきり言わせて貰えば、私からすると「アカデミー賞」というのは、「大したもの」ではあるけれども、「それほど大したもの」でもない。
アカデミー賞受賞作でも、首を傾げたくなるような作品はいくらでもあるし、それは作品選考に、政治的なあれやこれやが絡んでいたり、単純に選考者たちに「意外に、見る目がない」といったことから来るのであろう。
だが、素人というのは、どんな業界のものでも、「賞」だの「金メダル」だの「新記録」だと言った、わかりやすい「権威」に弱くて、作品を観るにも、その「権威」のせいでおおいに目が曇っているから、大したことのない作品でも、「雰囲気」で絶賛してしまったりするのだろう。
宗教信者が、教祖さまのありがたい説法に感動して涙を流すのと、これはまったく同じことである。当人は、本気で「すばらしい!」と思っているのだ。
そんなわけだから、黒澤が死んでしばらく経ってしまうと、黒澤はもう「ワントップ」の「日本映画を代表する映画監督」ではなく、「日本映画を代表する映画監督の一人」の位置まで下落してしまう。「日本映画を代表する映画監督」が何十人かいる中での一人になってしまうのだ。
最近なら、映画マニアに「日本映画を代表する映画監督は誰?」と尋ねれば、リバイバルブームの真っ最中の「小津安二郎」を挙げる人の方が、むしろ多いのではないか。また、そんな小津信者だって、黒澤が生きていた頃には、案外、黒澤信者だった可能性も低くはないはずなのだが、「見る目がない」人というのは、おおよそそういうものなのだ。
で、今回、黒澤明の『生きる』を観たのは、一昨年あたりから「映画というジャンル」そのものに興味を持ったので、自分の好みの作品だけではなく、ひとまずいろいろと観てみないといけないと思うようになり、黒澤についても、意識して観たことがあまりなかったから、代表作くらいはきちんと観ておかないとなと、そう思ったことが、まずひとつ。もうひとつは、今年、黒澤の『生きる』のリメイク映画である『生きる-LIVING』(オリヴァー・ハーマナス監督)が公開されたからだ。
余命宣告を受けた高齢者男性が、自身のそれまでの人生をどう振り返り、短い余命をいかに生きるのかというテーマは、還暦を過ぎ、仕事も辞めて隠居生活に入った私にとっても他人事ではなかった。だから、まずはこのリメイク映画の方に興味を持ったのだか、オリジナルを観ずして、先にリメイクを観るというのは、どうにも味が悪い。
ちょうど「黒澤映画を観なくてはな」と思っていたところでもあるし、黒澤の『生きる』は海外でも評判が良く、黒澤の代表作のひとつにも数えられているそうだから、「では、この機会に観よう」ということのなったのである。
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本作『生きる』の「ストーリー」は、次のとおり。
この話も、今の若い人が観たら、かなり「わかりにくい」だろうなと思う。
「ストーリー」自体は単純なものだが、「時代背景」が今とは大きく違っていて、例えば、本作で描かれる「お役所仕事」というものの本質は変わっていないとしても、少なくとも、表面上は、かなり変わっているからだ。例えば、役所窓口での、露骨な「無愛想」や「たらい回し」といったことは、大いに改善されただろう。今こんなことをやったら、ネットにさらされて、下手をすれば大問題になりかねない。
また、主人公の「事なかれ主義」で「娯楽」を知らない、いかにも面白みのない生き方というのも、今の人には理解できまい。すでに私の世代にしてそうなのだから、そうであって当然である。だが、昔はこんな感じが、確かにあったのだ。
この映画を観て、「良くもこんな人が、課長になったな」と思う人が少なくないはずだが、昔は「年功序列」で、成果は出せずとも、真面目(無難)に仕事をしていれば、自動的に役職も給料も、それなりに上がっていったのである。だから、上司の指示にはたてつかず、言われたことを黙々とこなしていれば、それでいいし、主人公が「無遅刻無欠勤」だというのも、昔はそれが「勤めにおける最大の美徳」だったからである。「10の仕事を、1日で片づけて9日間休む」人より「10の仕事を、毎日出勤して、10日間かけてこなす」人の方が「真面目だ」と、高く評価された時代だった。だから、当時としては、本作の主人公の生き方は、言うなれば「正統派」だったのだ。
そんなわけで、本作主人公である、市役所市民課課長・渡辺勘治の生き方が理解できない人というのは、その人の生き方の方が、渡辺のそれより「正しい」ということではなく、たいがいの場合、その人の生き方が「当世流であり、今の時代にマッチしている」からに過ぎない。
つまり、その人自身が「現代の渡辺勘治」なのだと、いちおうその程度の疑いも持てないようでは、本作を正しく鑑賞することはできないだろう、ということである。
本作の「ストーリー」は、次のように要約できる。
やる気はないけれど、ひとまず真面目一本で生きてきた男が、癌で余命宣告を受けた結果、「私の人生は何だったのだ?」という根源的疑問にとらわれる。
それで、これまでは顧みなかった「この世の快楽」を経験してみようとするが、実際に経験してみると、それも「虚しい」ものとしか思えなかった。そんなところに、役所勤めは退屈だと辞めてしまい、今は玩具工場で働いている元部下の若い女性と再開し、話をしているうちに、彼女の生き生きした姿に惹かれることになる。異性として惹かれるというのではなく、「この生き生きとした力は何なのだ」と、そう驚き、その謎に惹かれたのだ。「もしかすると、これが私の求めるべきものだったのかもしれない」と。
しかし、役所を病欠で休んでいるはずの主人公が、若い娘と遊び歩いていると聞いて、周囲は当然の如く誤解するし、その娘も、主人公の必死さに徐々に恐れをなすようになっていくが、結局、その娘から「課長さん、なにか物を作りなさいよ。それがいいわ」というようなことを言われて、自分の生きていた証しとして遺せる「もの(作品)」をと、そう考えるようになる。
自分は、これまで、あまりにも、無難ではあれ無為に生きてきた、だから虚しいのだと気づき、市役所へ出勤すると、それまで、相手にしていなかった公園整備の陳情に熱心に取り組み、縦割りの役所内の垣根を踏み越えて、ついにその公園整備を実現するのだが、その後すぐに死んでしまう。
本作は、1952年の作品で、要は、終戦から10年も経っていないので、社会インフラの整備など、まったく不十分だった。わかりやすくいうなら、舗装道路なんてものは、ごく一部に限られていて、住宅地の生活道路の大半は未舗装の地道だった。しかも、下水道の整備も不十分で、町のあちこちに「ドブ川」と呼ばれる、下水道がわりの汚い小川が流れていたから、雨が降ると、道路は泥んこだし、ドブ川が溢れるというようなこともよくにあった。
したがって、公園整備の陳情といっても、それは家の前の空き地が、雨が降るたびに水が溜まってズブズブになってしまうから、それを何とかして欲しいという、下町のおばさんたち、ひと昔前の「婦人会」の人たちの陳情だったのである。
だが、役所としては、そんなものに耳を貸していてはキリがないという本音を隠して、それは下水課だ、それは道路課の担当だとたらい回しにして、陳情をあきらめさせようとしていたのだ。
しかし、自分が「遺せる仕事」を見つけた主人公は、この問題に一心に取り組み、幸運にも、それを実現して死ぬことができたという、本作は、そんなお話である。
だから、本作を「意義のある人生を送らなくてはならない。でないと、死ぬ時に後悔することになるぞ」ということを教えている作品だと、そう当たり前に理解したとするならば、「楽しく生きる」ことを自明のこととして考えている私たちの多くの人生は、「時間の浪費」として反省すべきものでしかない、ということになる。「アリとキリギリス」の童話みたいなものだ。
方向性は違っても、余命を知らされて変わる前の、主人公・渡辺の「ことなかれ人生」と私たちの人生が、大差がないものになってしまうのである。
だから、この映画は「古臭い」とか「理解不能」だというのは違う。「意義のある人生(一生)とは何なのか?」という本作のテーマは、今も古びてはいないのだ。
そして、こうした「大真面目なテーマ」は、本作の原作が、じつは、トルストイの『イワン・イリッチの死』だと知れば、なるほどと納得もできよう。晩年に、人生に踏み迷ったとされるトルストイらしい、真面目なヒューマニズムの作品なのである。
大「文学」を遺したって、それで満足して死ねるというわけではないのだ。
だが、いずれにしてもここまでは、言わば「最低限の理解」だと、私には思える。
このくらいのことは、当たり前すぎて、語るにも値しないことのように思うのだ。
では、私は、ここから先、どのように考えていくかというと、「意義(あるいは、意味)のある人生」とは「誰にとっての、意義であり意味がある、という意味なのか」というようなことだ。
『生きる』の主人公である渡辺のことは、他人の役に立つ仕事を遺して、ある意味では「満足し、救われた」と考えることもできるのだけれど、彼がこの仕事を成し遂げた後、深夜、自分が整備した公園のブランコに一人で揺られて、「いのち短し、恋せよ乙女」と、古い流行歌「ゴンドラの唄」(1915年、吉井勇作詞、中山晋平作曲)を歌う様子は、いかにも侘しいものであり、「やるべきことをやり切った」人の達成感や満足感を感じさせるものには、とうてい見えない。一一これはなぜなのだろうか?
私が思うに、「世のため人のため」に働いて、それだから「満足感」が得られるのだとしたら、結局のところそれは、他人をダシにしての「自分の満足を得るための行為」でしかないのだと、そう考えることもできるからなのではないだろうか。
そして、そんな「自分のための満足」で良いと言うのであれば、「お役所的に無難なそれまでの彼の人生」も、逆の「快楽を追い求めるだけの人生」も、本質的には同じことになってしまうのではないか。
だからこそ、公園整備を成し遂げた渡辺も、「遺すに値する仕事」をして、今風に言えば「レジェンド」を遺したところで、やっぱりそれは「自己満足」であり「虚しい」と感じるところがあったために、彼は最後まで「侘しげ」だったのではないか。
では、そんな彼はなぜ、「いのち短し、恋せよ乙女」と、最後まで「ゴンドラの唄」を歌っていたのだろうか?
私が思うには、公園整備の仕事を遺しても満足できなかった渡辺であれば、もっと早く、若い頃に「生きるに値する人生」に目覚めて、「遺すべき仕事」をしていたとしたらと、そう考えたのではないか。
しかし、若い頃に目覚めて頑張ったとしても、遺した仕事量の大小はあれ、結局最後は「それも虚しい」ということになったのではないだろうか。
例えば、オリンピックで金メダルと取りまくって、数々の「レジェンド」の残し、世界中の人から称賛されチヤホヤされたとしても、死の床においては「それも虚しかった。所詮は数字じゃないか」と、そう思っても、何の不思議もない。
スピードスケート選手として数々のレジェンドを残し、引退後は政治家となって大臣にもなったのに、今では「政治資金規正法違反(裏金問題)」の容疑者になっているような人の人生を見ると、「レジェンド」なんてものは、他人にとっては「すごく」ても、当人にとっては「通過点」でしかなく「過去の話」であって、「今の満足」を保証してくれるものではないというのがよくわかる。
つまり、死ぬ時には、そんなものは、少なくとも当人には「ほとんど意味がない」ということなのだ。
「世界記録を出したから」「金メダルを20個取ったから」「国民栄誉賞をもらったから」「莫大な財をなし、豪邸を建てて、何不自由のない生活をしたから」といって、それで「だから、良い人生であった」と満足して死んでいけるというわけには、なかなかいかないということだ。
それどころか、それとは真逆に「すべては虚しかった」と思ってしまう可能性だって十二分にあるのである。
そしてそれは、本作『生きる』の主人公・渡辺のレジェンドである「公園整備」だって同じなのだ。自分の満足のための、それならば。
一一だから、渡辺が死ぬ間際まで「いのち短し、恋せよ乙女」と「ゴンドラの唄」を歌っていたのは、「もっと早く、生きるに値する人生とは何かという問題に気づいていれば、もしかするとその正解を見つけられたかもしれない」という「夢」を捨てきれず、もはや手にし得ない「正解」を、「過去」に投影して、そこに「可能性」が存在したと、せめて思おうとした、ということ(未練)ではないだろうか。
だが、私個人の考え方では、そんな「正解」など、過去にも未来にも、そもそも存在しない。
なぜなら、どんな生命も、消えてしまえば、すべて等価に「無意味」だからである。
「いや、その人の人生を覚えていてくれる人があるかぎり」と言ったって、いずれ人類は滅びてしまうのだから、すべての意味は失われてしまい、聖人の人生も殺人鬼の人生も、「無意味」という意味において、完全に等価になってしまう。
まして、「金メダルの数」に類したことなど、まったく虚しいというのは明らかで、そんなものをありがたがるのは、きわめて近視眼的で、「虫の視点」しか持っていない者だけだとも言えるだろう。
「ならばどうするのか?」と言えば、結局は「自己満足」でしかないのだと、私は考える。
しかしながら、ここで肝心なのは、死の瞬間にまでもちこたえるだけの強度を持った「自己満足」でなければ、少なくとも自分に価値のある「自己満足」にはならない、ということだ。
安直で、遠望の効いていないような「目先の自己満足」では、結局のところ、本作の渡辺と同じことになってしまう。
だとすれば、私たちが求める「自己満足」とは、いささか陳腐ではあっても「いま死んでも、まあ仕方がない」と思えるような生き方ということになるだろう。カッコ良く言えば「臨終只今なり」という覚悟で生きるということだ。
無論、それが容易なことでないのは明らかなのだが、安らかに死のうと思えば、そのくらいのことは考えて、今を生きていなければならないということである。
楽しく満足して「生きる」ことよりもむしろ、最後に満足して「笑って死ねる」人生の方が難しい。それはやはり、並大抵のことではないのである。
(2023年12月25日)
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