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ゴジラ-1.0のラストシーンを踏まえて、現代の創作について考えたこと

6月になり、「ゴジラー1.0」の円盤発売から一ヶ月が経ちました。先月は映画館で観られなかった友人と鑑賞会をやった他、職場の人達も配信で観た、または円盤買ったよ~というような話が聞かれ、ちょっとした「ゴジラフィーバー」が起こっていたように思います。

「一回目」の貴重さ

興味はあったけど忙しくて…な友人と一緒にカラオケ店で鑑賞会、よくやるんですが、これが存外楽しいものです。カラオケ店の楽しみ方は歌うだけではないんですね。
その友人の映画の感想は、「これは海外で受けるのも納得」というものでした。文句なしに面白かったと。

・「ジリ貧」って言葉はこの頃からあったのか
・(銀座のシーンのあとで)あぁ、これ浜辺美波だったのか
・ゴジラの熱線、威力強すぎて自分もダメージ受けるんじゃないか
・ゴジラって、煽り耐性ないよな

この辺が、面白かった友人のリアクションです。

特徴がないのが特徴、と自身も言っているべーやん(浜辺美波)ですが、
見慣れていないと気付かないレベルだとは思いませんでした

そして観終わったあとで、純粋に典子が生きてて良かった、とも言っていたんですね。公開後に色々と考察や議論を呼んでいる首筋のアレに関しては気付いていませんでした。…ので、私もあえて言わなかった。
「初回の感動」に、リピーターの入れ知恵で水を差したくなかったんですね。これは他の人に対しても同じスタンスでいようと思っている部分です。もし「あれって…」と聞かれれば応じるつもりではありますが。


後日、職場で「ゴジラのDVD買ったよ!でもなんか色がついてなかった!」という同僚に笑ってしまったりもしました。安かったから、とモノクロ版だと気付かずに買ってしまったようです。その人も、ラストのことには気づいておらず純粋なハッピーエンドだと思っていました。

創作論もアップデートしていくべき

話が変わりますが、私が脚本を学んで、現在はコンペの紹介のために籍だけ置いているところの講師が、年中言い続けている創作論があります。

・最後まで主人公を困らせろ、葛藤させろ。話をまとめようとするな。まとめようとすると、主人公にとって都合の良いことが起こり面白くなくなる。解決しなくてもいいので、最後までどうする?どうなる?と思わせろ。

と、いうものです。
これについて、私は半分は同意できるのですが「話をまとめるな」というところに、ゴジラー1.0を観て疑問を持つに至りました。
というのも、先の鑑賞会とは別の知人がこの映画を観た時、あのラストシーンに苦言を呈していたんですね。

・あのラストシーンは余計。あれが無ければ気持ち良く終わったのに台無しになった。

という感想です。
これはあくまで一個人の印象ですが、時代性と無関係ではないとも考えます。

以前のゴジラー1.0記事でも紹介したこちらの、庵野監督の発言です。

庵野:一方で、今の受け手はタイパやコスパを重視するため、見たことがあるものしか見たくないという傾向があるのではないかと感じます。新しいものを見てびっくりするようなリスクは冒したくない。自分のイメージ通りにストーリーが運ばないと拒絶してしまう。そこで評価の対象となるのが、「伏線回収」といった要素になっているんじゃないでしょうか。

これは後ろ向きな捉え方に映ってしまいますが、逆の見方をすれば
「主人公に都合の良いことが起こるのが、つまらないとは限らない」
という今の時代に沿った創作の方針に繋がるのではないでしょうか。実際にある種長年の「お約束」であったマイナスワンのラストシーンに拒否反応を示す20代を見ると、そういう風に考えてしまいます。

つまり「面白くするために予定調和を避けろ」はやや古い考え方なんだな、という結論です。スンナリ、気持ち良く終わる物語も面白いという現代性です。
お世話になっているところの指導方針を否定する気はありませんが、庵野さんのように「興行性」も含んだ作品作りをしなければいけないプロの人の視点と、裏付けるリアクションを見たうえで正解のない答えを探そうとすると、何が面白いのか、は常に変化しており創る側も変わっていく必要があると感じています。

もちろん、こういった思考や議論が起きることも併せて、
素晴らしい作品であることは間違いないんですね

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