『エノケンの孫悟空』(1940年・山本嘉次郎)

戦前の東宝映画としても、エノケン映画としても文字通りの大作映画が1940年、皇紀二千六百年で沸き立つ昭和15年に作られた『エノケンの孫悟空 前後編』である。

 撮影はハリウッド帰りのハリー三村こと三村明。特撮には後に『ハワイ・マレー沖海戦』(1942年)、『ゴジラ』(1954年)で東宝特撮黄金時代を築き上げる円谷英二。音楽には栗原重一と鈴木静一。淙々たるスタッフに、キャストも豪華である。特別出演

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『くちづけ』(1955年・筧正典・鈴木英夫・成瀬巳喜男)

石坂洋次郎の短編小説を、三本のオムニバスとして映画化した『くちづけ』は、藤本真澄が製作本部長として東宝に復帰する直前に企画された。プロデューサーに成瀬巳喜男が名を連ねている。原作は「霧の中の少女」所載の「くちづけ」「霧の中の少女」「女同士」。前年、谷口千吉監督の『潮騒』(1954年)でみずみずしい演技を見せた青山京子、前年にデビューしたばかりの司葉子、東映の新スター・中原ひとみ、そして戦前から東宝

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『喜劇駅前漫画』(1966年・佐伯幸三)

昭和34(1959)年、週刊少年マガジン(講談社)、週刊少年サンデー(小学館)が刊行され、子供たちの間で漫画雑誌ブームが巻き起こる。そして昭和38(1963)年には、国産初のテレビアニメ(当時はテレビ漫画と呼んでいた)「鉄腕アトム」(光文社「少年」連載)が放映開始され、雑誌にテレビと子供たちにとって漫画は生活の中心となった。

 それが社会現象となったのが、昭和40年代に入ってから。少年サンデー連

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『青春会議』(1952年・杉江敏男)

『青い山脈』(1949年・今井正)の大成功により、東宝から独立して、藤本プロダクションを設立した藤本真澄は、次々と石坂洋次郎原作映画を手掛けていく。映画により石坂小説はさらに売れ、新聞や雑誌の連載は、映画化を前提にしたものが多くなってきた。藤本真澄も石坂洋次郎も「持ちつ持たれつ」で、それぞれが時代を作っていくことになる。のちの角川映画の出版と映画のメディアミックスの原点がここになる。映画ビジネスに

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娯楽のデパート 井上梅次監督のカラフルな世界

井上梅次監督。戦後日本映画を娯楽作で牽引してきた、その功績の大きさに比べ、新聞報道の訃報の小ささに驚いた。まぁ、それが今という時代なのだけど、ここでその偉業を振り返ってみよう。

 井上監督は1952(昭和27年)、新東宝『恋の応援団長』を皮切りに、5社協定の時代に東宝、日活、大映、東映、松竹と、邦画各社を渡り歩いて、数々の娯楽作を勢力的に手がけ、1960年代末には香港映画界に乗り込んだ。その生涯

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『丘は花ざかり』(1952年・千葉泰樹)

藤本プロダクションの藤本真澄プロデューサーが、東宝創立20周年作品として、鳴り物入りで製作した『丘は花ざかり』は、石坂洋次郎が朝日新聞に連載した新聞小説の映画化。『青い山脈』の「夢よもう一度」は、常に藤本にとってのテーマだった。昭和27(1952)年11月18日公開。作詞・西条八十、作曲・服部良一、歌・藤山一郎の「青い山脈」トリオによる主題歌「丘は花ざかり」は、明るいメロディ、希望に満ちた歌詞で大

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『エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷』(1939年・齋藤寅次郎)その2

僕にとって「エンタツ・アチャコ映画」のベスト作品であり、齋藤寅次郎の戦前のナンセンス・コメディの最高峰でもある『エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷』は、他の「エンタツ・アチャコ映画」同様、敗戦直後、新作が圧倒的に足りない時に、東宝系の映画館で再上映されて大人気となった。このナンセンス・コメディは、いつの世にも人々を魅了する。ウエットな人情話になりがちな喜劇映画にあって、ここでの横山エンタツは徹底的

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『エンタツ・アチャコの新婚お化け屋敷』(1939年・齋藤寅次郎)その1

昭和11(1936)年の『あきれた連中』(岡田敬・伏水修)に始まる「エンタツ・アチャコ映画」は、これで7作目となる。ちょうど一年前、松竹から移籍してきた「喜劇の神様」齋藤寅次郎監督との出会いにより、エンタツ・アチャコ映画が飛躍的に面白くなった。二人の「しゃべくり漫才」のおかしさだけでなく、齋藤寅寅次郎監督のナンセンス映画の感覚が加わって、映画における「エンタツ・アチャコ」の可能性が大きく広がった。

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『社長忍法帖』(1965年・松林宗恵)

前作『続社長紳士録』を最終作としたものの、ファンや全国の映画館主からのシリーズ続行を望む声を受けて、何事もなかったかのようにシリーズが再開された。これまで東京五輪に向けて、高度経済成長を牽引してきた日本企業のイメージをダブらせてきた「社長シリーズ」だが、五輪後の経済の冷え込み、様々な需要の低下などを踏まえての構成となっている。
 昭和40(1965)年1月3日、お正月映画として、三船敏郎の『侍』(

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『石中先生行状記』(1950年・成瀬巳喜男)

昭和24(1949)年、戦前から東宝カラーの一端を担ってきたプロデューサー、藤本真澄が「藤本プロダクション」を設立して、完成に漕ぎつけた『青い山脈』は、文字通りの大ヒット。戦後の新しい、男女のあり方を描いた青春映画として、昭和20年代の日本映画を象徴する作品となった。

 映画のヒットで、石坂洋次郎の小説はますます注目を集め、藤本真澄は続いて「石中先生行状記」の映画化を企画。脚本は八木隆一郎、監督

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