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堤未果 『国民の違和感は9割正しい』 : 人は案外、学ばない。

書評:堤未果『国民の違和感は9割正しい』PHP新書)

退職して隠居生活に入って、丸2年が経った。そんな中で感じることのひとつは、他人と直接に話をする機会がほぼ無くなったので、興味のない話を否応なく聞かされることも無くなったし、生々しい現実生活の話とも縁が無くなった、というようなことである。

人と話さなければ寂しい、なんてことはない。仕事をしていた頃、人から興味のない話をされて、心の中では「そんな、しょーもない話、どうでもいいよ」と思いながらも、そこは浮世の義理と、興味のないことを聞いておくのも悪くはないという計算から、そうした世間話につきあってきた。
だが、今は、それが完全に無くなってしまったのだ。

無論、今の俗世間から半ば切れたに等しい生活は、望んだ得たものなのだから、気持ち的にはストレスが無くて、たいへん好ましい状態である。なにしろ、寝たい時に寝て、寝たいだけ寝て、起きたい時に起きて、出勤する必要もないのである。しかも、起きている時にすることと言えば、本を読んでるが、DVDを見てるか、好きなことを書いているかのみ。一一これは一種の「極楽」ではないだろうか。

しかしながら、好きなことにしか関わらないというのは、やはり、知的側面においては、決して好ましいことではない。

そう思うからこそ私は、せめて趣味である読書においては、可能なかぎり広い範囲のものを読みたいと思っている。あまり興味が持てないことでも、その機会を捉え、それまでなら絶対に読まなかったであろう本も、その機会に読むようにしているのだ。

例えば、「武蔵大学の教授」で「表象文化論学会の幹事」であり、「映画評論」もやっている自称フェミニストの北村紗衣の著書なんかも、このところのような関わりがなかったら、死ぬまで読むことはなかったはずなのだが、こうした機会を捉えて、これまで気になっても読めなかったフェミニズムの本や、興味のなかった北村紗衣の本なんかも読もうと思っているところなのだ。

一一ちなみに、「また、北村紗衣のことを書いてる」と呆れた読者も多いだろう。もちろん、そう思われるだろうと思いながら、わざと書いているのである。これが私の、グレコローマン・スタイルなのだ。どうせやるなら「周知徹底せよ!」という感じである。

で、要は、そのように、幅広い読書をしたいと思い、それをかなりのところ実践してきたという自負はあるものの、やはり、それにも限界があって、当然のことながら、すべてを押さえることは不可能だし、興味のある範囲に限ってさえ、そのジャンルの目ぼしいものだけでさえ、「全部」読むというわけにもいかない。隠居してすら不可能なのだ。

「推理小説(ミステリ)」については、かなり読んだし、なにしろ島田荘司綾辻行人などと共演して「登場人物」になったくらいだから、斯界にはかなり深く関わったつもりなのだが、それでもミステリマニアと呼ばれる人たちに比べたら、そのジャンルの読書量は、全然である。
まして、愛する笠井潔『容疑者Xの献身』論争(「本格」論争)で、ミステリ界を去ってからは、わが使命を果たしたの感もあって、すっかりミステリに興味を失ってしまった。それでもたまに、特別に評判の良いものは読んでみることもあるけれど、しかし、それは年に数冊程度で、若いエンタメ小説読者にも遠く及ばず、ここ10年のミステリ作家については、ほとんど読んでいないと言えるだろう。一一無論、それ以外のものを読んでいるということである。

だが、いずれにしても、読みたい本が全部読めるわけではないのだから、おのずと「興味のないジャンルの本」というのは、なかなか読めるものではない。

そんなわけで、私の情報源は「書籍」と「テレビ」と「ネット」に限られてしまい、「肌身で感じる、生な情報」というのが無くなっている。
そしてそれが、決して好ましい状態ではないという自覚なり危機意識なりも、ないわけではないのだが、いまさら、その必要もないのに就職しようとか、他人との接触の機会をつくろうとまでは思わない。興味のないものに関しては、徹底的に「面倒くさがり屋」なので、それは、不可能なことなのだ。

で、「せめてもの」ということで、本書を読んだ。本書表紙の、次のような惹句が目についたからである。

裏金、新NISA、大増税…
 カラクリを知り、身を守れ!

本書は今年4月に刊行されたものなので「自民党派閥の裏金問題」が最初に来ているが、これもすでに「今は昔」の感がある。
それに、私としては、この問題はそう簡単には解決なんかされないだろうと思っていたので、反対運動をするわけでもない者の身としては、正直なところあまり興味はなかった。むしろ興味があったのは「自民党と統一教会の癒着問題」の方だった。なにしろ「宗教と政治」の問題は、元創価学会員である私の守備範囲だからである。だが、この問題は、本書では扱われていない。
「裏金」問題と同様、「大増税」の問題にもあまり興味が無かった。「どうせ、やられてしまう時はやられる」と思っていたからだ。もちろん、「軍備拡張のための大増税」などには反対だが、実際にどうにか出来るとは思っていなかったので、「裏金」問題と同様、詳しい内容にまでは興味が無かったのだ。

そんなわけで、私が興味を持ったのは、「新NISA」だったのである。

なぜ「新NISA」に興味を持ったのかというと、個人的にはまったく興味がないのに、世間が大騒ぎして、テレビコマーシャルもバンバンやってたから、「みんな、そんなに乗せられちゃっていいの?」などと思っていたためである。

まだ仕事をしていた頃、同僚に「お金の話」が好きな人がいた。要は資産運用のためには、あれが良いとかこれが良いとかいう話をしきりにして、同僚・後輩にも「絶対、これやらんと損やぞ」(大阪弁)などと、大真面目に語っていたのである。

で、私の場合は、「給料明細」を見ることさえしない人間だったので、こういう話には、とんと興味が無かった。だから、距離を置ける場合には、ひとり離れて本を読んでいたが、場所によって、そうもいかない時は「へえーっ」とか「そんなものがあるんですか」「でも、運用なんか、なんだか面倒くさいな」などと、あまり気のない相槌をうったりして、それで「先輩は、酒も飲まんし、博打も遊びもしないから、ごっそり貯めてて良いけど、うちは子どももいますからね」などと言われ、「いやいや、けっこう趣味に馬鹿みたいに金を遣ってるよ」などと応えていたのである。呆れられるから、金額は「毎月十数万」ということにしておいたが、実際には毎月20 万円は、ざらに遣っていたのだ。
一一まあ、それでも、子供もいなければ、博打もせず、持ち家もあったため、いつの間にか、老後を一人で生きていくのに困らないていどには貯まっていた、ということである。

ともあれ、にわかに世間で「新NISA」で騒がれだしたので、その同僚のことを思い出して、旧「NISA」に目をつけていたその同僚は、さすがに好きでやっているだけあって、よく知ってたんだなと感心したのである。

だが、だからと言って、私自身はそんなものに手を出すつもりはなかった。それを頭から否定するつもりもないけれど、そもそも「お金を運用する」というのが面倒くさいし、かといって、それを他人に委ねてしまって「それでも確実に儲かる」なんて、そんなうまい話はないだろうと思ったのだ。

もちろん、運用でもしなきゃ生活が成り立たないとか不安だという人は仕方ないが、別に私にはその必要がなかったので、興味もやる気もなかった。

だが、世間があんまり「新NISA」に大騒ぎするので、自分の資金運用の話ではなく、「これはやっぱり、警戒すべき、うまい話のたぐいなのではないか」と、そういう疑いが強まっていたので、本書の表紙を見て、購入する気になったのである。

で、当然のことながら、本書が語っているのは「うまい話は疑ってかかれ」という常識的な話であり、「新NISA」についても、その裏側が色々と書かれていたが、読後一週間ほど経っているので、その具体的な内容は、ほとんど忘れてしまった。
で、いま目次を確認したところ「ああ、こんなこと書かれていたな」ということだった。要は、だいたい想像できたような危険性が語られており、その意味では「意外性」がなかったから、記憶に残らなかったのである。

「新NISA」について語られていた話の大筋は、目次の見出しに『ゆうちょ、年金、次は新NISAで預貯金いただきます』とあるとおりで、よく聞く「紐付け」の話であり、要は、国民資産の有効活用を進めるために、政府が「NISA」を利用して国民の個人資産の把握を進めている、というような話だったと思う。おおよそ、そういう話だったのだ。
で、私としても、信用にしていない日本政府に貯金のことまで把握されたくなんかない。きっとそのうち、そうした情報は悪用されるぞ、と前々から思っていたので、「やっぱりなあ」という感じだったのだ。
つまり私の場合も、年寄りが「タンス預金」するのと同じで、要は政府だの銀行だのを、あまり信用していないのである。
まあ、「タンス預金」は、強盗窃盗に弱いから、その点でおすすめはしないのだけれど、妥協は「銀行」までにしておきたいのだ。

「大谷さんは知っている」?)

ともあれ、こうした「資産運用」の問題で、私として肝心だと思うのは、当たり前の話だけれど「みんなが儲けるわけにはいかない。儲けられるはずがない」という、頑ななまでのリアリズムなのだ。

つまり、「誰かが儲ければ、誰かが損をする」はずだという確信。
無論、そこには「時間差」や「地域差」はあるだろう。すなわち、「今の人はみんな美味しい思いをするかもしれないけれど。その分、将来の人がその負債を負わされることになる」とか「日本人は美味しい思いをするかもしれないけれど、後進国などにその負債を負わせることになる」といったことだ。
八方うまくいくなんて話は無いと、頑なに信じているので、「新NISA」が「(長期的に見れば)絶対確実」だと言われても、そんなどこかで誰かに、確実に犠牲を強いるようなものに、積極的に手を出す気にはなれない。

それでも、生活に困れば、仕方がないので、「絶対確実」なうまい話にも手を出すだろう。「申し訳ない」と、どこかの誰かに、心の中で手を合わせながら、犠牲を強いることもするだろう。
一一だが、そこまでしなくても生きていけそうな私としては、そこまでして「金儲け」をしたいとは思わないということだ。

たしかに、金はいくらあっても困りはしないが、私が儲けた分、損をする人がいるのなら、せめて、必要のない金儲けは止めよう。欲をかくのも、ほどほどにしておかなければならない
そんなことに頭を悩ませたり、時間を割いたりするくらいなら、好きな本を読んで、書きたいことを書いている今の生活を続けている方が、私自身も幸福なはずだと、そう考えているのである。

こんなふうに書くと、「あなたは、なんて恵まれた生活をしているんだ」と言われそうだが、それはそれなりに「不必要なものを切ってきた」結果だから、人に責められる謂れはないと思っている。
イーロン・マスクのように、他人の犠牲の上に、無用なまでの財産を築いたわけではないと、そう思っているので、後ろめたさは、ほとんど無いのである。

そんなわけで、私の今の境地は、ある意味で「仙人」である。人里張られた山中で、囲碁など打ちながら、霞を食ってのんびりと生きている、そんなイメージを持ってもらえるとありがたい。
まあ、ちょくちょく、「祟り神」の仮面などをつけて俗界を騒がせに下りてくる、困った趣味を持つ仙人なのではあるが。

なお、本書の内容は、下のようなものである。
興味ぶかい内容も多いし、すぐに読めるので、広くオススメである。私がすぐに引き合いに出す、大谷翔平くんも登場する。

『【目次】
第1章 災害の違和感〜立ち止まれますか?
第2章 「戦争と平和」の違和感〜お金は噓をつかない
第3章 〈いのちは大切〉の違和感〜虫の声が聞こえますか?
第4章 〈真実とウソ〉の違和感〜先入観を外せますか?
第5章 〈民は愚かで弱い〉の違和感〜未来は選べる

内容の一部
■ 報道されないもう一つの「裏金システム」
■ 大きな悪事を、一般人に気づかせないテクニック
■ ゆうちょ、年金、次は新NISAで預貯金いただきます
■ ソーセージと法律は、作っているところを見せてはいけない
■ 防衛費のために通信インフラ(NTT)売ります
■「真実を伝えたら孤立する」そんな時には魔法の言葉
■「今を生きる」で未来が創れる――日本人の精神性が世界を救う

他、多数 』


(2024年9月4日)

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